備後山城風土記

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 巨大古墳の被葬者
二転三転した松本古墳の墳形
現在の松永市街地がまだ海の底だった頃、松永湾の周辺には注目される古墳が築かれた。神村町松本の「松本古墳」である。この古墳が発見されたのはそんなに昔ではなく、昭和に入ってからである。地元ではこの古墳は戦国時代の城塞として伝承されていて、古墳という認識が全くなかったためだ。そして、最近までこの古墳は備後南部では珍しい「方墳」であるとされていた。ところが、近年測量調査が行われ、どうもそうではないらしいことが分かってきた。「方墳」と見られてきたのは、戦国時代の築城によって手が加えられたためで、本来は直径50メートル程の円墳に小さな方形の出っ張りがついた「帆立貝式古墳」ではないかと言うのだ。どちらが正しいかは正式な発掘調査によらなければならないが、もし「帆立貝式古墳」だとしても、福山周辺では大変珍しい古墳であることには変わりない。
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松本古墳全景
謎を秘めた被葬者
最近、古墳の形には意味があることが分かってきた。大和の大王と結んだ豪族が「前方後円墳」を築き、そうでない豪族は「円墳」や「方墳」しか築かせてもらえなかったと言うのだ。これを学界では「前方後円墳体制」と言うが、この中で「帆立貝古墳」は微妙な位置にあったようだ。本来は「円墳」だが、小さな方形部を付け、限りなく「前方後円墳」に近づけようとした古墳だとされる。
 では、そんな奇妙な墳形をしたこの古墳に葬られた人物は一体どんな人物だったのだろうか。考えられるのは、海に関係した豪族ではなかったかと言うことである。今でこそ松永は広い市街地が広がっているが、これはほとんど近世の干拓によるもの。古墳が築かれた5世紀には、古墳のすぐそばまで海が迫っていた。当時、海で活動した人々のことを「海部【あま】」と呼んだ。松本古墳には、この古代、海を支配した海部族の首長が葬られている可能性が高いのだ。(田口義之「備後歴史人物伝」より)
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散乱する石棺材

御殿山と足利義昭

足利義昭と御殿山
 
 津之郷町に「御殿山」という小さな丘がある。津之郷小学校の裏山で、北の高増山系から延びた小さな尾根が平野に望む場所に位置する。
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津之郷町の御殿山
 訪ねてみると、比高二十メートルばかり、てっぺんは東西に分かれ、東が「御殿」、西が惣堂神社の境内になっている。御殿と呼ばれる場所は1反少々の広さで、今は果樹園となっている。
 
 小さな小山ではあるが、見晴らしはすばらしい。津之郷から山手、佐波にかけては一望の下だ。南斜面は段々畑となってふもとの民家に続いている。「なるほど」とうなるような、住むにはいい場所である。
 
 それにしても、「御殿」「御殿山」とはただならぬ呼び名だ。
 
 調べてみると、この御殿は室町幕府第一五代将軍、足利義昭の御所(将軍の屋敷を当時こう呼んだ)がこの地に営まれたことに因むようである。
 
 「義昭とは、突飛な…」と思われる方もあるだろうが、備後は室町幕府を開いた足利尊氏が、鞆津で光厳上皇の院宣を受け取り、「開運の地」となったと共に、最後の将軍義昭が信長に追われて逃れてきた地としても有名だ(足利氏鞆に興り、鞆に滅ぶ)。
 
 義昭が津之郷の地にやってきたのは、義昭が執念を燃やした「信長打倒、幕府再興」の夢がいよいよ幻に終わりつつあった時期である。義昭が備後鞆津に「動座」したのは、毛利氏を頼り、宿敵信長を討伐し、幕府を再興するためであった。天正四年(一五七六)二月、紀州の由良から備後の鞆に上陸した義昭は、当初同地の小松寺を宿所としていたが、毛利氏が義昭の意向を受け入れて、信長討伐に立ち上がると、鞆城を御所として、全国の大名に打倒信長の激を飛ばした。これが所謂「鞆幕府」である。
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惣堂神社にある足利義昭木像
 ところが、最初のうちこそ調子のよかった毛利氏の動きも、摂津の荒木村重、播磨の別所長治が相次いで信長によって滅ぼされ、備前岡山の宇喜多直家が毛利を裏切り、織田氏に付くと、形勢は一気に逆転した。織田氏の部将羽柴秀吉の軍勢は、鞆と目と鼻の先、備中高松城に迫ってきた。しかも、海上を支配していた村上氏の去就が怪しくなってきた。三島村上氏の一つ来島氏は織田方に走り、本家能島村上氏も毛利氏から次第に距離を取りつつあった。
 
 こうなると、海上交通の拠点であった鞆の利点は欠点となり、織田方から直接攻撃される恐れが出て来た。義昭が鞆から山越えに津之郷に居所を移した理由だ。津之郷の御殿山はこの義昭のために造営された「御所」の跡と考えてよかろう。
 
 その時期は天正十年(一五八二)前後と考えられている。以後、天正一五年(一五八七)、京都に帰るまで、この地を本拠として、あくまで幕府再興、京都復帰を画策した。
 
 だが、義昭の夢は虚しいものとなっていった。本能寺の変で信長が倒れたのも束の間、天下は明智光秀を倒した秀吉のものとなり、彼の夢は潰えて行ったのである。
 天正一五年三月十二日、義昭は折から九州平定のために下向中であった秀吉と赤坂で対面した。ここで両者は年来の宿縁と解き、義昭は京都に帰ることを許された。かつてははるか下座に平伏した秀吉に頭を下げるのは苦痛であったろうが、「互いに銘作の御腰物を参らせられ」すなわち、対等の礼で迎えられたのはせめてもの慰めであった(九州動座記)。
 
片山病、医師吉田龍蔵の戦い
                                 
 福山から北へ約5キロ、神辺平野の中心からやや南にコッペパンを置いたような小山がある。「片山」である。この山は別名「漆山」と呼ばれ、戦国時代の城塞の跡とも言われるが、山麓一帯ではかつて原因不明の病気が蔓延し「片山病」として恐れられていた。
 
 「漆山、片山共云う、此の島山四畔沼田にして、梅雨の頃は瘴癘ありて、耕作の者其の気に当たりし時は身体漆をさしたる如し、疫病甚し、(略)因って漆山と云う」(西備名区)
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江戸時代の絵図に描かれた片山
 現在では「日本住血吸虫」という寄生虫が原因と判明し、その治療法や予防法も確立し、「過去の病気」となっているが、初め人々は此の病気を漆による「かぶれ」と同じものと考えていた。伝説では、かつてこの辺りが「穴の海」と呼ばれていた入り海だった頃、片山の辺りで「漆」を積んだ船が難破し、積み荷の「漆」が地中に埋もれこの病気の原因となったと言うのだ。
 
 片山病の原因、「日本住血吸虫」は、不思議な性質を持った寄生虫である。この虫は、体長二センチの白い糸屑のような扁形動物で、幼虫は初め「宮入貝」と言う淡水産の巻き貝に寄生し、成虫になると水中に出て、人や牛などに皮膚から浸入し、そこを一生の住みかとする。そして、寄生された動物はこの虫によって内蔵を侵され、重症の場合は死に至る。
 
 この病気(正式には日本住血吸虫病)の原因究明と撲滅に大きな役割を果たしたのは、深安郡中津原村(現御幸町)の医師吉田龍蔵である。
 
 龍蔵は、京都府立医学専門学校の出身で、各地の病院を転々とした後、明治34年【1901】深安郡中津原村で医院を開業した。中津原は、片山西麓の村である。医院を開業した彼は、片山病の惨状に目を見張った。
 
 最新の医学を身につけた龍蔵は、この病気の原因究明には病死者の「解剖」が不可欠と考えた。しかし、彼のこの考えは周囲に誤解を生んだ。何しろ明治維新から30年あまりしか経っていない時期である。人々の反発は甚だしく、彼はこれによって「解剖医者」のレッテルを貼られ、医院は閑古鳥が鳴くことになったのである。
 
 だが、彼の努力は報われた。明治37年【1904】5月30日、京大の藤波鑑教授と共に病死者の死体を解剖した彼は、遂にその病原「日本住血吸虫」をその体内から発見するのである。
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御幸町にある吉田龍造頌徳碑
 これによって片山病の研究は大いに進んだ。つまり、中間宿主である「宮入貝」を駆除すれば、片山病は自然に消滅することが判明し、その対策が次々と講じられ、患者は次第に減少していった。そして、大正9年には2150人に達した患者も、昭和43年以後新たな発病はなく、今日では『過去の病気』となったのである。

井上角五郎と巡回文庫

井上角五郎と巡回文庫
 
 『福山市史』(下巻)によると、福山地方に初めて図書館が設けられたのは、明治10年代(1880年頃)のことである。しかし、初期のものは、多く個人やグループで運営ざれ、有料であったり、貸し出しを特定の個人に限ると言ったように、現代の図書館とは随分と異なったものであったようだ。
 
 本格的な図書館としては明治39年(1906)、松永に「松永町立図書館」、同43年(1910)、東町に「義倉図書館」がオープンしている。両館ともに、地元の有力者が中心となって設立されたもので、中でも江戸時代以来の『義倉』財団が設立・運営した「義倉図書館」は昭和20年の福山空襲で焼失するまで、地方屈指の規模を誇っていた(現在、福山市立図書館には『義倉文庫』が設けられ、毎年財団法人義倉より多額の図書が寄贈されているが、これはこの伝統に因むものである)。
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在りし日の義倉図書館
 この両館の開設と前後して、明治43年には、福山にもう一つ特色のある図書館が設けられた。福山出身の政治家であり、財界の有力者であった井上角五郎が私財を投じて作った「井上巡回文庫」がそれである。当初、角五郎は出身地の野上町に図書館を建設することを考えていたようであるが、ちょうど初めに紹介した「義倉図書館」のオープンと重なり、「福山に二つも図書館はいらないだろう」と言うことで「巡回文庫」の設立となったと言う。
 
 「井上巡回文庫」は、「深安沼隈両郡並びに福山人士をして図書閲覧の便を得せしむる」を目的として開設されたもので、期間を決めて書籍を各地の小学校に巡回し、一般に貸し出した。いわば現代の「移動図書館」のはしりである。
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井上角五郎肖像
 創設者の井上角五郎は、福山の近代史を語る場合、忘れてはならない人物の一人である。万延元年(1860)、深津郡野上村(現福山市野上町)の貧しい農家に生まれ、19歳で同郷の小林義直を頼って上京、福沢諭吉の門を叩き、福沢邸の書生をしながら慶応義塾を卒業。後に衆議院議員を務める傍ら、北海道炭坑鉄道専務、日本製鋼所会長などを歴任。昭和3年(1936)、78歳で亡くなるまで、福山地方の発展に大きな役割を果たした。
水道市長 阿武信一                               
 現在の福山旧市街地は、芦田川の河口に広がる三角州を埋め立てて造成されたため、飲料水の確保は、元和八年(1622)の築城当初より頭痛の種であった。
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水野勝成画像(賢忠寺蔵)
 福山の生みの親水野勝成は、この課題を「上水道」の敷設によって解決しようとした。勿論、この「上水道」は現在のものと違い、芦田川の水をそのまま城下に取り入れただけで、消毒はおろか不純物の取り除きもほとんど行われていない。しかし、この旧「福山上水道」は当時としては極めて進んだ珍しいもので、時代的にも江戸の「神田上水」に次ぐものと言われている。すなわち、本庄で取水した芦田川の水を一旦蓮池(通称どんどん池)に溜め、ここから城の北を廻って城下に水を流し、更に本線から分かれた支線によって城下の隅々まで飲料水が行き渡るようにした。水路は城北の一部が地上を流れるのみで、ほとんどは暗渠となって汚物の流入を防いでいた。
 
 藩政時代には、この旧上水道の維持管理は極めて厳格で、水の汚れを防止するため、様々なお触れが出されている。だが明治維新によって藩が廃止され、一時福山の城下町が衰退すると、この旧上水道の維持管理が弛緩した。そして、起こったのがコレラをはじめとする様々な伝染病が蔓延である。その原因の一つに旧上水道の老朽化があったのは言うまでもないことであった。ここに近代的な「上水道」の敷設が要望された理由があった。
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近代水道の水源地となった熊野水源地
 しかし、近代的な上水道の敷設には大変なお金がかかった。明治期の福山は、380年に及ぶその歴史の中で、一番低迷していた時代といえる。とてもそんな予算は無かった。一応、福山は明治22年の町村制の施行によって「町制」を実施していたが、「福山町」では上水道の敷設に必要な国庫補助金をどうしても受けることが出来なかった。そこで考えられたのが「市制」の実施である。「福山市」となれば国の補助を獲得できる。こうした中で、初代の福山市長となって近代「上水道」の敷設に取り組み、「水道市長」の名を残したのが阿武信一氏であった。
 
 同氏は大正4年(1915)福山町長に就任すると、早速この課題に取り組んだ。翌大正5年には「市制」を実施し、国の補助を得た上で上水道の敷設に取りかかった。工事の完成は9年後の大正14年(1925)11月15日、いわば「福山市」は「水道」から生まれたので

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