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潮待ちの港「鞆」
“潮待ちの港”鞆ほど研究者の頭を悩ませる地名はない。伝説では神功皇后が渡守神社(現沼名前神社)に武具の“鞆”を奉納したことに由来するとも、鞆港の地形が武具の鞆に似ているためその名が付いたとも言われるが、これらの説は全て後世のこじつけであって、もとより信ずるに足りない。
鞆港全景
それよりも“とも”は邪馬台国時代(西暦3世紀)の投馬(トーマ)国の遺名だとする説に魅力を感じる。
広く瀬戸内海の北岸を見渡してみると、岡山県の玉野に始まって、玉の浦(尾道の古名)・玉祖(山口県)など“たま”の付く古い港が分布しているのに気付く。
投馬国鞆説はその面積が狭隘なことから否定的な見解が多いが、広く瀬戸内海の北岸(いわゆる吉備の国)をその比定地とすればどうだろう。
名勝鞆の弁天島
“とも”は“たま”と共通の語源を持つと考えられるから、投馬国の名は早く失われてしまったが、たまたま周辺の港にのみその名をとどめた、こう考えれば良いのである。
それはさておき、鞆が日本史の大きな舞台となったのは、室町幕府の将軍足利氏との関わりにおいてであった。(続く)田口義之「備後散策」より
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足利氏鞆に起り、鞆に亡ぶ
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