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神石高原町相度にある曹洞宗の古刹
寺伝によれば、応永年間(15世紀初頭)、近くの須子山城主宮下野守政盛が、丹波円通寺六世慈伯道順禅師を開山に請じて、開創したことに成っている。
だが、宮下野守政盛は15世紀末から16世紀前半活躍した人物。
この1世紀近い「乖離」は何を意味するのか?
或いは、別の記録に「盛政」とあり、こちらの方が正しいのかもしれない。
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秘蔵の写真
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福山市神辺町下竹田と平野の境に位置する、龍王山の山頂に築かれた古墳
遺跡地図では「辺木第6号古墳」
昭和初年、早大の西村真次博士が発掘した竹尋の「夫婦塚」か
中世山城龍王山城跡の主曲輪面に墳丘が良好に残る
写真は昭和46年の早春のもので、以後は不明
12月に地元の方と確認に登る予定である。
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福山市木之庄町にあった旧福山城の建物
城内の玄関の一部と伝えられていたが8年ほど前に、何の調査もされずに取り壊されてしまった。
近年は旧藩主阿部家の資産管理団体「ばんすい社(漢字失念)」の事務所として使われていた。
軒丸瓦には「抱きおもだか」の家紋が
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福山市の北部工業団地の造成の際、発見され、発掘された遺跡。
弥生時代から古墳時代にかけての墳墓や、集落跡。
写真は、発掘された箱式石棺と出土品である。
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福山市熊野町、日蓮宗常国寺の寺宝「伝足利義昭所用」の肩衣。
天正4年、毛利氏を頼って鞆に動座した義昭は、天正10年頃、常国寺に「移座」し、更に津之郷の御殿山に動座した。他に、義昭所用の硯なども現存し、義昭所用の遺品としては信憑性の高いものとして、福山市の重要文化財に指定されている。
胸の桐紋に注目
義昭の側近、真木島昭光の添状。常国寺と義昭の関係を示している
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