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福山市沼隈町草深に残る江戸時代の「樋門」
近世の干拓は、堤防と樋門で行われた。
堤防で海を囲み、樋門を造って海水を排水し、土地を造成する。
この樋門は元禄時代の創建と伝わり、ごく最近まで現役であった。
広島県重要文化財に指定されている
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秘蔵の写真
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帝釈峡遺跡群は昭和36年から今日まで、継続して調査されている有名な遺跡。
中でも、この観音堂遺跡は幻に終わった「帝釈原人」が出土した遺跡として有名。
高校1年の頃から毎年見に行ったが、最初は見上げる高さだった発掘面が、現在でははるか下になってしまった。
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庄原市比和町森脇に残る広壮な屋敷跡。
明治初年まで鉄山師として権勢を振るった名越家の屋敷跡である。
吾妻山国民休暇村の傍にある池は名越家が「カンナ流し」のために造った人口の池
「もののけ姫」を見るたびにこの池と古家真屋敷を思い出してしまう。
門跡の枡形と櫓台
正面の堀跡
屋敷跡全景、ここでどんなドラマが展開したのだろうか
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福山市内海町田島の真言宗常楽寺境内の累々たる無縁の「一石五輪塔」
備陽史探訪の会35周年記念事業で実施した中世石造物の分布調査では、田島横島で385基の花崗岩製一石五輪等が確認され、その内、152基が常楽寺境内に存在した。
常楽寺は田島村上氏の菩提寺として知られ、境内には村上一族の巨大な五輪石塔も残っている。
なお、田島村上氏は能島村上氏の庶家である。
常楽寺境内を調査する備陽史探訪の会会員
累々たる一石五輪塔
村上一族の石塔
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福山市加茂町北山に鎮座する龍田神社
創建に関しては諸説あり、「水野記」によれば平安時代の創建
明治初年の太政官に進達した神社の由来書によれば、江戸時代の初期、足利房丸の宝剣「龍田丸」をご神体として創建されたという。
房丸は従三位征夷大将軍足利義澄の嫡子といい、戦国時代にこの地に逃れてきたと人物と伝え、近くの百谷に墓が残る。
旧村社龍田神社
社殿、江戸後期の再建である
本物の砲弾かと思ったら、偽物であった
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