デュッセル通信

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ギリシャ

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ギリシャ旅行3

ギリシャ旅行の初日

昼過ぎにホテルについて、ちょっとゆっくりして、アクロポリスへ行こうとすると、4:30で門が閉まっていて入れないとのこと。

それならということで丘のふもとを散策。ギリシャ料理を食べたりしました。ギリシャ料理はさっぱりしていておいしいのです。

二日目。
アクロポリスを午前中に制覇し感動!午後ミケーネへ。

アテネから約3時間かかり、到着は3:30.到着はしたのですがどうも人が極端に少ない。

門は3:00で閉じられていました。あれれ、ホテルの人は5時までと言っていたのですが・・・。


ドンマイドンマイってことで、アテネの近くのコリントという遺跡のある街へ。

しかし・・・ガイドブックにあるのはコリントの遺跡行きのバス乗り場の地図だけ。
遺跡はどこだよ〜

小さなレストランでギリシャコーヒーをしばいてアテネへ戻りました。

ギリシャ2度目で余裕のつもりでしたが、打率は3割。

三日目;前日の失敗をリカバーすべく、もともとアテネの北へ行く予定を変更し、ふたたびミケーネ+エピダウルスという古代劇場へドライブ。

ミケーネは、中には入れなかったものの遺跡を外からは見たので、3時までにエピダウルスへ入れないかもしれないというリスクを考えて、エピダウルスを先に訪問することにしました。

しかし、これが結構苦労しました。


アテネから2時間くらいで、エピダウルスの表示があり、エピダウルスの古代劇場という表示も発見。
楽勝〜と思ったのですが・・・。

案内通り進んでいくとだんだん道が細くなり、とうとう農道みたいになって行き止まり。

小さな古代円形劇場があったという看板のある広場にたどりつきました。

ちがうじゃない!ってことで引き返して村人に聞くと、あそこでいいと言い張ります。まあ、村の誇りなのでしょう。

3人目でようやく大きな円形劇場は「橋の向こう」というコメント。
橋がどこのことか分かりませんが、来た道を戻り、最初の「橋」を渡って車を飛ばしました。

しかし、走れども走れどもそれらしい看板は出てきません。かわりにエーゲ海の美しい景色が続きます。


ここで撮影したのが、この写真。
神が住む国という感じです。

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40分くらい走って、どうも違うということで、ググーンと来た道を戻り、最初の道を曲がらないで走り続けました。

これまた30分くらい何の表示も出てきません。この時点で、エピダウルス訪問不可のリスクを意識しました。エピダウルスに到着できなければ、その次の目的地ミケーネの遺跡も、3時までに到着することがむずかしくなります。ギリシャの山中を当ても無く走り・・・・

そろそろホントにやばいと思っていると、ようやく見覚えのある風景になってきました。
あった、ありました〜エピダウルスの古代劇場の大きいバージョン!

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紀元前4世紀に建てられ、1万4千人の観客を収容できるそうです。
カミさんと娘も気に入ってくれたようです。

前回一曲歌うのを遠慮したのですが、今回もやはり遠慮。ちょうどいい曲が無いのです。
娘は能をやっているので、能の一部を一曲歌うかどうか迷いましたが、結局遠慮。

遠慮がちな親子でした。

ちなみに、この日入場料は只でした。


さて、次はミケーネへ。再び妙な道を彷徨いながら、なんとか2時頃到着。

切符売り場では、3時に閉まるから急げ〜と言っています。つまりここも只。


ミケーネの遺跡は、ホメロスの叙事詩にある「黄金のミケーネ」の伝説の遺跡。

ここは、見晴らしが良く、「パーとしてる」ということで、特に娘に好評。スウェーデンは暗くてパーっとしてないそうです。

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獅子の門は紀元前1300年ころのもの。

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ふもとのレストランで食べた鳥の串焼き。スブラキと呼ばれていますが、これが旨かった!
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ということで、この日はひやひやしたものの、無事に2大ポイントを制覇!

アテネ市内

アクロポリスの丘までホテルから歩いて行きました。

ギリシャというと、美しいギリシャ建築、ギリシャ彫刻の美男美女、サントリーニ島の白と青の風景を想像しますが、実際はどれも相当雑多です。

アクロポリスの丘のふもとの市場。
大変賑わっていました。
薄型液晶のモニター以外は、古くから変わって無いように見えます。
人は、いろんな国から来たバラエティーの富んだ印象。
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アクロポリスの丘のみやげもの
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ギリシャ」というハイクラスな国のイメージを生かしたファッションや工芸品がもっと登場するポテンシャルはあると思うのですが、現状は、今のところこれはというものは発見できていません。
強いて言えば、古代の彫刻、花器の精巧なコピー商品くらいでしょうか。

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インディオの衣装を着た大道芸人。スピーカー、アンプを駆使しての演奏。なぜギリシャでインディオなんでしょうかね?3組くらい見かけました。
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年末にせっかく家族でドイツに集まるので、思い切って、ギリシャまで行って来ました。

ギリシャは駐在開始以来訪問したところで、もっともインパクトがあった所なので、カミさんと娘にも是非見せたかったのです。

最初にパルテノン神殿!
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こんなに巨大で洗練された建物が、紀元前438年に建設されたというのですから、想像を超えています。
2年前と比べて補修はボチボチみたいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/roman_holiday417/33693934.html

それでドイツに戻ってから、世界の歴史4、ギリシャ を読んで見ました。

すると、とっても大雑把に言って、次のような歴史がありました。


紀元前1700年ころ。クレタ最盛期。エジプト文明の影響があったそうです。

BC1600年頃;ミケネ文明始まる

BC1200年頃;ドリア人のギリシャ侵入

いろいろあって

BC514 ペルシャ戦争1
BC490 ペルシャ戦争2、マラトンの戦い。ぺルシャ2万対ギリシャ1万の戦いで、うまい作戦でギリシャの勝利。

マラソンの起源です。

BC480 ペルシャ戦争3、サラミスの海戦
ペルシャはアテネに侵入。アクロポリスは破壊された。
ギリシャは陸上での戦いよりも海上での戦いを選択し、ペルシャ軍を狭いサラミスの水道へおびきだし、
劣勢を跳ね返す大勝利。

この戦いをアテネがギリシャ(ドロス同盟)の中でリーダーシップを発揮したので、アテネの覇権が強まりました。

このペルシャ戦争の勝利を神に感謝するために、パルテノン神殿が建設されました。

パルテノン神殿他、アクロポリスの神殿の建設に、ドロス同盟の軍資金を使い込んだり、その後同盟国に重税を課したりして、次第に横暴になり、それが原因でスパルタと戦うことになったそうです。





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長いようで短いギリシャ旅行も最終日

ロードス島の解説を少ししましょう。
http://www.europe-z2.com/chusei/ad1308gr.html
から引用

西暦1291年、エジプトを支配していたマムルーク朝の軍勢がアッカ(アッコン)を攻略し、聖地における十字軍の最後の拠点が失われた。聖地において活動していた聖ヨハネ騎士団は、とりあえずキプロス島などに拠点を置き、新たな本拠地を捜していた。

西暦1306年、聖ヨハネ騎士団がビザンティン帝国の勢力圏にあったロードス島に攻撃を開始。やがて西暦1308年にはロードス島を完全に支配下に置いた。以後、聖ヨハネ騎士団は、ロードス島を根拠地にイスラム教徒への戦いを続けていくことになる。
 イスラム海賊と戦ったとされるが、実際は、その近辺を通るイスラム船をさかんに襲撃した。当時の船は商船も武装するか護衛船を付けるのが普通だったため、これをイスラムに対する聖戦、船の漕ぎ手に使役されるキリスト教徒奴隷の解放と大義名分を掲げることができたが、イスラム教徒から見れば海賊行為で、双方同じようなことをやっていたと言って良い。

騎士団の構成員は騎士が500人程度で、母国語によって8つ(フランス、イタリア、イングランド、ドイツ、アラゴン、カスティーリャ、オーベルニュ、プロバンス)の騎士館グループに分かれていた。各グループ毎に騎士館長(戦闘の際には部隊長となる)がおり、全体を騎士団総長が統率した。

1444年にエジプトのスルタン、1480年にオスマン帝国のメフメト2世の襲撃を受け、これを撃退した。西欧では久しぶりのオスマン・イスラム勢力に対する勝利として、騎士団の評判は高まったが、1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝が400隻の船団と20万人の兵で来襲した。騎士団側は雑兵まで含めて7千人ばかりで必死の防戦を繰り広げたが、衆寡敵せず、遂にロードス島を明け渡しシチリア島に撤退した。

僕は飛行機の中、そしてホテルであわてて「ロードス島攻防記」を読んで、気分は中世の騎士。
塩野七生氏の本は、ローマ人の物語といい、この本といい、旅行の前に読むと旅の感動が違ってきて、とてもいいです。

騎士団通り
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要塞の城壁。すごい土木工事です。この工事費用はイタリアの資産運用、キリスト教信者の寄進でなされたそうです。
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ホテルでたたずむ香港マフィア。何を考えているのか・・・?たぶん島のあちこちにあるけしの花の活用方法では?
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世界の七不思議の場所
かなり離れた2匹の鹿の部分が足となる巨人の像があったそうで、それが世界の七不思議だったそうです。
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巨人の想像図。いろんな人が描いてますが、どれも想像です。
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おみやげ屋さんのギリシャ美女。個人的ポイント高し!
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朝日の中の海。早起きはナイスショットの元。スパルタの朝市も早起き(といっても8時くらい)の成果ナリ
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ニケ

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ニケ 朝日の中で。ギリシャ旅行の最後を飾るにふさわしいでしょ!

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昼過ぎの飛行機でドイツに戻り、日常生活に戻りました。ドイツはもう日常なんですよね。ただ、春なので、とても新鮮で生き生きとしています。

では、また

ロードス島へ

楽しい旅も、いよいよ最終コーナー、アテネからロードス島へ飛びます。
ロードス島へ行ったのは、塩野七生氏の「ロードス島攻防記」を読んだFさんの強い要望によるものです。
ま、普通の人はぜんぜんご存知ないと思いますが、トルコが対岸に見えるエーゲ海の東に位置している島です。

ここの歴史は、下記に詳しく書かれています。ちなみに、このHP、相当面白いです。
http://www.europe-z.com/tabi/gr199809/12.html

アテネの街のドライブも、さんざん間違ったので、ある程度学習効果があり、比較的スムースへ空港へ到着。空港の前で出口を間違え3回ぐるぐる回りヒンシュクでしたが、ま、かわいいミスです。
参考情報;ホテル近くのパーキングは朝9時まで開きません!早朝出発の方でレンタカーを使う方はホテルの前に置かしてもらいましょう!只だし。僕らは危うくパーキングに駐車するところでした。

飛行機はオリンピック航空の小さなプロペラ機。他の客は半そでで張り切っています。
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ロードス島に着くと、ホテルまでタクシーで2000円くらい。そう、ここはエーゲ海です。
海の写真をいくつか。

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遠くに見えるのはトルコです。
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ロードス島の子供さん。観光客か、地元の子供さんかは不明
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遺跡は別途アップしましょう。
昼食時に夜開いているお勧めの店を教えてもらいました。通りの裏にある、味で勝負の店のようです。
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ここで夜、翌日の僕の誕生日祝い!
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