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もう一昨日のことになりますが、北九州八幡東病院におけるいわゆる「爪きり事件」(事件発覚当初は「爪はぎ事件」と呼ばれていた)の被告人で傷害罪に問われていた上田看護師の無罪が確定しました。
ちょうど同じような時期に、郵便不正をめぐる事件について厚生労働省の村木元局長の無罪が確定したため、この「爪きり事件」は検察の捜査の強引さを示すものとして、ワイドショーのような二流メディアでは「郵便不正事件」と並べて報道されることが多いようです。
でも、この二つの事件って、全く違う性質のものですよね。
「郵便不正事件」は、全く何の関与もしていない村木氏が罪に問われ、メイワクなことに、検察のファンタジーに付き合わされるはめになりました。おまけに検察は、そのファンタジーを公判で維持するため、証拠の捏造までしていたということで、今、マスコミは大騒ぎです。
一方、「爪きり事件」は、元被告の看護師が高齢の入院患者の爪を切ったことは事実で、誰かの捏造ではありません。
その、爪を切る行為の意味、というか、解釈をめぐって裁判になったわけです。いったい、その行為は(ストレス発散のための快楽を得る目的の)虐待(=傷害罪)なのか、それとも正当な看護行為なのか。
そして一昨日、福岡高裁の無罪判決、つまり、それはケア目的の看護行為なのである、という判決が確定したのでした。
この事件はトモコが現在住まっている地元で発生したこともあり、新聞の地方欄にときどき続報が載っていましたが、一昨日は全国ニュースの社会面に記事が載っていました。
しかし、そのニュースを報じる論調は、検察の捜査の強引さを強調するようなもので、見出しも「『有罪ありき』捜査の果て」(読売新聞西日本版 10月1日朝刊)という具合。
でも、トモコ、この事件については、釈然としないことが多くて、一方的に検察を叩くより、むしろ違うほうに関心が向いてしまいます。
まず不思議なのは、なぜ元被告の爪切り行為が事件化されたのか、ということです。
彼女の行為について読売新聞のインタビューを受けた彼女の上司である看護師長は、10月1日付けの読売新聞朝刊で、こう述べています。
「随分と検察側と話したんですけども『自然脱落以外は人為的にはがすことだ』と言われました。だから(証人尋問で)認めざるを得なかったわけで、私ははがしたと思っていません。上田さんの行為はケアだったと思います。」
また、元被告の勤務していた病院の当時の病院長も、読売新聞の報道によれば、「(上田氏の行為は)ケアであり問題ない」と考えており、検察に調書もとられていましたが、証拠として採用されなかったという経緯があったようです。
これってすごく変だと思いませんか?
検察でなく、病院が。
この事件、そもそもは病院が元被告を告発したんです。
病院って医療のプロの集団でしょう?元被告の処置がケアだと分からなかったんでしょうか?
告発をしたのは病院の事務方でしょうから、100歩譲ってそういうことが理解できなかったのだとして、なぜ、彼女の周囲の、それがケアだとはっきり認識していた看護師長や元病院長は、彼女の行為が事件化するのを止められなかったのでしょうか?不思議でなりません。
また、北九州市は、元被告が起訴された直後、「有識者委員会」を設置し、その検討結果を受けて元看護師の行為を「高齢者虐待防止法」の虐待にあたると認定し、処分しています。
「有識者委員会」の「有識者」には当然、介護や医療のプロフェッショナルが含まれていると想定されます。ここでは、福岡高裁で「ケア行為」と認定された爪きりを、医療(あるいは介護)のプロが「虐待」と認識しているわけです。
もう、わけがわかりません。
ひとつ考えられるのは、当該「爪きり行為」は、「ケアである」という共通理解を医療現場で未だ得られていない種類の処置である可能性です。そうであるならば、医療関係者の間で行為の評価や適否(「是非」ではない)が分かれるのは理解できます。
だとすると、起訴される前の段階において、この元看護師にも落ち度はあったことになりますね。
職業人として、そういう「微妙な」行為をするのであれば、上司である看護師長に相談するとか、あるいは許可を得るとかすべきでしたし、少なくとも、ケアとしてそういう処置を行うことを患者の家族にきちんと説明すべきでした。
看護師長に相談すると許可されないのが分かっていて、それでも自分の信念に基づいて処置をしたのであれば、傷跡を発見した患者の家族に説明を求められたとき、毅然と対応すべきでした(実際は、「その場を逃れるため」、怒る家族に、自分はなにもしていない、と嘘をついています)。
ただ、それでもなお釈然としないものが残ります。
「事件」を公表したら、病院はマスコミの格好の餌食になるし、関係者は無事では済まない。トラブルを一番避けたいはずの市立病院がなぜ、あえて医療現場的に「微妙な行為」(=犯罪ではない)をが虐待(=犯罪)として告発することを選択したのか。患者と患者の家族に十分説明し、看護師が嘘をつき、不快感を与えたことを謝罪し、看護師に反省を促す or 「厳重注意」や「戒告」程度の処分を下す、くらいの処理でなぜ済まさなかったのか。
そして、なぜ、北九州市は、裁判が決着するはるか前に、元被告を「高齢者虐待防止法」に基づいて処分したのでしょうか。
普通、民間は分かりませんが、公務員の場合、裁判が決着するまで処分されません。村木元局長だって、人事異動もあったし、休職扱いになってはいましたが、戒告、とか、諭旨免職、とか、懲戒免職、とか、そういう意味での処分は受けていませんでした。
だって、裁判って、どうなるかあらかじめ分かりませんもの。実際、元被告の無罪が確定したため、北九州市の対応は、結果的に、彼女が犯してもいない罪を理由に彼女に処分を下すという不恰好な体裁になってしまいました(どうすんだろ)。
これらのことを考え合わせると、ここは北九州でもありますし、実は患者の家族が何か訳アリであったのではないかと疑いたくなります。つまり、民主党の支持母体にもなっているような、何かあるとプロ市民が張り切っちゃうような、そういう関係の…。
患者の家族(患者の次男)は元被告の無罪確定について読売新聞にこういうコメントを寄せています。
「裁判ではケアかどうかの論争ばかりで患者の気持ちは無視された。高検には上告してもらいたかった。」
これ、不思議なコメントでしょう?
だって、裁判はそもそも、元被告の行為の解釈をめぐるものだったわけですから、ケアかどうかの論争が主になるのは当然です。しかも、「患者の気持ち」って…このひとは、いったいこの事件がどう決着すれば満足だったのでしょうか。
こういうひとって、外科手術を受けた患者がいるとして、患者の家族が、患者の腹部に大きな切り傷がある、痛がっている、どうしてくれる、と騒いでも、それは当然であると考えるタイプ?それって「クレーマー」とか「当たり屋」って呼ぶんじゃなかろうか。
もしそういう人物が関与しちゃったとすると、病院が慌てて、病院から切り捨てるように元被告を告発したのも、北九州市が相当びびって、さっさと看護師を処分したのも(「有識者委員会」こそ「結論ありき」だったんだろな、役人が会議の流れを都合のよいように誘導する、なんてよくあることだし、その最たるものが、結果的に薬害エイズを引き起こした厚生省の「エイズ研究班」)分かる気がします。
なんであれ、この事件は、検察の捜査手法うんぬんを超えた公に語れない何か深い「事情」を含んでいるようにトモコには感じられるし、この元被告は、検察の強引な捜査の犠牲というよりは、語ることの出来ないもっとどす黒い何かの犠牲であるように思います。
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この事件(?)、ちょうど『スポットライト』が韓国で放送されているころに、テレビ朝日の朝の番組で取り上げていました。当初、報道も「患者への虐待」という論調でしたが、じつはそうではないという内容の番組でした。
事件に発展してしまったこと自体にも疑問がありましたが、何が「真実」かということも、何が「正義」がと同時に大切だな、とジニさま演じるオ・テソクを眺めながら思ったものでした。
2010/10/3(日) 午前 8:33 [ miemama ]
miemamaさん、こんばんは。
韓国で「スポットライト」が放送されてたころ…もうそんなに前になるんですね。
この「事件」、元被告が患者の爪をはぐ虐待行為をした、と病院がいきなり発表したことから始まりました。当の病院がそう言って告発してるんだから虐待の事実は間違いないんだろうと当時誰もが思ったと思います。
舞台って、上手に座ってるか、下手か、センターか、前のほうか、後ろのほうか、で見え方や、見えるものさえ違ってくるものですが、「真実」だとわたしたちが思っているものも、出来事をどの角度で見ているかで、実は見えているものが全然違っているのかもしれません。
2010/10/3(日) 午後 0:13 [ トモコ ]