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会期は2019年4月5日(金)〜6月2日(日)まで。
紙ものなので、前後期で展示替え。
前期展示jは5月12日(日)まで。
後期展示は5月14日(火)から。
参考展示の陶磁器以外はすべて掛け替え、あるいは、頁替えになります。
前期展示の見どころは、長谷川派の「柳橋水車図屏風」、等伯の「竹虎図屏風」、そして同じく等伯の「松に鴉、柳に白鷺図屏風」の3点。
「柳橋水車屏風」は長谷川派工房作品。
金泥で表現された上弦の月と叢雲。
銀箔で表された宇治川。
そして、鮮やかな緑色の葉を茂らせる柳。
絢爛たる色彩のコントラストも美しいのですが、向かって右から左へと(屏風は見るものである)ゆっくりと移動しながら屏風を鑑賞すると、川岸の柳の葉が次第に大きく茂ってゆくのがわかります。
この屏風、単なる景色の描写だけではなく、画中に時の流れも表現しているのですね。
その趣向が面白い。
「竹虎図屏風」は等伯の画業の中では初期の作品にあたるようです。
触るとチクチクしそうな剛毛を持ち、どこか愛嬌のある、まるで猫のような虎。
しかしこの一双の屏風絵の面白さは、左双の左隅にあります。
そこには、狩野探幽による鑑定がなんと画中に記されているのです。
とても簡単な漢文なので、たぶん誰でも読み解けると思うのですが、「この屏風は周文の作品であると私は鑑定する。屏風の端の破損が酷かったので私が加筆した。」とあります。
周文は、雪舟の師匠筋にあたる相国寺の画僧で、この展覧会の前期展示にも彼の「待花軒図」が出展されています。
屏風をよくご覧になるとわかりますが、確かに、左双の両端と右双の右端は、紙の継ぎ目が他の部分とずれています。明らかに、元の屏風とは規格の違う紙を継いだようです。つまり、その部分はまるっとはぎ取って、探幽が加筆したわけです。
これについてはさまざまな解釈があるようですが、最新の研究では、これは、長谷川派と狩野派の対立が関係していると考えられているようです。
長谷川等伯はもともとは現在の石川県の出身で、地元出身の狩野永徳(探幽のじいちゃん)が幅を利かせていた京都に出てきて、のちに秀吉の後ろ盾を得て、人気絵師となります。
それが、狩野派の嫉妬を誘ったのではないかと。
実際、当時の資料の中には、等伯が任されたある寺での仕事を狩野派が妨害しようとしたことが記されているそうです。
そうした経緯は探幽もよく知っていたはずです。
探幽は、等伯の画業が後の世に残らないように、屏風の両端、つまり、おそらくは等伯の落款が記されていたであろう部分を理屈をつけてはぎ取った、それが現在、われわれが見るこの屏風なのではないか、というのが現在の美術史の解釈です。
そして、もう一点。等伯の傑作のひとつ「松に鴉、柳に白鷺図屏風」。
実はこちらの作品にも等伯の落款はありません。
なぜなら、右双の右下に記されていたはずの落款が故意にはぎ取られているからです。
実はこの作品は、ある時点まで雪舟の作品と伝えられていたそうです。
これは、桃山時代以降、等伯の作品の評価が下がり、忘れられた絵師になっていたことと関係するようです。
つまり、等伯の作品として売るよりも、雪舟の作品と偽って売る方が、高値がついたってことなんでしょう。
ちなみに、落款がはぎ取られた部分ですが、最近の赤外線による解析で、等伯の落款があることが確認されているそうです。
美術品はそれ自体が美しく、見るだけでも幸せになりますが、作品が経てきた歴史を知ると、さらに印象が深くなるものです。
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