曷不委心任去留 胡爲遑遑欲何之

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雑感

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3月11日に寄せて

トモコ、1年半ほど前まで不定期にひどい不眠が続くことがあり、実はしばしばかなり体調を崩した。

睡眠導入剤を飲んでいた時期もあったが、その頃、医者に言われたのが、「朝、日光を浴びて体を起こすようにしなさい」だった。ま、これは、テレビの健康番組もどきでもよく指摘されることだけれど。

で、そのために「夜、カーテンを開けるか、あるいはレースのカーテンだけにして寝るとよい」と。

朝日が昇るとレースカーテン越しに日光が部屋に差し込み、目が覚めやすくなるから、ということだった。

しかし、今日の夕方のニュース番組で「カーテンは閉めて寝ろ」と放送していた。

大地震のおり、窓が割れることがあるが、カーテンを閉めていれば室内にガラスが散りにくい。
特に災害が深夜に生じた場合、足元が見えにくいので、カーテンを閉めてガラスの破片の散乱を押さえれば、安全な避難路を確保しやすい。

のだそうだ。

それはそうなのだろうが…。

人は、日々の健康と幸せのために生きるべきなのか、それとも、いつ来るか分からない破滅と破壊の日のために、息を潜めて生きるべきなのか。

単純に2択にできるような問題ではないのは承知しているが、つい、そんなことを考えてしまう3月11日なのだった。


関係する不動産仲介業者の支社長の会見をテレビで見た。
本社の社長は出てこないんだな。

問題を矮小化しようとして抑えきれず、炎上して瞬く間に会社が傾くっておなじみのパターンを見ることになるのかね。

この事件の報道を聞いて、二つのことを同時に連想した。

ひとつは、クリスマスや節分の時期に本部からケーキや恵方巻のノルマが過剰に課されて、自腹で商品を抱え込まなきゃならなくなるってスーパーやコンビニの話。

どうやらこの不動産仲介業者系列の店舗は、特定の消臭剤を購入するノルマが課されていたらしい。

これは、業界の構造的な問題だよな。

で、消臭剤抱え込みがきっかけになったとはいえ、閉め切った屋内で消臭剤のガスを100本分、噴射しまくった末に給湯器に火を点けるってのは、別の問題だ。

確か、今年のことだったと思うが、新宿駅でアルミ缶が爆発し、若い女性がやけどを負う事故があった。
それは、20代のどこかの飲食店勤務の男性が、勤め先の業務用アルカリ性洗剤をアルミ缶に入れて持ち出したことで起きた事故だった。

当時、アルカリ性の液体がアルミニウムと化学反応を起こすことへの認識がその若者に全くなかったことが、驚きをもって報じられた。
しかも、同様の事故がその5年ほど前にも東京の地下鉄内で起こっていて、車内にいた数人が負傷し、首都圏では大きく報道されたのにもかかわらず、である。
5年前の「加害者」も20代前半の飲食店勤務の女性だった。
いわゆる「ゆとり世代」である。

知識や興味の偏りや欠落が人の命を奪いかねない事態に発展する可能性があることを考えると、義務教育内での偏りのないベーシックな知識の詰め込みはやっぱ必要じゃん、とあらためて思うのであった。
残された者にメイワクをかけないためとか、きれいな死を迎えるためとか、なんだか知らんが、あまり年寄りを煽るなと言いたい。

だいたい、死なんてきれいなもんじゃないし、どんなにメイワクかけないように準備しても、葬式したり焼いたり、結局、死というものは生きている者にとって手間がかかるものなのだ。

今回、実家に帰ったら、母は「(トモコたち子供に)迷惑にならないように家を片付けなきゃ」とか「お母さんが大切にしていたからって気にしないで、お母さんが死んだら、いらないと思うものはどんどん捨ててね」とかテンパってシツコイし(おそらく、何かろくでもないテレビ番組でも見たのであろう)、父は父で「俺もこのごろ体調が悪いから、何かあったら、葬儀のこととか、ここに全部書いてあるから」と得意気に、数百ページはあろうかという書類の束を納めたファイルを指し示す。んなもの読んでたら、遺体が腐っちまうだろ。

こういう年寄りをトモコが気に入らないのは、死んだあとのことまで自分がコントロールしようとしている、コントロールできると思っていることだ。

しかし、残念ながら、死者の遺志を尊重することにはやぶさかではないものの、生者の世界では、生者の理屈や都合が優先されるのである。それを忘れてはいけない。
あたしなんか、自分の遺体がどう扱われようと、自分の所有物がどうなろうと、知ったこっちゃねぇよって感じだよ。

自分の死んだあとのことまで自分がコントロールしようなんて、後期高齢者ども、不遜である。

コンコルドの誤謬

9月の2週続いた連休を利用し、余った夏休みと年休を間に投入して、実家に帰省していました。

目的は、歯科検診(というより顎関節症の治療だな)と胃内視鏡検査。
そして、母の大腸内視鏡検査の付き添い。便潜血が出たのね。

大腸内視鏡検査は事前処置に時間がかかるから検査はどうしても午後になる。
となると、前日午後8時ごろから当日午後4時ごろまで絶食になるわけね。
おまけに下剤を死ぬほど飲むから脱水に陥りやすい。
75歳の年寄りが一人で検査に行って帰ってくるのはキケン。
ってわけで、付き添いの約束をしていたのでした。
結果、それぞれ5ミリと1ミリのポリープを合計二つ切除。
あとは治療するほどでもないイボ痔が発見され、潜血はそれでじゃね?ってことで終わった。

で、検査に入るまで母とだいぶ長く一緒にいたから、どうでもいい話をいろいろした。

その中に、世間でも話題になっている、例のやんごとないおうちのお嬢さんの婚約についての話があった。

実は今回の帰省中、幼いときにずいぶんと世話になった、近所に住む母方の叔母の家にご機嫌伺いに行ったのだが、彼女とも似たような話題が出た。

二人とも、まぁ、ずいぶんと年上の同窓生にあたるわけで、つい関心が向くのであろう。

どちらも、「どうしてさっさと婚約破棄しないのかしら」とか「両親やきょうだいにも迷惑なのに、いったいどういうつもりなのかしら」的なことを言い、憤慨していたが、トモコはそんな彼女たちの言葉を聞きながら、『コンコルドの誤謬』という言葉を思い出していた。

『コンコルドの誤謬』というのは行動経済学で使われる用語で、ざくっとまとめると、「過去の投資が未来の投資に影響を与える」ということ。『サンクコストの過大評価』なんて表現されるときもある。同じ意味だ。

コンコルドは、ご存じ、英仏が共同開発した超音速旅客機。
開発途中で、通常より長い滑走距離(つまり就航できる空港が限定される)や乗客定員の少なさ(運賃が高くなるわな)、そして飛行距離の短さ(太平洋を横断するには途中で給油の必要があった)などさまざまな理由から、たとえ完成しても、到底採算がとれないことが明白であったにも関わらず、さらなる投資により開発が続けられ、250機受注が採算ラインだったのにキャンセルが相次ぎ、結局、15機が製造されただけだったのだ。
2003年に全機が退役するまで、当然ながら、まったく収益の改善は見られなかった。

これは、行動経済学では、人間が経済活動において必ずしも合理的には振る舞わない好例として、しばしば挙げられる話。

人間というのは、心理学的には、現状維持を好み、何であれ、何かを失うことにひどく痛みを感じる(損失回避)存在であるらしいのだ。
だから、損すると分かっていても、今その手にしているものをなかなか手放すことができない。非合理的な判断をしちゃうのだ。

トモコの手元にある本には、こんな例題が載っている。

【問】あなたがあるスポーツ用品メーカーの経営を任されたとする。その会社は「インテリジェントな」走りを約束する革新的な靴の開発に、すでに10億円を投資している。その靴は、地面の状態や利用者の性格に応じて、必要な調整を自動的にしてくれる。このプロジェクトが80%達成された段階で、同じ規模の他社が同じ特徴を備えた靴をすでに販売していることが分かった。その靴はプロジェクトを進めている靴より機能的で値段も安い。
さて、あなたはプロジェクトに必要な残りの2億5000万円を投資しますか?

これ、心理学の実験に使われた例題なんですが、この質問に対して、被検者の85%が「イエス」と答えたそうです。トモコは「ノーーー!!」なんだけどさ。

この例題って、言い方を変えると、こういうことになるのね。
「あなたはプロジェクトを任されています。他社よりも値段が高くて機能の劣るスポーツシューズを開発するのに12億5000万円投資しますか?」

こう問われたら「イエス」と答える被検者は激減するはず。
同じことなのにね。

負け戦に追加投資する例ってのは、数知れない。
負けのこんでるギャンブルでさらに金賭けるなんてのはよくあることだ。
バブル末期の土地開発とか。
太平洋戦争もだな。
あと、東京五輪とかねw

たぶん彼女も『コンコルドの誤謬』に陥っているんだろう。
そして抜け出せないでいるのだ。

おそらく、報道された、彼や彼のおかんについてのネガ・ポジ両方のあれこれ(それが真実であるとして)が書かれた釣書を見せられて、「この人物とお見合いしますか?」と尋ねられていたら、彼女を含め多くは、見合いをすることも、もちろん結婚することも、躊躇うに違いない。

要は、合理的な結論を出すには、結果を考えろということなのだが。
このことは、経済活動に限らず、結婚、出産を含め、人生における決定の必要なあらゆる局面において真実だ。

ちなみに、先の問いで「イエス」と答えてしまった人は騙され易い消費者である可能性が高いそうである。

あなたはどっち派?

どっちが好き?
やみくもにマンセーするのと、やみくもに批判するのと?

トモコはどっちも嫌いだし、どちらも同じだと思う。
対象を全く理解していない行為であるという点で。

やみくも批判のほうが、批判者がスノッブを気取っている(K工芸さん的な表現をすると、「スノッブを気取れる私」に酔っている)点において、より悪質度が高い印象があるけれど。

ちょっと前から(前ログでお察しくださるブロ友さんは多いと思いますが)、いろいろ気に障ることがありまして。

というのは、トモコ自身が、常に批判にさらされたり、感想を述べられたりする立場であるわけでして。

半年に一度、なんちゃらアンケートなるものを取られるわけですよ。いまはどこでもそうですが。
ま、トモコはツボを押さえるのがうまいので(笑)、相当評価は高いのですが、でも毎回、むかっ腹が立つ。

特に、自由記述なるものが、「もっと早く(早い時期に、の意)冷房を入れてください。暑くて集中できません。」とか、それ、わたしの責任なんですか的なものから、「これはどこが就職に役に立つのですか(原文ママ)」的な、たとえれば、肉屋をやってたら、魚が置いてないからけしからんと客にキレられた、なにそれ的wなものまで、さまざま。

「○○とおっしゃってましたが…」シリーズwみたいに、そんなこと一言も言ってへんねん、幻聴があるなら病院行くことをオススメします的なものや。

あと、「英語が不得意な学生もいるので、英語の例文を出すのはいかがなものかと思います」とか、言い回しだけはちょいとキメてるけどw、でも、トモコはそこは心得ているので、中学3年生までの学習指導要領に載ってるものしか扱ってないから、そういうオマエが一番恥ずかしいの分かってんの、みたいなのも。

だから分かるんです。
学芸員さんたちの苦労が。

世間の多くには誤解されているけれど、トモコのメインの仕事は人前に立つことではない。
それは、お金を稼ぐためにやってるだけなんだな。
トモコのメインの仕事は研究なんです。
でも、人文系はお金にならないから、ま、しかたなく人前に立っている。

収入源の多くは客から納入されるお金だから、当然、ある程度大衆迎合的になることを要求される。
それは仕方ない。
でも、すっごく悔しいし、それに流されたくはない。いっそ流されるほうが楽だし、思いっきり流されてる向きも多いけど。
でもトモコは、可能な限り、自分の矜持がぎりぎりに保てる程度に、そこに専門性をつっこむ。トモコしかできない何かを。

学芸員さんたちも、彼ら、研究者なんですよ。
でも、美術研究なんて、単独では金になるわけもなし。
企画する展覧会の入場料収入が頼り(のひとつ)。

できるだけ多くの入場者を稼ぐには、大衆迎合的な企画をたてるしかない。

そもそも、組織内で企画を通すのに、予算を握ってるシロートどもを説得する必要があり、「三菱一号館」とか企業系の美術館なんか、素養のない(と断定してはいかんのかもしれんが、ま、たいした期待はできない)おっさんども相手に、たいへんだろうと思う。

だから、現在、東京都美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」はすごいと思ったわけです(ココ、起承転結でいうと「転」、なw)。

学術的な性格をきちんと保ちつつ、ゴッホとかゴーギャンとか、バカでも知ってる日本人に人気の画家を取り上げることで、シロート層の取り込みも目論んでいるってとこが。

これはトモコはレビューにちゃんと書いている(が理解できない御仁もいらしたらしい)つもりなのですが、この展覧会、学術的な意味合いの強い展覧会であって、いわゆる「名品展」ではないんです。

おそらくこの展覧会、展示室最後のゴーギャンのヒマワリを見せたいんです。
それがこの企画の出発点であったと思う。間違いない自信がある。

一時期、共同生活をしていたゴッホとゴーギャンですが、二人の関係は良好ではなかった、というのは、ゴーギャン側の書簡で明らかで、それは従来から言われていたこと。

しかし、もしかしたら必ずしもそうじゃなかったかも…という新しい切り口を開いたのが、この展覧会。
美術研究だって、進化していくんです。

その鍵となるのがゴーギャンのヒマワリ。

この作品、ヒマワリというモチーフ、ヨーロッパ風の(ゴッホがゴーギャンに用意したものと似た)椅子、背景のクロスを彩る青い絵具、と、ゴッホを連想させるアイテムに溢れています。

それを、タヒチに移住して自らの芸術を追求し、満足の極みにあったはずのゴーギャンが、タヒチで死ぬ2年前に描いたんです。

しかも、象徴主義的(ミューシャとか、「黄金のアデル」の彼とか、な)な芸術思想を持った彼(だから、この展覧会の英題が「Reality and
 Imagination」なわけで、前者がゴッホ、後者がゴーギャンを示しているわけさ)なら、心象風景、みたいな感じで、現実には無い風景として描くことも可能だったのに、彼、この絵を描くためにわざわざヒマワリの花を取り寄せたらしいんですよ。「写実」に拘ったわけです。

つまり、確固とした意図を持って描かれた、おそらく何か彼にとって意味を持つであろう作品なわけです。
大作ではないけれど。

その意味はなんだろう?

そこから始まったのが、この展覧会の企画だったのだろうと、トモコは感じます。

それを、名品展風でないから、つまらないとか、残念とか、どういう言い方だったか忘れたけど、確認しに行きたくもないけど、そういうのって、批判に値しない。

だって、この企画、名品展であろうとしてないわけですから。

魚を売るつもりのない肉屋に対して、魚売ってないのがけしからんとほざくようなもので、自らの愚かさを誇示(笑)しているだけでしょう。
その滑稽さに気付くほどの知恵を持たないのが幸せってもんでしょうけれど。

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