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古代日本〜邪馬台国&出雲王朝〜
邪馬台国関係の本は数多く出回っていますが、古代出雲関係の本はそう多くは出ていないのが現状です。もっとも、それは出雲地方の考古学において20〜30年しか発掘の歴史がないからと言うのが大きな理由であるのですが。それも、出雲神話が考古学会において馬鹿にされてきたため信憑性がないと判断されていたのが大きな原因です。 現実は荒神谷遺跡を始め数多くの遺跡が発見され、果てには出雲大社の空中神殿すら実証されてしまった。つまりこれは日本神話というものが、現実に存在した歴史であるという証拠であると言っても過言ではないだろう。 出雲の考古学的発見はこれから暫くは続くことだろう。何しろ日本国内において大規模な製鉄が可能であった地域は古代であろうと戦国時代であろうと出雲及び吉備付近しかなかったのだから。
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はじめまして。元々日本史はあまり好きではなかったのですが、神話と実際の歴史の関係について、最近色々な本を読んで興味を持ち始めました。日本史における出雲の重要性は、北九州や大和に匹敵するのではないかと思えます。もっと本を読んでみたいですね。
2007/3/22(木) 午後 5:25
圭三さま>私の地元出雲は本当に不思議なところです。歴史的にも文化的にも・・・。私は元々は戦国史が好きだったのですが、尼子氏と出雲(杵築)大社との関係から始まって遡っていき出雲古代史に興味を持つようになっていったのです。古代出雲の本がもっと出てきたら古代日本史はもっと面白くなるでしょうね。
2007/3/22(木) 午後 8:52
そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。 しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、この地がいかに先進地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。
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[ 慎太郎 ]
2008/6/2(月) 午後 2:09
出雲地域で現存する神社であれ仏閣であれ、整備されたのは尼子氏の統治時代におけるものです。事実、出雲大社の造営や清水寺、鰐淵寺などへの出資(領地寄進など)・・・と、基盤整備は尼子氏時代行われたわけで、現代でもその影響は色濃く残っています。特に出雲国東部では曹洞宗や臨済宗が圧倒的なシェアを保っています。これは尼子氏の保護などによるものが大きいでしょう。 またその反面、整備が進んだ結果古代からの継承されてきたものが多く失われたのも事実です。社寺はそれぞれ尼子方、毛利方へ味方し相争ったので焼き討ちなどで多数の(古代から受け継いできた)文化財が消失しています。 しかし、地下に保存されていた古代出雲の栄華の証が近年多数発見されている為、失われたものを上回ることになるであろうと思われます。
2008/6/2(月) 午後 7:31
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はじめまして。元々日本史はあまり好きではなかったのですが、神話と実際の歴史の関係について、最近色々な本を読んで興味を持ち始めました。日本史における出雲の重要性は、北九州や大和に匹敵するのではないかと思えます。もっと本を読んでみたいですね。
2007/3/22(木) 午後 5:25
圭三さま>私の地元出雲は本当に不思議なところです。歴史的にも文化的にも・・・。私は元々は戦国史が好きだったのですが、尼子氏と出雲(杵築)大社との関係から始まって遡っていき出雲古代史に興味を持つようになっていったのです。古代出雲の本がもっと出てきたら古代日本史はもっと面白くなるでしょうね。
2007/3/22(木) 午後 8:52
そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。
しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、この地がいかに先進地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。
[ 慎太郎 ]
2008/6/2(月) 午後 2:09
出雲地域で現存する神社であれ仏閣であれ、整備されたのは尼子氏の統治時代におけるものです。事実、出雲大社の造営や清水寺、鰐淵寺などへの出資(領地寄進など)・・・と、基盤整備は尼子氏時代行われたわけで、現代でもその影響は色濃く残っています。特に出雲国東部では曹洞宗や臨済宗が圧倒的なシェアを保っています。これは尼子氏の保護などによるものが大きいでしょう。
またその反面、整備が進んだ結果古代からの継承されてきたものが多く失われたのも事実です。社寺はそれぞれ尼子方、毛利方へ味方し相争ったので焼き討ちなどで多数の(古代から受け継いできた)文化財が消失しています。
しかし、地下に保存されていた古代出雲の栄華の証が近年多数発見されている為、失われたものを上回ることになるであろうと思われます。
2008/6/2(月) 午後 7:31