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日本社会の死刑執行人「枝野」の法令解釈が、 政府の法令解釈となる、 恐怖体制の準備が整えられた。 フランス革命のロペスピエールが、 内閣法制局長官の代わりだという。 フランス革命とは 人間の文明社会の発展ではなく
その逆の野蛮への退行という大実験を狂気で実行したものである。 例えば、ジャコバン党の教義は 無差別殺戮というテロリズムが「徳性」の発露であり 「正義」の強調だ と見るものであるが、 これは、二十世紀に誕生した「マルクス・レーニン主義」の原型であった。 この教義(ジャコバン主義)は、主として十八世紀の「啓蒙思想家」の思想が起源である。 すなわち、ルソーを筆頭に、ヴォルテール、ダランベール、ディドロたちの哲学こそ フランス革命の暴力/破壊/独裁の源泉であった。 この意味で、ジャコバン主義は、 ジャコバン党のリーダーのロベスピエールと このロベスピエールが熱烈に崇拝したルソーとを組み合わせて、 「ルソー・ロベスピエール主義」と呼ぶ方べきである。 (中略) ジャコバン党の ロベスピエール や サン=ジュスト(ロベスピエールの同志)らは、 テロリストなのだが 単なるテロリストではない。 彼らは、ルソーらの「啓蒙哲学」をもって唯一の正しい教義であるとみなし、 またすべてのフランス人がそれを認め信奉する時に この「啓蒙哲学」が描く理想社会が実現するとの信念をもっていた。 しかも、彼らはみずからを「真理」の会得者、つまり「救世主」と狂信しており、 なおかつ、すべてのフランス人が同一の「信仰」を共有すべきだと狂信していたから、 彼の立場を批判する者や、無関心な者すべては、 「真理」を冒涜する者と断定され、「犯罪者」とみなされた。 ロベスピエールらのなした大量・無差別の殺人(テロ)行為は、 この「犯罪者」の一掃が目的の「宗教活動」であって、 生きた人間を「生け贄」にすることによって 「真理」への責任を誠実に履行している、 と狂信されていたのであった。 中川八洋著「正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒(徳間書店)」より 文の言い回しは、原意を損ねない範囲で適宜改めた。 原文は、 http://kagami-ninken.iza.ne.jp/blog/entry/1136969/ http://kagami-ninken.iza.ne.jp/blog/entry/1137013/ このロペスピエールそっくりな「枝野」が、憲法判断・・・ 官房長官の憲法解釈に不安? 枝野行刷相が答弁http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100213ATFS1202M12022010.html 平野博文官房長官は12日の記者会見で、枝野幸男行政刷新相が「法令解釈に関する事務」を担当すると発表した。内閣法制局長官の国会答弁禁止に伴い、憲法解釈を巡る国会答弁でしどろもどろになる場面が目立った平野氏に代わり、今後は枝野氏が答弁を担う。10日の同相就任の際に鳩山由紀夫首相が指示した。
「政治主導」を掲げる鳩山内閣は1月、国会審議に出席できる政府特別補佐人から内閣法制局長官を外した。このため、憲法解釈を巡る答弁は平野氏が引き受けてきたが、天皇の公的行為について野党から質問を浴びせられると「法律的観点で答えないといけないので後刻答える」。こうした答弁ぶりに与党内でも不安視する声があがった。 平野氏は会見で、枝野氏について「民主党憲法調査会(会長の経験)や弁護士であるところも含め、一番適任ではないか」と評価した。自らが担当から外れることには「私も(答弁が)プロに近くなってきたんだが残念だ」と強がった。(00:06) これは、枝野が実質的に仕切ってつくったものである。 そこには、こんな文言が並んでいる ・新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力>
・「国家主権の移譲」あるいは「主権の共有」という新しい姿を提起 ・私的領域とされた社会や組織の中での人権保障 ・「寛容な多文化社会」 ・憲法とは、国家権力の恣意や一方的な暴力を抑制すること ・新しいタイプの憲法は、国のあり方を示す一種の「宣言」 ・法規範としてそれを侵すならば、それに相応しいペナルティが課せられる「法の支配」 ・憲法には、国民の強い意志がそこに反映されることが重要 ・自己決定権 ・独立した第三者機関としての「人権委員会」の設置を憲法に明記 ・人権保障機関には、強制手段を含む救済訴訟の機能を付与 ・「差別禁止」が私人間であっても適用できるものへと憲法及び関係法の見直し ・メディアによる人権侵害に対しても、一定の厳格な要件の下で強制調査の権限を与える ・企業は家庭と仕事の両立を理由として差別的な待遇を行うことは禁止、年齢や性別による差別を禁止 ・外国人の人権についてその保障を明確に ・土地・エネルギー資源・自然環境資源などの財産権の制約 ・「子どもの権利保障機関」の設置 ・国家と宗教との「厳格な」分離 この「狂気」が、政府の公式見解の下敷きになるのである。 これだけでは、意味が分かりにくいと思うので、 普通の言葉に翻訳しておこう! ・新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力> → 国はいらない、日本はいらない、空想を強制する ・「国家主権の移譲」あるいは「主権の共有」という新しい姿を提起 → 中国・韓国のいいなりにする。日本人は2級国民に格下げする ・私的領域とされた社会や組織の中での人権保障 → 家庭の中、友人関係、会社の中、あらゆるところを統制する ・「寛容な多文化社会」 → かわいくない女、草食男子、粗暴、不潔、犯罪者、不道徳、親不孝などを奨励する ・憲法とは、国家権力の恣意や一方的な暴力を抑制すること → 秩序は命令でつくるということ。道徳は廃止。小沢主義。 ・新しいタイプの憲法は、国のあり方を示す一種の「宣言」 → フランス人権宣言のように空想に酔う。守れない宣言をどんどん出す。 ・法規範としてそれを侵すならば、それに相応しいペナルティが課せられる「法の支配」 → 空想に従わなかったギロチンに送る。 ・憲法には、国民の強い意志がそこに反映されることが重要 → 人民裁判でつるし上げる。 ・自己決定権 → 人の言うことなど一切聞かなくていい。働かなくても給料は払え。 ・独立した第三者機関としての「人権委員会」の設置を憲法に明記 → 「差別」といえば、どんな無理でも通せるようにする。 ・人権保障機関には、強制手段を含む救済訴訟の機能を付与 → 糾弾に逆らったら、抹殺してもいい。 ・「差別禁止」が私人間であっても適用できるものへと憲法及び関係法の見直し → 言論の自由を剥奪する。どんな区別であっても告発して、糾弾できるようにする。 ・メディアによる人権侵害に対しても、一定の厳格な要件の下で強制調査の権限を与える → 報道の自由を剥奪する。どんな揶揄であっても告発して、糾弾できるようにする。 ・企業は家庭と仕事の両立を理由として差別的な待遇を行うことは禁止、年齢や性別による差別を禁止 → 家庭の事情でということなら仕事をさぼってもいいようにする。労働者地獄にする。 ・外国人の人権についてその保障を明確に → 日本人を2級国民に格下げする。 ・土地・エネルギー資源・自然環境資源などの財産権の制約 → 私有財産をいつでも取り上げられるようにする。社会主義に移行する。 ・「子どもの権利保障機関」の設置 → 子供へのしつけを禁止する。教育を禁止する。 ・国家と宗教との「厳格な」分離 → 宗教を廃止する。死者はモノに過ぎない。 ああ、友愛。 ついでなので、先の文も翻訳しておくと! 民主党革命とは日本社会の発展ではなく その逆の野蛮への退行という大実験を狂気で実行するものである。 例えば、差別廃止というテロリズムをもって「徳性」の発露であり 「正義」の強調だと見る民主党過激派(旧社会党の残党)の教義は、 18世紀に誕生した「フランス革命」への先祖がえりであった。 この教義(”民主”主義)とは、主として戦後教育の「日教組」のその思想を起源としている。 すなわちルソーを代表としてモンテスキュー、JSミル、マルクスたちの哲学こそ 民主党革命の暴力/破壊/独裁の源泉であった。 この意味で、”民主”主義は、民主党過激派(旧社会党の残党)のリーダーの枝野と この枝野が熱烈に崇拝したルソーと宮沢(東大教授・憲法)とを組み合わせて、 「ルソー・宮沢・枝野主義」と呼ぶ方がはるかにわかり易い。 (中略) 民主党過激派(旧社会党の残党)の枝野や仙石(枝野の同志)らは、 テロリストなのだが単なるテロリストではない。 彼らは、ルソーらに代表される「受験勉強」をもって唯一の正しい教義であるとなし、 またすべての日本人がそれを認め信奉する時に この「受験勉強」が描く理想社会が生じるとの信念をもっていた。 しかも、彼らはこれをもってみずからを「”民主”主義」の会得者つまり「政治主導」の体現者と狂信していたから、 そして、国民全員が同一の「妄想」を共有すべきだと狂信していたから、 彼の立場を批判する者や、無関心な者はすべて、 相違する意見の持ち主などとみなされず、 「”民主”主義」を冒?必する者と断定され「ウヨク」とみなされた。 枝野らのなした大量・無差別のテロ行為は、 この「ウヨク」の一掃が目的であって、 彼らにとっては生きた人間を「仕分け」することによって 「”民主”主義」への責任を誠実に履行しているのであった。 中川八洋著「正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒(徳間書店)」より改作 http://kagami-ninken.iza.ne.jp/blog/entry/1136969/ http://kagami-ninken.iza.ne.jp/blog/entry/1137013/
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2010年02月13日
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私は以前から思っていることがある。 私は島根県民であり、支持政党も自民党で、地元の人間のほとんどが自民党支持層(もしくはつながりがある層)で、自民党以外の選択肢を考えること自体ありていに言えばありえない世界にいた。 自民党選出議員(というより、我が地元では自民党以外が選出されることは100%ない)は、地元の名士であったり、地元商工会や農業界に通じた人物であり、バックアップする人間が多いからである。もちろん、それには親戚付き合いや同期との付き合いなども関係してくるのだから、当然そういうしがらみがある我が地元では自然とオール自民党状態になるわけだ。 まぁ、いざ選挙ともなれば労働組合の付き合いやら職場の付き合い、選挙の争点などで民主党や共産党に票は入るわけだが、それだからといっても極論言えば、自民党勢力は選挙活動しなくてもほぼ勝てる状態にあるのは変わらない事実である。 そして、次の選挙というものを意識せずとも国政や地元への利益誘導が安定して行えるのが我が地元の島根県であると認識している。まぁ、こういう地域は稀有の存在であり、だからこそ自民党最後の砦と言われる所以であるのだが。 さて、そんな私は自分のところの自民党と国家規模の自民党では異なるものであると最近は考えている。 半世紀にわたって日本国家のかじ取りを行ってきたのは自民党とその系統の政党であった。自民党は結党時には高潔な精神と目標と理念を掲げていたが、今は見る影もない。一時期、安倍政権や麻生政権でそのころに回帰しかけていたのだが、結局今のざまである。 そこで思うのだが、自民党とは日本国民そのものなのではないかと思うのだ。私は戦後何とかうまい具合に自民党は国家行政を運用してきたと思っている。そこには日本国民の意思が同調していたからであろうと。安保闘争の時、国論が真っ二つになったが結局政権は自民党のままだった。石油危機の時、国家と国民は一丸となって克服した。バブルの時、国家と国民は揃って浮かれてこの世の春を謳歌した。いつの頃でも政権は自民党だった。そして、どんな時でも安定した政権運営を行ってきた。どれだけ政権にダメージがある事件があろうとも・・・。 そして現代・・・。自民党は国家と国民の現状を示すように衰退している。衰退した結果、どうしようもない屑どもの民主党が政権を握ったり、その屑どもがロクでもない政策を実行しようとしたり・・・。国民はそれを諌めることをしない。自民党も諌めることをしない。いや、諌める国民はいる。しかし、今の自民党と同じでその数は圧倒的に少ない・・・。 自民党を批判する人が世の中にはたくさんいる。だが、それらの人々も事実上自民党を支持してきた人々だ。そして、自民党がロクでもない政治をしてきたという人もいる。それらを容認してきたのは誰なのだ?ずっと自民の世の中であったではないか・・・。自民党しか選択肢がなかったなどというのは言い訳に過ぎない。選挙権は国民に与えられた権利なのだ。選挙はたとえ金がなくても行える。自民党がダメだと思うならそれ以外に投票すればいい。だが、投票する相手が政権政党たる資格があるかどうかを見定めるのは国民である。 国民がダメになってしまったから自民党もダメになってしまったのではないか?だから自民党も衰退し、国家も衰退してしまったのだと私は思っている。
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昨日梅田ヨドバシで買ってきた内装用の壁紙シートを貼り付けてみました。 |
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