いつも思うが、人手が足りなければ女性を宛がえば済むみたいな発想はどうかと思うぞ?
確かに十年前とかに比べればさ、確かに女性の進出はある程度進んでいるし、体力勝負ではなく、体への負担を減らした運搬手段の活用とか進んでいて、ある程度は改善の余地があるかもしれない...だけど、本質的な問題として、そこじゃないんじゃない?って思うのだが。
そもそも、雇用を拡大してもさ、それに対して賃金がどうなの?労働時間はどうなの?って話を放置しているのにさ、どうして雇用をマッチさせて人手不足を解消できるの?
普通に考えて、魅力がない、メリットがないから敬遠されてるんでしょう?
んで、根本的に、路線にしても宅配にしても、賃金もそうだけど、事業資金の原資である荷主からの対価をちゃんと正当な分を支払ってもらってない状態で安く請け負っている現実は未だにこの業界の癌であって改善はされてないよね?
奴隷がいないなら、足りないなら、捕まえてくれば良いみたいな発想でしょコレ。
なんら改善なんてしないよ。
そもそも行政が介入する部分が根本的に間違ってる。輸送単価の適正化を指導することが先。出すもん出さない荷主や安く請け負う業者の徹底指導と罰則強化が基本だ。
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2017年06月24日
コメント(2)
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開戦時の日米の自動車生産能力の比較を見た時、愕然とした。
それと同時に、1918年時点の日米の自動車総保有数を見た時、絶望感を感じた。
だが、それと同時、20年でその差をよくぞここまで縮めたと関心もした。
1918年 日本の保有総数5000両、米帝の保有総数5945000両
1941年 日本の生産総数47000両、米帝の生産総数4840000両
単純比較するべき数字ではないけれど、1189倍から100倍にまで20年で国力差を縮めた努力は素直に評価したい。
この自動車産業の立ち遅れと工業化進展における自動車化の遅れは、日露戦争直後の1906年に発表された論文「軍用上観察したる自動車」に於いて、「自動車は補助的役割で鉄道及び馬匹が輸送の主」という主張がされたことによるものであるそうだ。
しかも、1909年に陸軍省が自動車を輜重科の専用機材と既定したことで、歩兵、砲兵、騎兵、戦車の諸兵科が自動車を軽視し更に自動車化が遅れる原因となった。
であるが、自動車の有用性を陸軍当局が理解できなかったわけではなく、翌1910年に試作命令が出て、翌1911年に初の国産自動貨車である甲号自動貨車が完成している。
数字だけ見ると確かに国力の、工業力の遅れが目立つけれど、時系列で考える限りは、可能な限りのブーストを掛けて自動車化を進めていた事実が浮かび上がってくる。
ついでに言えば、同時期に戦車開発なども同時並行でしかも不況の緊縮財政で予算を絞られている状況であるということを加味すると、当時の陸軍当局や工業界の努力が並大抵のものではないと思え、敬意を表したい。
なのだが、やっぱりこの時点で戦争なんて無理よと思うのが常識的判断だろうけれど、頭に血が上った世論とそれを煽った朝日新聞以下のマスゴミどものお陰で正常な判断ができなかったのだなと・・・。
あぁ、それと、当時の日本人がそもそも現代から考えるとチート補正されている存在だったというのも影響してるかも。平気で一日何十キロも進軍するし、米俵を平気で抱えることが出来たし。そんなチートな連中がトラックの必要性を感じなかったという可能性を否定出来ないんじゃないかと思う。
だって、例の論文なんて「まともな道路なんて、そもそもねーんだから、トラックよりも小回りの利く馬匹や人力の方が効率いいだろ?大量輸送なら鉄道で十分だし。」って発想じゃなきゃ、あんな主張するわけない。
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この爺さん、嘘つきだわ。
召集、つまり兵役を終えて在郷軍人だった状態から現役復帰を命じられてるわけね。
国を守るために入った軍隊って言葉は、志願して軍人になった人間の言葉であって、徴兵・召集された人間の吐く言葉ではない。
政府、軍上層部の批判をしているけれど、早期終戦って自分達が願って出来ることじゃないし、相手の条件と戦局とこちら側の絶対条件が合致しなければ、絶対に終わらない。
んなこと、末端でもわかってるはず。特攻隊で出撃した学徒出陣のインテリ層は、自分の命が講和の取引材料と割り切っていた。
沖縄戦の時点で、いや、マリアナの時点で、とっくに戦争終結条件、降伏条件は、天皇の生存確約と国体の護持に集約されていた。あとは、それを担保するための戦果を上げて出来るだけ戦後に有利になるようにというそれだ。
要するに、マリアナ以後の戦で犠牲になった全ての軍民は、講和条件の贄だった。贄を差し出すことで、相手を1人でも多く道連れにして、大和民族という恐怖を植え付けることが講和への近道になっていった。
そのための本土決戦の準備とそのための捨て石である沖縄だ。だからこそ、硫黄島の様に持久による徹底抗戦をさせたし、そのための増援も送った。数十回にも及ぶ航空、水上、水中からの特攻も行われた。
全部、講和するための条件作りだ。
死ぬ前に嘘吐いたり、マスゴミに都合が良いことを垂れ流すくらいなら、黙ってあの世に行けよ。この爺は第二第三の吉田清治になりたいのか?
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大いに結構❗
もっとやれ。ひっくり返してくれるなら、それでうちが損することはなにもない。
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沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り転載するにも値しないゴミみたいな内容なので、リンクのみで。
一言目、祈っても無駄。無意味。
二言目、戦争が嫌なら負けない軍事力、国力を備えるしかない。
三言目、負け戦なんて二度と繰り返さないのは当たり前。
四言目、平和なんて所詮はまやかし。一歩外出れば無法地帯。
これが理解できていないから、こんなゴミみたいな戯言をいつまでも垂れ流す。
なんで沖縄で地上戦になったか、考えればわかるだろう?基地があろうがなかろうが、関係ない。そこに沖縄という地政学的、戦略的に重要な土地があったからだ。
仮に帝国陸海軍の基地がなかったとしても、米帝は沖縄本土で適当な土地を更地にして基地を造成しているだろうし、占領軍にはその権利がある。
沖縄が戦火に焼かれない方法があったとしたら、帝国陸海軍の守備隊を全滅させて非武装で米軍に降伏するくらいだっただろうな。
ただし、その結果は、日本本土を完全に敵に回すことになり、米帝から返還された後は復讐されていただろう。それこそ、徳川家康の「元通り」が如くね。
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