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秋上は 富高らかに 相かして 思うことなく 長生きせん
その通り。だが君は考え違いをしている。我々は悪ではない、善なのだ。

書庫出雲・・・我が故郷

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旧大社駅・・・。

平成の御代になってすぐに廃線廃駅となった大社線と旧大社駅。
最盛期には長大な優等列車が長躯東京・大阪・名古屋からやってきた名門中の名門駅。当然、その駅舎も豪華な駅舎である。まさに神話の都である出雲大社の表玄関に相応しい造りといえる。

しかし、現在はこの駅に来る列車は無い。だが、この駅は確かに生きている。やってくる数は少ないのだが『乗客』は確かにいるのだ。私もその『乗客』の一人。私が到着した時には先客がいた。雨の中であるにもかかわらず、せわしなく駅構内を行き来している。同業者だ。どうやら北陸の人らしい。わざわざ遠くからやってきた『乗客』だ。彼も私と同様、駅構内を歩き回り、写真を撮り、駅舎を駅構内を、そして出雲大社方面と出雲市駅方面(旧大社線の廃線跡)を眺めていた。

写真を見て貰えれば少しはこの駅の魅力を感じて貰えるだろう。

構内に停車しているD51−774は元々出雲大社境内に置かれていたものだが、いつの頃かここに転配された。出雲大社境内に置かれていた頃は何度か運転台に入った様な記憶がある。

出雲市駅方面の旧大社線廃線跡は現在はよく整備された高規格道路となっている。正月にはこの道路は渋滞となる。今も場所によっては廃線跡が残っているようだが、道路へ改造されてしまった部分も多いらしい。旧大社線の途中駅もホームなどが残っているそうだ。また機会があれば廃線跡をあるいてみたいものだ。

駅構内の鉄板(階段蓋)には、因幡の白兎と蒲の穂が刻印されていました。現役当時からあったものかは分かりませんが、神話の都の表玄関たる旧大社駅に相応しい趣向ではないかと思います。

第二部は駅舎内部を記事にします。

出雲大社平成大遷宮

しまったなぁ。東京なんぞ行かずに出雲に行けばよかった。

大遷宮のことをすっかり忘れていた。

60年に一度の大遷宮。次は皇紀2728年。つまり2068年のことだ。私自身が生きている可能性はかなり低い。

生涯最大の失敗だ。

しかし、まだチャンスは残されている!

<出雲大社御本殿特別拝観>
○期 間
・4月21日(月)〜4月23日(水)
・4月26日(土)〜5月6日(火)
・5月13日(火)〜5月18日(日)
・8月 1日(金)〜8月17日(日)
○時 間  午前9時30分〜午後5時
(受付時間 午前9時から午後3時30分まで)

<祭典日>
4月21日(月)仮殿遷座奉祝祭 (正午頃〜拝観ご案内予定)
5月1日(木) 月始祭 (祭典終了後、午前11時頃より拝観ご案内予定)
5月14日(水)例祭  (祭典終了後、午後2時頃より拝観ご案内予定)
5月15日(木)例祭二之祭(祭典終了後、正午頃より拝観ご案内予定)
5月16日(金)例祭三之祭・出雲屋敷感謝大祭(祭典終了後、午後1時頃より拝観ご案内予定)
5月18日(日)御神楽祭(祭典終了後、午前11時頃より拝観ご案内予定)
8月1日(金) 月始祭(祭典終了後、午前11時頃より拝観ご案内予定)
8月5日(火) 御神楽祭(祭典終了後、午前11頃より拝観ご案内予定)
8月6日(水) 出雲大社教大祭(祭典終了後、午後1時30分頃より拝観ご案内予定)
8月7日(木) 出雲大社教大祭(祭典終了後、午後1時30分頃より拝観ご案内予定)
8月15日(金)爪剥祭 (祭典終了後、午前11時頃より拝観ご案内予定

これは行かねばなるまい!
行かずして出雲人を語れるか。5月18日の御神楽祭は外せない。

というわけで、5月は出雲へ!

石見銀山の逆転登録!

石見銀山、見事な逆転勝利で世界遺産登録へ

【読売新聞】
国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は28日、クライストチャーチ・コンベンションセンターで新規登録の審議を行い、日本が推薦した島根県大田市の「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録を決めた。

 同遺跡はユネスコ諮問機関から「登録延期」を勧告されたが、日本政府などの働きかけもあり、“逆転登録”となった。日本の世界遺産登録はこれで14件目で産業遺跡では初めて。

 同遺跡については、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」が5月、遺跡の普遍的価値の証明が不十分として、「登録延期」を勧告した。日本側は「李氏朝鮮の国史やヨーロッパの地図などで、銀山が東西の文明に影響を与えたのは明らか」などと反論していた。


我が国と地元の大きな勝利だ。

欧州の大航海時代を、我が国の戦国時代そして江戸時代を支えた石見銀山が産業遺産としての世界遺産登録が決まったことは喜ばしいことだ。

石見銀山の世界遺産登録に祝杯だ!

やっぱり元就が一枚上手だった

久々に97年の大河ドラマ毛利元就総集編DVDをみました。今日は第二部まで。尼子家の郡山城攻め失敗とその後の大内家の出雲攻め失敗までですね。

尼子家にしても大内家にしても当主の能力云々が問題ではなく、国力云々が問題でもなく、結局のところ毛利元就の策謀が一枚上手だったということですね。

我々島根県民の戦国ファンで、尚且つ信長の野望シリーズファンは7割方が尼子家支持派ということだそうですが、事実そうだと思われます。残りの2割は毛利家支持派、1割がその他という結果を見ると改めて納得できます。

そして、信長の野望シリーズで尼子家と毛利家を比較すると家臣団の質はそんなに気にならないですが、智謀(ようするに策謀)で圧倒的な差が開いてます。それも元就一人がために。

なんてことを考えていると、島根・広島・山口を旅したくなってきます。大河ドラマ放映当時に関係する土地のほとんどを巡っていますが、何処も彼処もいいところです。

錯覚かどうかは分かりませんが、吉田郡山城とその周辺は行ったこともなかったのに何処に何があってどう行けばいいのかが分かっていたのには驚きました。当然、その景色も始めて見るのに以前に見た記憶があるかのようでした。こういうのをデジャヴとかいうらしいですが、どうなんでしょうねぇ?ふしぎなもんです。

もう一つの大銀山

 15〜17世紀にかけて地球の裏側にある欧州は大航海時代といわれる空前の大貿易時代だった。日本においても遅れながらも1540年代から本格的に大航海時代に突入した。鉄砲伝来、キリスト教伝来、欧州文化や文物の流入。

 そんな時代に欧州と日本の大航海時代を支えた貴金属が存在した。そう、銀である。洋の東西を問わず当時は銀貨幣による商業取引が主であった。そしてそれを支えたのが、日本の石見銀山と南米ボリビアのポトシ銀山である。

 ポトシ銀山を始めとする中南米の銀山から産出された銀はイスパニア(スペイン)へ運ばれ、そこから欧州各地へ流れた。この銀のおかげでイスパニアは欧州内における超大国へと躍進した。また、銀の価値が下がったために起きた激しいインフレはそのまま活発な商取引を誘引した。これにより、欧州の商取引は大きく発展したといえる。

 日本では、石見銀山は『灰吹き法』により、銀の産出量が増大し、戦国大名は競って鉱山の開発と奪い合いを行った。石見銀山を巡る激闘はそのころから始まり、周防の大内氏、出雲の尼子氏、安芸の毛利氏、石見豪族の小笠原氏の巨大勢力が毎年のように銀山周辺で大合戦を繰り返した。

 石見銀山で本格的に導入された灰吹き法は、その後、佐渡金山や生野銀山など日本中の鉱山に伝わり、軒並み生産量が拡大した。これにより、豊臣秀吉の全国統一から江戸時代初期にかけて豊富な金銀により日本経済も景気と生産性が拡大し、財力に余裕が出た商人は海外へ進出して行く。まさに日本の大航海時代と言ってよかった時代だ。

 その後、鎖国されたが石見銀山の銀の産出量は他の鉱山の産出量より多く、幕府財政を支えていくことになる。

 そんな15〜17世紀の世界を支えた石見銀山を世界遺産からはずすというのはおかしいんじゃないの?物的証拠を出せといっているけど、あらゆる形に変えて今は存在していない石見銀を探すのは難しいと思うよ?その当時の繁栄と産出量を示す資料等があれば十分ではないだろうか?

 私はそう思う。

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