掌編の小箱

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 くるみは今どこにいるのだろう。何をしているのだろう。あるいは、何時、どこで死んだのだろう。
 もう気にしているのは私だけかもしれないと思うと、たまらなく胸が痛む。
 それでも、もう探しにはいかない。私は決めてしまった。
 探しに出たところで、私たちの世界を覆う暗い陰りがすべて消えうせ、何もかもが正しい姿に立ち返る日など決して来ない。すべては今このときも変化しているのだから。目の前にあっても。両腕の中に抱きしめていてさえも。
 だから、信じるしかないのだ。
 カタチのないものをを。その場限りの嘘とモノガタリでしか語りえない、たった一つの本当のことを。
 そうして私たちは暗闇の中で、存在のダンスを踊るのだ。運命を、生命を、あるいは、私自身の死を腕に抱いて。
 もうおわかりだろう。夜明け前の散歩は、私なりのダンスなのだ。くるみのようにもヨハンセンのようにもなれない私が、自分の身体を媒介に、世界と、自己を超えたものと触れ合おうとする、真剣なゲームなのだ。
 毎日の散歩のゴールは、砂澤ビッキの『四つの風』だ。
 ビッキ自身の望みによって、風化するにまかせられた白木の柱は、この数年のうちに相次いで倒れ、今暁の下に見える柱は二本。残りの二本は足元の暗闇に横たわっている。風化と腐朽に打ちのめされたその姿を、今は暗闇が隠してくれている。
『四つの風』は死につつあるのだろうか。死に至る過程にあるというなら、生きているものすべてがおなじ道を歩いている。
 倒れた柱は死んだのだろうか。薄皮のような表面だけを残して、あたり一面におがくずみたいな内臓をぶちまけている柱は、すでに死んだ、終わった存在だろうか。
 きっと、終わりなどどこにもない。おがくずの一粒一粒が虫に噛み砕かれバクテリアに分解され土に戻っても、まだなおそこから始まるものがある。
 四つの柱がすべて倒れたとき、初めて私たちは隠されていた主題を知るのかもしれない。
 木立の向こう、東の空で雲が流れ、曙光が空の闇をかき消す。暁が朝に変わる劇的な一瞬、ひとつの柱の頂から一羽のヤマガラが飛び立つのを私は見た。
 鳥は、いつからそこにいたのだろう。私がここにいたことを知っていただろうか。
 こんなふうにして私たちは、気づかぬうちにまた何度も出会っているのかもしれない。
 木立の中に消えていく翼に、私は小さく呼びかける。
「おーい、くるみ」と。
 もちろんそれは、とるにたらないファンタジーだけれど、私たちが生きていくためになくてはならないものだ。それはもちろん事実ではないけれど、確かに真実のかけらを含んでいる。この世界を生きるに値する場所にしているのは、そんなファンタジーのかけらたちなのだ。
 嘘と知っていてもいい、その場限りでもいい、もし信じることができるなら、世界は今眼に見えているよりも、もっと美しいものになる。
 そうじゃないだろうか。
                                                        終

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 暗闇の中私は目覚める。芸術の森、レンタル工房や研修施設が木立の中に並ぶ一角を、灯りも持たずに歩きだす。アトリエの一つを借りてそこで二ヶ月あまり暮らすうちに、夜明け前の散歩が私の日課になった。アップダウンをくりかえす曲がりくねった道だけれど、灯りなどなくても、足がしだいにカタチを憶えていく。

 本当はまだ立ち入ってはいけない野外美術館、その曲がりくねった坂道を、記憶だけを頼りに歩いていくのだ。

 一歩一歩の歩みが、ときにはあやうく、たいがいは何事もなく私を運んでいくのだけれど、ふと思う。踏まなかった場所には何があったんだろう、と。

 今まで起こる機会のなかったすべての奇跡ががそこに、私の通らなかったすべての場所に埋もれている、例えばそんな考え方はどうだろう。
 とんでもない楽観論のようでもあり、ひどい悲観主義のようにも思える。どっちだろう。
 私は知りえない。

 知りえないと知っているから、奇跡を信じていられる。


 その日はきっと、あたりまえのような顔をしてやってくるのだ。昨日とおなじ今日のようなふりをして、少しも突然などではないように。
 そんな奇跡の一日が、この暗がりのどこかに埋もれている。今日は踏んだだろうか、踏まなかっただろうか。
 東の端からしだいに空を染めていく朝焼けは、美しいけれど何も教えてはくれない。その日が迫っているとしても、足元にバナナの皮が転がっているとしても。
 それでも私の胸に、毎日少しずつ、かすかな希望をとどけてくれる。これから始まる一日で、私はそれをどれだけ膨らませることができるだろう。
 まだ明けきらない夜の最果ての、静かで豊かなひと時が私は好きだ。それをなんていうか、みなさんは知っているだろうか。私は、その言葉がとても好きだ。


 最近エカシは店をたたんだ。職人としての仕事に専念し、売るのは若い連中にまかせるという。一度は入院した体だが、近年は至って健康らしい。
 ずっと病院ぐらしだったヨハンセンも、コペンハーゲンのカンパニーの招きを受けて後進の指導に当たるようになった。また日本に行きたい、エカシが元気なら一緒にポケモン・ブラックアンドホワイトで遊びたいだなんて、手紙を書いてきた。
 未明と明子さんのあいだには女の子が産まれた。ひかりちゃんと言う。とてもかわいい。
 晴原先輩は個展のためにフランスに滞在していたとき、人種暴動にまきこまれて死んだ。
 ホテルまるごとの火災で、黒焦げの死体だけが残った。まだ三四歳だった。
 警察は、くるみの捜索を正式に止めた。                      
                                                          続く

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 ただ、会社の人や友人に、付き合っている人はいないのかと聞かれて、専門学校に通っていますと答えるのは恥ずかしい。つまらない見栄だと言われればそれまでだが、サトシのことは言わずに、今は仕事で誠意一杯ですから」なんて、つい話をそらしてしまう。遅くまで残って仕事をしていると、上司や同僚に食事や飲みに誘われることも多い。仕事の話がふと途切れたときに、さりげなく口説かれたりすると、つい気持ちが揺れそうになる。
「真剣なのはわかるけどさ、将来のこととかちゃんと考えてるの」
「どういう意味で」
 問い返されて、私は言葉に詰まる。ほんとうはこう尋ねたかったのだ。
 私のことはどう考えてるの、と。
「あの大学でて、地元の中小企業に受かったところでこんな時代だ、何時潰れるかわかったもんじゃない。そんなことで後悔するぐらいなら、本当にやりたい事をやりたい。それで人生だめになるんなら納得できる。無難な道を選んで失敗したら、後悔しか残らない」
「そういうことじゃなくて」
 サトシは自分で言うとおり、一度夢中になると周りが見えなくなる性質だ。見えなくなるどころか忘れてしまう。イライラしてまた脚を蹴ってしまった。
 あんたの将来の中で私はどうなってるのよ。
 そんな単純なことが、どうしても聞けない。
 私の足癖の悪さにサトシが文句を言う前に、テーブルに食事が届いた。私はローマ風ピザ。サトシはラビオリ。一口食べてから、サトシが言った。
「おまえが結婚するときは、おれがウェディングドレス縫ってやるよ」
「ハア、何それ、意味わかんない」
「たとえ何時になっても誰が相手でも、俺がウェディングドレス縫ってやるよ」
 皿を放り投げてピザを顔にぶつけてやろうかと思った。ほとんど実行しそうになった。
 サトシの覚悟はわかる。彼なりの愛情の表現だというのも理解できる。でも、私が聞きたいのはそんなせりふじゃない。
 サトシはちょっと照れた顔をしてラビオリを口に入れる。その表情がまたむかつく。私の怒りは制御不能になりかけている。
「おまえにぴったりの最高の奴だ。俺だから作れる、俺にしか作れない完璧な奴だ。それだけは、今約束する……それが今約束できる精一杯だ」
 それだって、私の聞きたかった答えとは程遠い。でも、すごく真剣な目をしてそう言うから、大いに不満は残るのだけど、皿を投げつけるのだけは我慢した。
 そんなにいつまでもは待たないからね。
 そう言ってやろうかとも思ったけれど、甘やかすといけないので止めにした。
                                                                                                                                 終


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 待ち合わせの場所に向かう途中でサトシを見つけた。
 駅地下のブティックの店頭で、マネキンに抱きついて生地をなでまわしたり裏返したりしている。背後から近づいて、軽くひざ蹴りをかました。
「よお、早かったな」他人のふりをして歩き去ろうとする私のあとを、片足を引きずりぎみにしながら追ってくる。
「気持ち悪いからついてこないで」
「いや、面白い縫製の仕方してるな、と思ってさ」
「そんなのどうでもいいから、もっと離れて歩いて」
「ごめん、俺、一度夢中になると、周りが見えなくなる性質だから」
「ものには限度ってものがあるでしょう」
 足早に歩きながらそんな言い争いをしているうちに目的の店についてしまった。同じ地下街の中の、石窯焼きのピザ屋。席に着くなり、ショートパンツとシフョンブラウスのコーディネイトを誉められたが、それを喜ぶ気分ではない。
「それだけ熱心なら、さぞかし学校でも成績いいんでしょうね」
「まあな。そりゃ当然だけどな」
 皮肉を言ったつもりがまるで通用しない。
 サトシは三年まで通った大学をやめてファッションデザインの専門学校に入学した。そんな重大なことを、私にはろくに相談もせずに、まるっきり一人で決めてしまった。
「専門学校の成績がよくったって、その後の仕事に結びつくわけじゃない。センスやアイデアを磨くことが大切なんだ」
 ポケモンマスター目指して冒険を続ける少年みたいな目をしてサトシが言う。
 高校一年で知り合ったときから手芸部唯一の男子で、部屋に自分用のミシンを持っている変わり者だったが、ここまでの変人だとは思っていなかった。私服で会うたびに熱心な目で見つめられ、服やコーディネイトのセンスを誉められた。その言葉やまなざしは私をドキドキさせたものだったけれど、思えば彼の情熱はあくまで私の服に向けられたものだったのだ。
 今こうしてピザ屋で向き合っているときにも、彼は手帳を取り出してウェイトレスの制服をスケッチしたりしている。テーブルの下で脚を蹴ってやった。
「それ、趣味の範囲にしとくわけにはいかなかったの」
「もう手遅れだな」
「何にも相談してくれなかったくせに」
「あの時期はおまえも忙しかったろ」
 私は高校を卒業してすぐに就職した。総従業員数が三〇人に満たない零細企業で、総務から経理まで、事務にかかわるあらゆることをやらされている。サトシが大学を退めるころ、会社では先輩が寿退社するところで、いっぺんに増えた責任の範囲に私は溺れそうになっていた。
 たいへんな時期だったが、充実しすぎるほどに充実していた。会社の業務が一通り見渡せる今のポジションは、大変だけどやりがいがあった。
「俺も真剣に選んだことだし、必死にやってるんだ。いつか理解して欲しいと思ってる」
 真顔でそう言われると、不承不承頷くしかない。
                                                                                                                               続く

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掌編:りんご

腹からりんごの木が生えてきた。
痛くはない。ただ、ヘソのまわりがぽかぽかと温かい。
四六時中眠い。光合成しているためなのか、暗くなるとまったく起きていられない。昼間も、頭はしじゅうぼんやりとしている。
やたらに喉が渇くが、腹はあまり減らない。たまに枝からりんごをもいで食べる。だんだん痩せてきたようだが、もともと太りすぎだったので丁度よい。
もう半年も寝たきりで、風呂にも入っていないが、気分は悪くない。ただ、目覚めている時間が日に日に短くなっていく。
そのうち俺は目を覚まさなくなると思う。そこで頼みがあるんだが、どこかの山の水はけのいい土地に、俺の身体を埋めてくれないか。
ときどき水をかけてくれると助かる。

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