生命の海

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不思議な夢の話

 私は、深い暗闇の中にいた。彼女は私の傍らに立っていた。
 美しい女性だった。若くはなかった。むしろ、正しく歳を重ねた者だけが持ちうる知性を、彼女は備えているように思えた。
 私と彼女が親しい関係にあることは、その眼差しでわかった。
 彼女は私の左手をとり、何かを握らせ、こう言った。
「私と一緒に、これを持っていて」
 それは重さもなく、形もないものだった。掌に触れている感触さえなかった。
 それは光だった。
 水のように透明でやわらかな、若草色の光だった。



 だからなんだ、という話ではある。
 こういうもので「覚醒」しちゃったりするのは、自分の影を幽霊と思って驚くのと変わらない。フロイト流儀の公式にあわせて夢分析するのも、多分むだなことだ。

 単に夢は、心的エネルギーの変化の反映だ。そこに意味を付け加えるのは、意識の好む遊びにすぎない。
私に必要なのは、これから訪れるもののために、裏口の戸を開いて待っていること。その名を当てようなどと考えずに、ただ注意深く、柔軟であることだ。
どんなに意識が混濁したときでも、頭蓋の中心に、静かで冴え冴えとした一点がある。
頭頂からの垂線と眉間からの水平線が交差する場所だ。

普段の私は歩行困難なのだが、その一点から身体を吊り下げるようにイメージすると、案外にまともに歩ける。

その一点に意識を持っていく。集中するのではなく、ふんわりと花が開くようなイメージで緩める。温かいものが頭蓋に満ちる。眉間やこめかみ、目の奥や首の付け根、そういった部分の筋肉がむずむずと身動きをはじめ、頭を包む筋肉全体が緩んでいく。

頭に凝り固まっていたエネルギーは、首から肩へ、腕へ、胸へと流れ落ち、各所の筋肉を緩めながら、下腹部の中心へと達する。座っているのでなければ、足からもエネルギーの流入が生じる。

その一点をとらえること。それにより心は落ち着きをとりもどし、身は緊張から解き放たれる。心と身を隔てるものが、取り除かれる。

それが、入り口である。
死体のアーサナというのがある。いわゆる、ヨガのポーズのひとつだ。
仰向けに横たわり、両足を少し開いて、自然に手足をのばす。
リラックスしようとか、無心になろうなどと意識する必要はない。呼吸も自然のままでいい。
雑念は必ず起こる。それは、現れては去っていく。その様を、少し引いた場所からながめていればいい。
あなたは、主体的に何もしなくていい。ただ、身体の内側で起きていることの、観察者であればそれでいい。

一番最初に感じるのは、心臓の鼓動だろうか。こめかみの、あるいは指先の血管の脈動。そんなものを、ただ受動的に、観察する。
やがて肩や首筋の筋肉が自然と緩んでくる。痛みのある部分に、手を当ててみるのもいい。ただ手をあてるだけだ。意識を集中すれば、却って筋肉は収縮する。

意識の統制を放棄し、重力に身を委ねる。身体が溶けだすように緊張がほどけ、地面に吸い込まれるような、宙をただようような感覚が訪れる。

そのまま、ただそのままだ。

痩せようとか、リラックスしようとか、目的を持ってヨガをやるのはおかしなことだ。ヨガの意味を、あなたは知りえない。水に入ったことのない子供が、泳ぐことの意味を知らないのと同じように。
意思すること、意識は主催者ではない。生命という現象のなかの、小さな小さな観察者、それが意識なのだ。

意味や、目指すべき場所、あるべき姿、それはあなたがつくるのではない。それは、ある別な存在の次元から、あなたを訪れるものなのだ。
昨日の記事で、一つ修正がある。書いてしまってからすぐに、これは少し違うかな、と感じていたのだ。いいかげんなことをしていると、後で困ることになるので訂正する。
最後のパラグラフ、「そのときわかった」ではなく「そのとき気づいた」が正しい。

「わかる」ことは「分ける」ことだ。分析と分類、還元主義。西欧近代の好むところだ。
「気づく」ことは、総合だ。それは論理的な手続きを踏まない。言語による媒介も受け容れない。
「わかる」の主体は意識だ。「気づく」の主体は意識ではない。無意識といっても霊といっても、別に何でもかまわないが、それは意識の上位にあって意識には掴みきれない何かだ。
あなたが「気づく」のではない。「気づき」があなたを訪れるのだ。

WONESS

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札幌の紫陽花は、八月になっても枯れない。それは瑞々しい紫のまま夏を越す。札幌の紫陽花がいつ萎れるのか、私はまだ知らない。

病院からの帰り道、長い上り坂の途中に、それは咲いている。なんというつもりもなしに、花に手をかざしてみた。
掌に、ぴりぴりと電気のようなものを感じた。
身体に気を満たし、両手を近づけたときに感じるのと、同じ種類のものだ。

それでわかった。
何が、とは言えない。言葉では言い尽くせないことだ。説明しようとすれば嘘が混じる。
直観は電撃のようにではなく、水が大きな器を満たすように、ゆっくりと訪れた。

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