クリエイター発言集

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]

ほんの一粒の砂のような微細なものでいいから私は伝えたい。それならできるかもしれない。一粒の砂のようなものを無限にあるうちから取り出して伝えたとしても、それはあなたの命を賭けるに値することがあるだろう。大事にして、些細な事柄に極まりなくどこまでもどこまでも入り込んでいったほうがいい。今からでも遅くない。
 
ある気持ちにあなたが入っていったとき、その気持ちを、その気持ちから離れないように、その気持ちだけで限界のない世界に入り込むことができないだろうか。その気持ちが刻々と変わることなくして、それ一筋でどこまでもどこまでも突入する。飛んだって跳ねたって転んだって、何をしたってその気持ちは離れない。だけど、どんな気持ちだっていいというわけではない。うん、これだと思ったとき、それをもとにして、どこまでもどこまでも、ただ一筋にその気持ちで織物を編むような、天まで届くような織物を編んでもいいでしょう。
ある気持ちの限定したなかで、無限の世界に入ることができないだろうか。あとは自由だ。
 
土方巽の晦渋さと比べると、大野一雄の言葉はおそろしく明晰で素直、そう見える。ただ、アフォリズムとして切り取られたこれらの言葉を大野は、毎度稽古のはじめごとに一時間以上、あっちに行き、こっちにもどりしながらつぶやき続けたという。言葉はその人から出るものだけど、その人自身ではない、という面白さ。
表題と同じタイトルで、大野の言葉を集めた本が出ている。クリエイターを目指す人、すべてにお勧めする。

竹内敏晴氏の著書より

意識によって無意識を操作することはできない。
だから無意識が働きはじめるような状態を正確に準備することしか、演技者にできることはない。

無意識は私たちの手の及ばぬところで働き始め、やがて全身を浸す。リズムに『ノル』そのとき、突如として身体全体が変容する。存在が裂け開かれたとしか言いようのない瞬間があり、即興の波が吹き上がってくる。
しかし、意識は失われはしない。むしろ明晰であり無意識が身体を領してゆくにつれ、ますます遠くまで計算し判断するが、しかしそれは無意識に導かれ、それに従ってゆくのだ。

自分には理解できぬ異形ののの「私」とは別のひとつの「私」、「私」の感情やイメージの投影を拒絶して彼方に立つ一つの生き物。「私」と「それ」との間には暗い淵が開き、もはやそれは安穏に思い込んでいた「人」ともいえぬものとさえ現象する。


小説家や文学部の学者さんなんかより、演劇や舞踊・舞踏の人のほうが、大事なことを知っている気がする。
「為す」のではなく「成る」、それが創造の本質だろう。それを知らずに芸術を語る輩があまりにも多い。

http://www.ne.jp/asahi/butoh/itto/takeuchi.htm
ぼくは誰もが機械になるべきだと思う。誰もが誰もを好きになるべきだと思う。
…誰もがいつもクリエイティヴなんだ。…実際のところみんなもう上手すぎるんだ。…どうしてあるスタイルが他のスタイルより良いなんて言えるのかな。…誰かがぼくのかわりにぼくの絵を全部できるようになるべきだと思う。今までぼくは、一枚目と同じようにきれいで単純なものを作れたためしがないんだ。

…もっと多くの人がシルクスクリーンをやるようになって、ぼくの絵が自分のものか誰のものかわからなくなったら、とてもすてきだと思う。…ぼくがこんなやり方で描いているのは、機械になりたいからで、何でも機械みたいにやることが、ぼくがやりたいことだって感じてるんだ。

(商業美術はもっと機械的でしたかという質問に対して)
いやそんなことはなかった。それでお金をもらってたんだし、何でも言われる通りにやったよ。靴を描けと言われれば描いたし、直せと言われれば直した。何でも言われたとおりにして修正して注文どおりにしたよ。創らなきゃ(invent)いけなかったのだけど、今は違う。さんざん修正した後でも商業的なイラストにはフィーリングがあったしスタイルがあった。・・・(注文主たちは)自分のほしいものを正確に理解していて、主張があった。とても感情的になることもあったしね。商業美術は、作る過程は機械的だったけど、その姿勢にはフィーリングがあったんだ。


こちらの記事
あとこれも
↑を読んでもらいたくて記事を立てただけなのだが、とくに気になったところを上げると……
 どうして、主人公が女性でなければならなかったか? もし男性があんな力を持っていても、本当らしく見えないからですよ! 女性達は、現実の世界とあちら側の世界を行き来することができますから。まるで霊媒のようにね。

 男性というものは、職業を持つことで自分が大人なんだと認識するものです。女性にとっては体の存在そのものが人格を作っていくんですが、男の場合は仕事とか社会的地位、あるいは運命のようなものが必要になってくるんですよ。

キャラクターは繰り返し考え抜く、反復の中から生まれるものですからね。まず、キャラクターの骨格は僕の頭の中にあります。あとは自分がそのキャラクターそのものになりきって、物語に登場する場所に何度も何度も行ってみるんです。そこまでやって初めてキャラクターを実際に描き始めます。

ええ、物語自身が求めてくるものに従うという事ですね。物語そのものが、僕を結末に導いてくれるんです。

映画は理屈で作れるぞ、という人もいるかもしれませんが、僕のやり方はそうじゃありません。僕はがんばって、潜在意識の井戸を深く掘っていくんです。

そうやっていると、ある瞬間にフタが開く感じがするんです。そうなると、実に色んなアイデアや映像が湧き出てきます。それで映画を作れるようになるんですよ。ただ、フタは完全に開ききってしまったらダメですね。


高校生のときに、十二神将とか不動明王、愛染明王を合体させたような仏画を描いて、近所の仏師の人のところに「仏像彫りたい!」ってプレゼンに行ったんです。そしたら、「これだけ絵が描けるんやったら、美大へ行ったほうがいいよ。仏像はもっと年取ってからでも彫れるから」って言われて。


でも、大学に入ったとき、「ここではやっていけない」と思ったんです。同級生で、めちゃくちゃデッサンうまい人とかいるんですよ。その人と居酒屋に行ったときに、「大学の教官は、おまえを入れて失敗したと思ってるよ」って言われて。すごいショックで。

こんなにデッサンうまい人に言われたら、そうなのかなと思って。その人は3浪で、僕は1浪だったんですけど。
教官からも、年度で女性の人体を作ってるときに「おまえさぁ、こういうの向いてないよ。現代美術やれよ」って言われて。頭、クシャってなったんですよね。その頃、現代美術、大嫌いだったんですよ(笑)。現代美術って、批評性だけが表に出たような退屈なものが多くて、「クソッ、俺をあんなところに行かせるつもりかっ!?」と思って。


――自分でも「でかくて長いものつくりたい!」としかわからない。それで30cm角くらいで高さが3mくらいの木を買ってきてチェーンソーで落としてるうちに、だんだん気持ちよくなってきたんです。――彫ってるうちに、イボイボみたいな形が出てきて、それがとっかかりになって「イボを彫りたい!」って思ったんですよ。だんだん自分のなかのアウトサイダーが出てきて。――で、作品としてはすごく粗いんですけど、自分の身体感覚に直結した手ごたえがあったんです。

それで次につくったのが〈僕がお医者さんに行くとき〉という作品です。――これをつくってるときに、「俺、注目されてる!」みたいな感じが初めてあったんですよ。大学のアトリエでつくってたんですけど、みんなの視線をすごく感じて。――これをつくれたおかげで、「自分が美術でどれだけやっていけるのか、できるところまでやってみよう」っていう気持ちになったんです。



全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事