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「すいません、いろいろお世話になってしまって」
「なあに、暇だったからな」
そんな返事の仕方をする人を、昔知っていたような気がする。
平台に並ぶアクセサリを見つめた。バレッタやブローチ。ネックレスやチョーカーもつるされている。どれもシンプルな配色で、流線型の印刻が風の呼吸や水の流れを感じさせる。服にあわせて付けて歩くのは難しい気がしたけれど、ずっと見ていたいと思わせる魅力があった。
「これ、ください」
「うん」
うれしそうな顔もせず、男はうなずく。
「裏に何か彫ろうか。プレゼントする相手の名前とか、今日の日付とか」
「自分用なんで」
「じゃあ、十年後の私に、なんてどうだ」
「『夏実から夏実へ』で」
今の私から、未来の私へ。あるいは、未来の私から今の私へ。生きる意志と希望を手渡せるように。
男は迷いなく丸ノミを操り、毛筆のような流麗な書体で私の名を刻んだ。
「ありがとうございます。大切にします」
「そろそろ行きな。泊まる所も決めてないんだろ」
「はい」
店を出ると、路面も草木も洗い上げたように濡れて、夕焼けの光にきらきらと輝いていた。燃えたつような山の紅葉が湖に照り映えて、そういえば秋だったのだと、いまさらのように思い出させる。遠くでバスが止まり、女子高生らしき制服を着た二人が降りる。
紺のブレザーにプリーツスカート。その姿に過去の自分を重ね、郷愁にひたりそうになって、思い出した。
真夏も締め切っていた、風のない体育館。部員たちの息遣いと、シャトルコックの飛び交う音だけが響いていた。いつも汗だくだったあの頃。根は優しいくせに、ぶっきらぼうで無愛想な先輩がいた。いつも居残り練習につきあってくれて、よくジュースをおごってくれた。先輩はよく言っていた。「一度になにもかも背負おうとするな。少しずつ変えていけばいいんだ」
はっとした。
そういえばあの男は何故、私の名前の字を知っていたのだろう。何故ためらいもせず夏実と彫ったのだろう。
振り返った。足早に来た道を戻った。店の明かりは消えていた。扉にかけられた閉店の看板が埃をかぶっていた。何度かノックしてみたけれど、もう、誰も現われなかった。 |
短編の森
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「引っ張られる……」
それ以上説明はなかった。男は無言で木を掘り続け、私も黙って柚子茶をすすった。静かな雨音が辺りを包んでいた。
男が立ち上がり、手の中のものにふっと息を吹きかけた。
見ていたら、「ほら」と言って手渡された。
「あの」
「魔除けだ。持って行くといい」
「でも」
「材料が余ってたから作った。金はいらん」
紫に塗られた表面に刻まれた、白木の曲線が優美にからみあっていた。無骨な男の手から無造作に生み出されたのが信じられないほど美しくて、しばらく息を止めて見入ってしまった。
「私、自殺しそうに見えますか」
自分でも思ってもいなかったことを口にしていた。気がつくと、涙がこぼれていた。男は当惑したように目をそらし、
「色に出でにけり、だ」と頭をかきながら言った。
「失恋とか、そんなんじゃないんですよ」
見栄を張ってそう言ったわけではない。私は自分の意思で別れたのだ、失恋とは違うはずだった。ただ、妻子のいる人をいつまでも振り回す自分の欲の深さに嫌気がさして、ゲームの電源を切るように交際を絶った、それだけのことだ。傷つけたとしても、傷ついてはいない。そうだ、私に傷つく資格はない。
「一人で、何もかもを背負おうとしてるように見える。あてずっぽうだがな。背負いきれない重さで、今にも潰れてしまいそうに見える」
また、涙がこぼれた。今度は一滴では済まず、つぎつぎと溢れ出してきた。
そんな、優しい言葉をかけて欲しかったのではなかった。無意識に何かを求めていたとしたら、それは罰されること、糾弾されることだった。
「そんなんじゃないんです。私はずるくて、卑怯で、甘ったれで……」
勝手に泣き出す私を、男はただ放っておいてくれた。
握り締めていた柚子茶のカップが冷たくなったころ、外から柔らかな陽光がさした。
続く
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他人の気持ちに作り物の言葉をのせる仕事をしているうちに、いつの間にか歳をとってしまった。
好きになれないものを好きだと自分に言い聞かせて、気持ちのない言葉で飾り立てて、それでクライアントに気に入られて褒められて、何が嘘で何が本当なのか、自分が満足しているのかどうかさえわからなくなってしまった。その一方では反対に、好きなものに対して好きじゃないふりをして、寂しくも辛くもないのにただ胸だけが痛くなって、とうとう、なにもかもを投げ出したくなった。
「さ、熱いうちに飲みな」
カップとソーサーが目の前に置かれる。オレンジ色のとろりとした液体の底に、刻んだ果物の皮が沈んでいる。蜂蜜が入っているようだ。鼻腔に甘い香りが満ちる。
「ありがとうございます」
そこではじめて男と目が合った。ごましお頭に無精ひげの、でも肌には皺ひとつない、ちょっと年齢がわからない男だった。おじさんというほどの歳ではないのかもしれない。もしかしたら同世代だろうか。知っている誰かに似ている気がするが、思い出せない。じっと見つめていたら、照れたように目をそらした。
「今夜の泊まりはどこかね」
「まだ、決めてないんです」
ふうん、と男は言うと、店の奥に据えられた彫り台にまたがり、何か小さなものを手にとって彫り始めた。
しばらくは、木を削る音だけが響いた。
「湖は見たかね」
「いいえ、まだ」
「一人で黄昏過ぎに湖に行くとな、引っ張られることがあるそうだ」
ぼそりと男が言った。
続く
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民芸店というわりに、古民具の類は置いていなくて、陳列されているのはどれも今風のお土産品ばかりだ。平台には抽象模様のアクセサリ、壁にはフクロウやタンチョウをモチーフにしたレリーフが飾られ、棚の高いところにはアイヌの人物像が並んでいる。
「そのへん、適当に座ってな。いま、温かいもの淹れるから」
指されたあたりには丸太に座布団をくくりつけたような椅子とも呼べない何かが並んで、かすかな埃をかぶっている。ハンカチでそっと払って腰を下ろした。
「東京の人かね」
男の人が店の奥に歩いていきながら背中で尋ねる。
「は、はい」
「いや、着てるものとか、歩き方とかでわかるんだ。同じ都会でも大阪や名古屋じゃずいぶん違う」
奥でかちゃかちゃと陶器の擦れ合う音がする。水が汲まれ、火にかけられるのがわかる。
「柚子茶がいいか、肩こりに効くんだ」
「え」
「首から右腕にかけて、痺れが出たりしないかい。ぱっとみても背骨がゆがんでるのがわかる。相当無理してるだろう」
「そんなことまでわかるんですか」
「しのぶれど色に出でにけり、さ。たいがいのことは姿かたちに現われるもんだ。しかし、右手ばかりそんなに使うのはどういう仕事だね」
「コピーライターなんです」
甘酸っぱい柑橘系の香りが漂ってきて、はりつめていたものが緩む。身の上話をしたくなった。
続く
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一人旅は自由で気楽だけれど少し退屈で、誰かを誘えばよかったかなと、少し後悔しています。
そんなメールを送ったけれど、丸一日たっても返信はなく、着信音ばかり気にしているうちに、千歳から釧路まで着いてしまった。
もう、縁は切れてしまったのだろうか。別れようと言い出したのは自分のほうなのに、なんだか寂しくて物足りない。そんな自分の理不尽さに辟易として、やっぱり別れて正解だったんだと思いなおす。
がらんとした駐車場に車を止めた。透明度が日本一とかいう湖のそばに、古びた土産物屋と民宿が何件か並んでいる。見たいものが何かあったわけではない。大草原も、太古の森も、運転している間に見飽きてしまった。ただ、降り出しそうな空の下の、索漠とした空気が今の気分に合った。 季節になるとラベンダーの花で埋もれるという丘を歩いて、店の並ぶあたりまで降りていったら、雨のしずくがばらばらと肩を打ちはじめた。
民芸品店の看板の下にかけこんで雨宿りをする。雲の流れは速く、いつまでも降るとは思えなかったけれど、わずかな間に身体は冷え切っていた。なんだかみじめな気分になって、その場にうずくまった。
「どうぞ、中入ってください」
いきなり、頭上から声が聞こえてきた。
「そんなかっこうじゃ風邪ひくべさ。さ、中入って」
どこかにスピーカーが仕込んであるらしい。
ふりかえると薄暗い店内にマイクを持った男がいて手招きしている。ためらっていたら、店の中が明るくなった。中の男に小さく会釈して、ガラス戸をくぐった。
続く
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