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一番感動した試合。

私、一応映画のブログを謳って資料を紹介してきたんですが、いろいろあってブログに対してはらわた煮えくり返ってるんで、今とにかく映画を観たくないんですよね。
ブログと映画がリンクしてるから、映画を観るという行為自体がムカつく。
とりあえず気分を落ち着けるために、休日はその辺のお父さんのようにぐうたらして、好きなスポーツの動画とか観てました。
スポーツを観るという行為の一番の魅力・・・それは「筋書きのないドラマ」に尽きるでしょう。
高校野球から五輪の女子ソフトボールまで、私が観て感動した試合はたくさんある。
なでしこのサッカーなんかも感動しました。
競馬をスポーツに入れるなら、オグリキャップの引退レースも、涙が出るくらい感動しましたよ。
 
私が今までプロスポーツをテレビで観て、一番感動した試合の動画リンク先を貼っておきます。
野球が好きでお時間のある方はどうぞ。
日本中が涙した7時間33分の死闘 近鉄対ロッテ ダブルヘッダー
 
 



補足しますと、今は無き「近鉄バファローズ」という球団が、黄金期の西武ライオンズと優勝を争っていました。
映画『ダイ・ハード』が公開された1988年のことです。
シーズンの終わり、近鉄は過密日程で、13日間で15連戦という殺人スケジュールやったんですが、驚異の勝率で西武に肉薄し、最後のダブルヘッダー(1日2試合)で連勝すれば優勝やったんです。
懐かしい動画を観ていると面白いですね・・・。
第1試合のロッテの先発投手が、後にプロ野球ОBで初めて殺人事件を犯す人やったり、第2試合でホームランを打った近鉄の吹石選手の娘さんが、後の女優、吹石一恵やったりね(笑)・・・。
 
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私の愛書「さらば大坂近鉄バファローズ」から、私の好きな選手たちを紹介します。
 
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近鉄球団唯一の永久欠番「1」といえば、大エース鈴木啓示さん。
自宅のコンクリートを突き破って生える雑草を見て、「草魂」という言葉を有名にしました。
 
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70年代のパ・リーグの選手といえばパンチパーマ。
一番パンチが似合っていた平野選手。絵に描いたようなファイターでした。
 
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監督に就任して初めてのドラフト会議に赤ふんどしで挑み、競合したPL学園の福留選手をクジで引き当て、「ヨッシャ〜!!」と雄たけびをあげた佐々木恭介さん。けっきょく、福留は入団を拒否しましたね(汗)・・・。
首位打者に輝いたこともある、熱血という言葉が似会う人です。
 
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出た〜!! 一番近鉄顔と云われた「モ〜やん」こと小川亨さん。
投手側にバットのヘッドとクイックイッっと入れるバッティングフォーム、よく真似しました。
 
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珍プレーの常連やった羽田選手。不器用な感じが私は大好きでした。
 
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男前なのにコンニャク打法やった梨田選手。後に監督になり、最後に近鉄を優勝させた方です。
昨年までは日本ハムの監督さんでしたね。
 
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今、関西でも3本の指に入るほど、オモロい解説者になった金村選手。夏の甲子園の優勝投手でした。
 
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88年の「10・19」と、翌年の優勝を語るときに外せない、ラルフ・ブライアント。
エディ・マーフィーに似てることから、みんなから「エディ」と呼ばれていました。
 
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平成の大エースとして忘れられないのは野茂英雄ですね。
私はこの人を生で観戦したことがないんですよ。後悔してます。
日本人メジャー・リーガーのパイオニアですわ。近鉄らしい選手でした。
 
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私が憶えているのは、映画『ダイ・ハード』公開中に、年号が「昭和」から「平成」にかわった。
平成の名監督といえば仰木彬監督。「10・19」で一躍有名になりました。
 
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近鉄といえば、忘れられないのが闘将と云われた西本幸雄監督。大好きでした。
昨年、亡くなられました。
「悲運の闘将」と云われ、何度も日本シリーズにチームを導きながら、一度も日本一になれなかった。
近鉄バファローズは、遂に12球団で唯一、日本一になれなかった球団なんですよね。
 
動画を紹介した「10・19」の熱闘があったとき、私は最悪のどん底状態でね・・・。
そういう意味でも、あの時テレビから受けた試合の感動は忘れられない。
 
久々に更新したんですが、映画の話題ではなくすいません。野球が好きなもんで。
 
 
 
 
 

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