|
↑
『わらの犬』
B5チラシとパンフです。
『わらの犬』は1972年に日本公開されたアメリカ映画です。
『わらの犬』
解説:イギリスの片田舎に越して来た学者夫婦。暴力を否定する夫は周囲の仕打ちにもひたすら耐え続けるが、ある夜、かくまった精神薄弱者に牙をむく村人相手に遂にその怒りを爆発させる……。鬼才サム・ペキンパーが人間の心の闇に眠る暴力を描いた心理サスペンス。
私が子供の頃、テレビの洋画劇場で途中から見て引き込まれた映画が数本あった。
名匠サム・ペキンパー監督が、毎回、神がかり的な演技を見せてノッていた頃のダスティン・ホフマンを主役にして撮った、『わらの犬』という作品も、私が途中から見て驚愕した作品だった。
都会の喧騒を嫌い、妻の故郷であるイギリスの片田舎に越して来た数学者のデビッド。
アメリカ人のデビッドは、田舎に住めば静かに研究に没頭できると考えていた。
ところがね、インテリのデビッドとは対照的で奔放な妻エミーの故郷である田舎の住民は、実に閉鎖的かつワイルドなんですよね(汗)・・・。
デビッドの家のガレージを建築する為に雇われた村の若者たちは、幼なじみのエミーを手篭めにすることしか考えておらず、エミーの下着を盗んだり、デビッドの家の猫を殺してクローゼットの中に吊るしたりする。
何事にも理論的に対処すれば解決できるという穏健派のデビッドに不満を募らせるエミーは、村の若者たちに誘い出されて狩りに出かけたデビッドの留守中に、村の若者二人に輪姦されてしまう。
そんな事を知らないデビッドは、村の精神薄弱者ヘンリーを車で撥ねてしまい、怪我をしたヘンリーを家に連れ帰る。
しかし、アクシデントでヘンリーに娘を殺された父親を中心とした村人は、ヘンリーを匿うハメになったデビッドの家を襲撃する・・・。
それまで完全アウェー状態の中で我慢してきたデビッドは、家に篭城し、遂に暴徒と化した村人たちと戦う決意をする。
この作品、暴力を否定しないサム・ペキンパー監督が、その凄まじい作家性を発揮した作品なので、とても野蛮なイメージが先行するんですが、実に深く繊細な心理サスペンスなんですよね。
完全に村人になめられているデビッド、実は同じ村出身の妻エミーにも、いつもその弱腰を責められていて、夫婦の信頼関係ですら揺らぎ始めているという語り口が良いスパイスになっている。
“殺るか殺られるかの崖っぷちに追い込まれた状態で、ただ殺られてしまうのかい?何かを守る為には、アンタも戦うかもしれないぜ”ってスタンスを匂わせながらも、ソコの最底辺にある微かな人間の良心と、暴力性という闇が火花を散らしせめぎ合うクライマックスは、一筋縄ではいかない哲学的な趣すら感じさせる。
人との駆け引きが苦手で、妻から「大人になってよ」と叱咤されていたデビッドが、追い詰められた時に及び腰ながら獣のように反撃する姿は、まさに綺麗事だけでは済まされない生身の人間を描いたモノ。
そう、“戦わない”は理想であって、“戦うべき時に戦えない”のは、英知に富んだ人間らしからぬ事なのだと、この作品は伝えているようが気がして私はならんのですよ・・・。
攻撃は最大の防御である・・・。
↑
のんびりと数学の研究に没頭したいという理由で、学者のデビッド(ダスティン・ホフマン)は妻のエミー(スーザン・ジョージ)の故郷であるイギリスのコーンウォール州という片田舎に引っ越して生活を始める。
しかし、閉鎖的な田舎の住民にとって、アメリカ人のインテリ学者で平和主義者のデビッドはまったくのよそ者扱い。
デビッドは家の車庫建設の為に村の若者4人を雇うんですが、若者たちは幼なじみであるエミーの体を狙っている。
リーダー格のペナー(デル・ヘニー)は、エミーの元カレなんですよね。
しかしね、奔放なエミーにも体を狙われる理由がある。
ミニスカートにノーブラ姿でいつも歩くエミー(汗)、あんだけ乳首クッキリ勃ってたら、村の男どもを誘ってるようなもの(汗)・・・。
デビッド夫妻は完全アウェー状態による嫌がらせを受ける。
「相手はわかってるんだからキツく注意してよ」とエミーに尻を叩かれても、平和主義者のデビッドは村の若者に対してなめられっぱなし。
そんなデビッドがヘタレに見えてきたエミーとの夫婦仲まで悪くなってしまう。
そんなある日、若者たちに狩りに誘われたデビッドの留守中に、エミーは元彼の強引さに負けて体を許してしまうんですが、ついでに別の若者にまでレイプされてしまう。
(これはエミーに弁解の余地なし。エミーの自業自得だと私は斬る(汗)・・・)
村には精神薄弱者の大男ヘンリー(デビッド・ワーナー)がいる。
気の弱いヘンリーは、兄から虐待のような暴力を受け、村の若者たちを恐れている。
ヘンリーは後半の重要人物です。
デビッド夫妻は村の懇親会に出席するんですが、レイプされたエミーは心身ともに傷つき、その場にいられなくなる。
エミーをつれて家路につくデビッドなんですが、当然、エミーがレイプされた事を知らない。
ノーブラで乳首ポッチリのエミーの後ろにいる村の少女、こいつがなかなかの問題児なんですよ。
思春期特有の性への興味から、デビッド夫妻の夜の営みをのぞき見したり、セックスしてみたくてたまらんわけ。
そんな少女が狙ったのが、精神薄弱者のヘンリーだった。
懇親会の会場からヘンリーを誘い出した少女は、ヘンリーを誘惑する。
しかし、兄から日常的に折檻を受けて村人を恐れるヘンリーは、物音に反応して、反射的に少女を締め上げてしまい、結果的に殺してしまうんですね。
帰路でふらつくヘンリーを車で跳ねてしまったデビット夫婦は、怪我をしたヘンリーを保護して家に連れて帰る。その頃、ヘンリーと共に姿を消した少女の事で村は大騒ぎ。
ヘンリーがデビッドの家にいる事を知った少女の呑んだくれ親父と若者たち5人は、ヘンリーを殺しにデビッドの家にやってくる。
自分が怪我をさせてしまったヘンリーを村人に渡さないデビットは、家に篭城するんですが、仲裁に入ってくれた村の唯一の理解者である少佐を5人に殺された瞬間、デビッドの中で何かが弾けた。
遂に武器を手に取り反撃に転じるデビッド。
エミーを演じたスーザン・ジョージはこの作品で人気者になりました。
エミーはデビッドを深く愛してるんですが、かまってもらえない不満からデビッドのケツを煽りまくる。
「今度こそあの人たちを注意してよ」って具合に、ヘタレに見えるデビッドに対し、真綿で首を絞めるようにネチネチとデビッドに男らしさを求めてしまう。
面白いのがね、追い詰められた夫婦、エミーは元々村の人間なんで、デビッドに、「さっさとヘンリーを渡してしまいなさいよ。私、もうあなたについて行けない」って、どちらに転んでもデビッドを非難するエミーのキャラが強烈でした。
エミーの“所詮、私もこの村の住人なのよ”って部分が、さらにデビッドを孤立させる。
『卒業』、『真夜中のカーボーイ』とキャリアを重ねたダスティン・ホフマン。
デビューから1970年代の彼の芝居は神がかり的な凄さがある。
「私の家と怪我人は、私が守る」という信念のもと、反撃するデビッドの暴力行為を、誰も非難できないでしょう。
襲撃者5人を返り討ちにしてヘンリーを守りきったデビッドは、「帰り道がわからなくなったよ」と言うヘンリーに、「僕もさ」と答える。
前記事『悪魔のいけにえ』もそうなんですが、この作品の怖さは閉鎖的な村人の、田舎ならではの“オラたちのルール”がまかり通る怖さなんですよね。
よそ者には徹底的に冷たい。
そんな村人たちの無知であるが故の傲慢さ、知られることがないが故の冷血さが、平和主義者であるデビッドの暴力性を呼び覚ましてしまう怖さが秀逸。
また、サム・ペキンパーという監督さんは、『ゲッタウェイ』なんかもそうなんですが、夫婦を描かせたらとてもリアルで味がある。
撮影中、ダスティン・ホフマンが演技の事で何度も監督に相談しに行くと、ペキンパーは、「うるせぇな。そんなことはお前ぇが自分で好きなようにやれよ」と言い放ったそう(爆)
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー



