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「仕方がない」!「やむをえない」!だけでは、政治は動かない、一人でも発言していくことだ!真実 を本音の言葉でずばりと言うブログ!

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 今年もまもなく終わり、新しい年を迎えるが、無意識化している国民
はこの儘でいいと思っているのであろうか、と感ずるこの頃であるが、
 そんな時26日の道新に掲載されていた、社会学者、大澤真幸氏の
「各自核論」 興味ある論評が掲載されていた。掲載内容を引用しなが
らのブログを掲載してみたい。
 
 大澤氏のタイトルは、「2014年とはどういう年たったのだろう」
大見出しに「日本人は何一つ選択しなかった」と、
 
そうして「拒否せず継続を受け入れ」
大澤氏は日本人の社会意識の現状を、フランスの
心理学者ジャンーレォン・ボーヴォワの実験を連想するという。
 実験はまず、もっともらしい(実は偽りの)目的によって実験参加者を
あつめて、行う実験である。始めは任意参加で何時でも嫌な時は拒否
できることであるが、実験が進む過程で嫌なことでも拒否する確率が
少なく、いったん引き受けてしまった、以上他に選びようがない。
 継続が唯一の選択肢であると考える。日本人の現状はこの実験の
犠牲者に似ていると論じている。
 
 「将来に不安より消極的に」
 しかし、日本人の大半が、見通しは明るく、このままー例えばアベノミ
クスをー続けば安心だ、とはおもっいない。税制制度、現発政策なども
それに対して自信をもっえおらず、できることなら別システムを選びたい
(しかしそれが不可能だ)と感じているのである。と
 
 「諦めの無意識願望の」
 集団的自衛権にしても、基本的に「他に選びようがない」日米同盟を
与件とした上での、受け入れるほかない選択肢として集団的自衛権
がある。集団的自衛権は実験参加を引き受けてしまった以上は食べざ
る得なくなった「蛆虫」のようなものだ。日米同盟が「他の選べない唯一
の枠組み」であるならば、集団的自衛権を、まずくても食べるしかない、
と。
 
「本当の自由枠組みの外に」
 ほんとうは、「これしかない」ものとして選ばれいるこの地平の外を選び
たい、つまり不可能なこと(と見えること)を要求したい。不可能なことが
可能だと示してほしい。このような無意識願望が現在の日本人にはある
のではないか。
 聴覚障碍者が交響曲を作ったと思ったとき、あるいは細胞を酸に浸ける
るだけでその万能性を回復できると告げられたとき、日本人は、この願望
が満たされる夢を見た。しかし、これが贋ものであると判明し、不可能だと
いう同語反復の水準にまた押し戻されてしまった。
 だが、もう一度、ボーヴォワの実験を思い起こそう。被験者は、実験を
継続するしかなく、それは強いられた選択だと感じているが、しかし、
ほんとうは拒否することもできたもだ。日本人も同じである。ほんとうの
自由は、まさにある選択が強いられており、それしかない見えてくるとき
に、「それ」ではない方を選ぶこと、不可能とされる方を敢然と選択するこ
との内にある。来年は、戦後70年である。70年も「戦後」という時代区分
が活きているのは、日本だけだ。この時代区分が継続するのは、戦後を
出発させた枠組を、日本人が「他を選びようもの」として受け入れてきた
からだ。
 
 その枠組みとは日米関係(対米従属)である。
来年は、この枠組のみ「外」を選んでみよう。従来の
日米関係を放棄しうるという前提で行動してみよう。
その瞬間、日本人は真に自由になるはずだ
 ※最後の「本当の自由枠組みの外に」は全文引用である。
 その他の見出しは当方で簡略化して引用である。
 
 北海道新聞P7より、各自核論 社会学者 大澤真幸氏の論説より。
 
 
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