ここから本文です
「仕方がない」!「やむをえない」!だけでは、政治は動かない、一人でも発言していくことだ!真実 を本音の言葉でずばりと言うブログ!

書庫全体表示

 『「戦争立法」の恐るべき真実』「転載」(2)
 
「集団的自衛権」と「個別自衛権」とが重なる範囲あり、その部分を明確化しただけだ、だから従来の政府見解を変えるものではない、国会で首相らが「日米同盟を守るために武力行使3要件により武力行使は可能」と答弁したのは、頭のいい内閣法制局の官僚が巧みに描いた論理を、誤解しているのだなどと主張しているのです。

しかしながら、これらはいずれも、誤りです。

政府と公明党は、国民だましの意図的なごまかしです。

一方、一部の憲法学者の主張は、政府に枠はめをしようとする善意の誤りです。

他国が武力攻撃を受けた場合に、自衛隊が武力行使をすることは「自衛権行使3要件」の一番目、「わが国に対する武力攻撃があったとき」にのみ武力行使ができるという要件に反し、許されないのです。

それが他国に対する武力攻撃があったときにまで武力行使できるようにするというのですから、従来とは大違いです。

いやいや「武力行使3要件」を見ると、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」と書かれているではないか、と反論される方、あなたは、なにもおわかりになっていませんね。

このような抽象的な文言はいかようにも解釈できます。

政府は、事態の個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思・能力、事態の発生場所、その規模・態様・推移などの要素を考慮し、総合的に判断するなどと述べて、なんとなくごまかしてしまっていますが、では具体的にはどうなのかなると、さっぱりわかりません。

〈石油が入ってこない事態はこれにあたる。〉〈米軍が攻撃されたのにわが国がともに戦わないのであれば日米同盟は破綻し、わが国の存立は脅かされる明白な事態となる。〉国会で、このように安倍首相や岸田外相は答弁しています。

かつて満州事変勃発前、軍部は満蒙の権益は生命線だと声高に叫び、国民の多くもそれに呼応しました。

その後、その生命線はどんどん拡大していきましたね。

気付けば、中国本土、東南アジア、インド、西太平洋地域にまで広がり、そして目いっぱい膨らませられた風船が破裂するようにわが国は破裂してしまいました。

「これにより我が国の存立が脅かされ」と「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の関係について、「国家と国民は表裏一体のものであり、我が国の存立が脅かされるということの実質を、国民に着目して記述したもの(加重要件ではない)」とまで政府は説明しています ※ 参考:「閣議決定される集団的自衛権などに関する政府見解に関する想定問答集」国家安全保障局が作成・2014年6月28日付朝日新聞朝刊)。

そうであるならば、結局、政府は、特定のある事態がわが国の存立が脅かすことになるのかどうかという抽象度の一層高いことがらについての判断をするということになります。

それはまさに禅問答ですね。

さて、これに対して「自衛権行使3要件」にいう「わが国に対する武力攻撃があったとき」という第1要件の客観性・明確性はゆらぎません。

その客観性・明確性こそが、自衛隊を憲法9条の下でも存在し得ると解釈してきた政府見解の生命線だったのです。

安倍首相は、国際法上は「集団的自衛権」が認められているのにわが憲法9条ではそれが許されないというのはおかしいとよく言います。

国際法と憲法とでは憲法が優越することは憲法の最高法規性を定めた憲法98条を持ち出すまでもなく、憲法はわが国の根本規範であることから明らかです。

しかもわが国憲法の三大原理の一つである恒久平和主義の根幹を第9条が国際法に優越することは論ずるまでもありません。

従って、安倍首相の主張は取るに足りないものです。

ただ念のために、国際法上、「集団的自衛権」がどのように取り扱われるべきか検討しておきたいと思います。

「集団的自衛権」は、国連憲章51条によりはじめて歴史の舞台に登場したものですが、その国際法上の法的性質論として、従来から、①自衛権共同行使説、②他国防衛説、③自国防衛説の三説が唱えられています。

①説は、武力攻撃を同時に受けた複数の国が、共同して自衛権を行使するのが「集団的自衛権」だという立場で、実際上は「集団的自衛権」を否認する考え方だと言っていいでしょう。

②説は「集団的自衛権」とは、文字通り攻撃を受けた他国を防衛するために武力行使に訴える権利であると捉えます。

③説は、密接な関係にある他国が攻撃を受け、それが自国の安全に重大な影響を及ぼすときに武力行使に訴える権利であると説きます。

かつては国際法学界や国家の実践において③説が主流でしたが、今は②説が主流になっていると言われています。

しかし、②説も、③説も、なんだかしっくりしません。

そう思いませんか。

それもその筈です。

もともと一般国際法上の自衛権とは、既に「自衛権行使3要件」にあてはまる武力行使の権利ですから、突如として国連憲章51条に書き込まれた「集団的自衛権」なるものをうまく説明できるわけがありません。

※参考:一般国際法とは、国家間の関係を規律する約束事やルールが、普遍性があること、もしくは永年にわたり実行され続けることにより、国際関係全般において法的規範と認められる至ったものをいいます。

国際慣習法とほぼ同じです。

これに対して、二国間もしくは多国間が取り交わした約束事は、条約国際法と呼ばれ、その限りでは国際関係全般において法的拘束力は認められません。

もっとも条約国際法も一般国際法に転じ得るものです。

ここで国連憲章51条を見ておきましょう。

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。

また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

」これを読むと、確かに、安保理が必要な措置をとるまでの暫定的なものではありますが、国連加盟国は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を害されないと書かれています。

どうも集団的自衛権を加盟国の固有の権利として認めているように読めます。

しかし、実は、国連憲章制定過程において、「『集団的自衛の固有の権利』とは何ぞや」というような議論は一切なされていません。

もともと一般国際法において、自衛権とは個別的自衛権であり、「集団的自衛権」などというものは存在していなかったのですから、多国間の条約である国連憲章にそれを規定するのであれば、その意義、目的、根拠、定義、要件について十分な議論と整理がなされ、憲章の本文にその定義が明記されなければなりません。

ですから私は、国連憲章51条は、従来の自衛権を何ら変更していないと解するべきで、従来どおりの一般国際法上の自衛権を認めたに過ぎないと考えます。

国連憲章51条の定めは、自力で自衛権を行使するための軍備を保有しないもしくは保有できない国連加盟国の自衛権のあり方が書かれているのです。

本来は、そのような国は、自ら加盟する国連によって自国に対する武力攻撃・侵略を排除してもらうというのが国連憲章に定める武力行使禁止原則と安保理による集団的安全保障措置の実施という仕組みでした。

ところが国連安保理の構成や議決の仕組み(常任理事国である五大国一致の原則など)や制度の不備から、そうした理想を現実化させることはできなくなってしまいました。

そこで、自力で自衛権を行使するための軍備を保有しないもしくは保有できない国に、一定の関係国との条約に基づき、あるいは随時の協議により、自国に対する侵略を排除してもらう道を残さざるを得なくなったのです。

国連憲章51条をよく読んでみて下さい。

「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って」と書かれていますね。

どうでしょうか。

これは自力で自衛権を行使するための軍備を保有しないもしくは保有できない国の自衛のあり方が書かれているとは思いませんか。

「集団的自衛権」などと言うと軍備を十分に持つ強国が他国を防衛するために他国と共同しもしくは他国をコントロールして戦争をする、武力行使をする権利だと考えられてきましたが、そうではないのです。

ややこしいので省略しますが、国連憲章51条をそのように読むことは、実は、国連憲章制定に際して、弱小国群が行った異議申し立ての経緯を反映した正しい読み方なのです。

いいですね。

国際法上、集団的自衛権などというものは存在しないのです。

国際法学者は存在しないものをうまく説明しようと四苦八苦しているのですが、それが成功しないのは当たり前のことです。

もっとも前述の1986年に出された国際司法裁判所ニカラグア事件判決は、武力攻撃の存在、被害国が武力攻撃を受けたとの宣言をすること、被害国からの支援要請が認められることなどの要件のもとに、一般国際法上、集団的自衛権が存在することを認めてしまいました。

しかし、この判決も、集団的自衛権を被害国の権利として構成しようとするものと見ることもできます。

上記の私の考え方は、ニカラグア事件判決とも両立し得ると言っていいのではないでしょうか。

「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和及び独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(事態対処法)さて話は長くなってしまいましたが、今回政府が提出した事態対処法は、上記の「武力行使3要件」を採用し、従来の武力攻撃事態法を書き換えてしまおうというものです。

武力攻撃事態法では、①武力攻撃の発生もしくは切迫している事態を武力攻撃事態とし、内閣総理大臣は防衛出動命令を下す、②武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測される事態を武力攻撃予測事態とし、防衛大臣は内閣総理大臣の承認を得て防衛出動待機命令を下す、ことが定められていました。

事態対処法では、新たに③我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態を存立危機事態とし、これに対しても内閣総理大臣は防衛出動命令を下すことができるようになります。

わが国と密接な関係にある他国はドンドン広がっていく可能性がありますが、その筆頭候補はアメリカでしょう。

このアメリカという国は、日本人が最も親近感を持つ国の一つで、民主主義国、自由の国という一面を持ってはいますが、半面、国内的には黒人差別の伝統が今なお強固に引き継がれた独善国家であり、国際的には自国の安全のために世界の隅々にまで軍事力と諜報網を行きわたらせ、国益と自国の安全のためには即座に先制攻撃も辞さず軍隊を投入するという軍事国家です。

近代アメリカの歴史を垣間見ると、対立する国やまつろわない国には武力を行使してでも自己の意思を貫徹し、従わせてきましたし、敵対的攻撃をした国に対しては徹底的に圧倒的に強力な武力を行使し、殲滅してしまという残忍な行為を繰り返してきました。

少し前のことになりますが、わが国への原爆投下や大都市無差別空襲を思い起こして下さい。

また最近のヴェトナム、アフガニスタン、イラクに対する侵略戦争を見て下さい。

アメリカは、戦後一貫して、一番戦争に近い国でした。

今も、それは変わっていません。

そのアメリカが戦争を引き起こすとたちまち存立危機事態と認定され、防衛出動命令が下り、わが国もアメリカとともに戦争をすることになるのです。

アメリカは、軍隊を世界の隅々にまで送り出していますから、どこで戦争が始まるかわかりません。

わが国はどこで起こるかわからない戦争に、これまでなら憲法9条により参戦できないと言って断ることができたのに、これからは加わらなければならなくなってしまいます。

憲法9条の解釈を変え、法律まで制定して、これからは加わることを公に宣言したのですからね。

その場合に「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」かどうかを厳密に判断すると言って待ったをかけようとしてもあとのまつりですね。

安倍首相や岸田外務大臣が、日米同盟の維持はわが国にとって死活的問題だと国会で答弁しているのですから。

事態対処法では、内閣総理大臣が、防衛出動命令を下すには、対処基本方針を沿えて事前もしくは緊急の場合には事後に、国会の承認をえなければならないこととされています。

この点は、武力攻撃事態法とかわりありません。

対処基本方針には、「事態の経緯、事態が存立危機事態であるとの認定及び当該認定の前提となった事実」や「存立危機事態と認定する場合にあっては我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がなく、事態に対処するためには武力の行使が必要と認められる理由」を書き込まなければなりません。

しかし、特定秘密保護法により、そのような記述の真偽をチェックするための資料が国会に提出されることはありませんから、国会において実質的な審議をすることは不可能で、国会の承認が形骸化することは必至とでしょう。

国会や国民に蓋をしたまま対米従属一本やりの政府の一存で、米国が世界各地で引き起こす戦争(それには先制攻撃もあれば価値観を共有しない国家の転覆のための戦争もあります。

)にどんどん参戦していく事態、それこそわが国にとってまことの「存立危機事態」です。

なお、武力攻撃事態法から事態対処法へ衣替えするのにあわせて、関連する海上輸送規制法、米軍支援法、特定公共施設利用法、捕虜取扱い法も存立危機事態に対応することができるように改正されることになっています。

4まとめ以上のように戦争立法は、わが国をことあるごとに武力を用いて事を構え、戦争の危険に突進する国にしてしまおうとするものです。

世界をまたにかけ、世界のあらゆるところに紛争を引き起こし、軍隊を投入し、戦争を続けてきた戦争国家アメリカのミニチュア版作りと言っていいでしょう。

今、これを阻止しなければ、憲法9条は完全に死に至り、暗い谷間の時代を再び迎えることになると本心から思わざるを得ません。

かつて陸軍は、国民と産業を戦争に総動員する総動員体制を推し進めるために、「国防の本義とその提唱」という宣伝・煽動のためのパンフレットを作成しました。

通称陸軍パンフレットと呼ばれているものです。

その冒頭に次のような一文がありました。

「たたかいは創造の父、文化の母である。」ここでいう「たたかい」は、いくさ、即ち戦争です。

私は、これを平和のための闘いの意味に取り替えて、同じ文章を、本稿の最後に掲げ、この崇高な闘いに広範な市民の皆さんが立ち上がって頂くことを呼びかけたいと思います。

「たたかいは創造の父、文化の母である。」(了)

 http://blogs.yahoo.co.jp/roor6akio/63645033.html  『「戦争立法」の恐るべき真実』 (1)


https://news.blogmura.com/ ←にほんブログ村
 政治ブログ??☆=^_^=にクリックお願いします。

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

開くトラックバック(0)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事