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2395 ・日本の民主主義が問われる日――本日は欠席戦術もあり!

2015-07-15 09:01:36 | 政治
おはようございます。
生き生き箕面通信2395(150715)をお届けします。
・日本の民主主義が問われる日――本日は欠席戦術もあり!
 安倍政権は本日7月15日、衆院特別委で強行採決し、安保関連法案を“採択”する方針です。審議が熟していない段階での無理押しは、民主主義を破壊するものです。与党側がどんなに重要な法案と位置づけても、根幹となる民主主義のルールを無視して突っ走るのは多数の暴力です。断じて許せない暴挙。どんな手を使っても阻止する必要があります。審議拒否もやむを得ないのではないでしょうか。
 民主主義の根幹の一つが、「言論の自由」と言えます。日本ではそもそもこの言論の自由がなおざりにされています。言論の自由で大事なことが、軽んじられています。軽んじられているのは、「議論の理非の判断はそれを聴くみなさんの判断にお任せする」という姿勢です。
 内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授、武道家)は言論の自由の最も大事なこととして、「私は言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」ということだと強調しています。つまり、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件が、最も大事だというのです。
 例として、陪審員裁判における陪審員のありようをあげます。
 陪審員たちは裁判が始まった時点では、まだ理非の判断が下せない状態です。「検察官と弁護士がそれぞれの立場から情理を尽くしておのれの推論に理があることを証明しようとするのを陪審員たちは長い時間をかけて黙って聴いている。そして、その時間を通じて『理非の判断が下せる人』へと自己形成してゆくのである」
 「ここで検察官と弁護士は『言論の自由』を享受している。だが、その権利は『理非の判断が下せる人』がより適切に判断を下すことを支援するため『だけ』に付与されている」
 「だから検察官や弁護士には相手に向かって『黙れ』と言うことは許されない。それは相手の『いう権利』を損なうからだけでなく、陪審員の『聞く権利』を損なうことによって『理非の判断が下せる人になるプロセス』を阻害するからである」
 「判定者がより適切に判定できる機会を奪うからこそ、『黙れ』は許されないのである。『黙れ』といった法曹はただちに法廷侮辱罪でその場から放逐される。彼は陪審員たちの『適切な判断を下す能力』を信じなかったがゆえに追放されるのである」
 「彼に欠けているのは、『場の判定力』に対する『敬意』である。『場の判定力』に対する信認を誓言できないものは、自由な言論の場に立つことが許されない。だから、言論の自由を求める人間は必ず『場への敬意』を表さなければならない。必ず」
  「『理非の判断を下す方々』への敬意を欠いた人間は『言論の自由』の名において語ることが許されない。いま問題になっているのは、『国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう』という「国民の叡智」に対する信認の存否である」
 「『言論の自由』は何のために存在するのか。それは『理非の判断をお任せできる人々』を出現させるために存在する。単に『言論の自由』さえ存在すればいいのではない。『理非の判定を下し得る人たち』の出現が懇請されているのである。そのために『言論の自由』はある。そのため『だけ』にあると言ってもよい」
 以上が、内田さんの考えです。
 本日、安倍政権が強行採決しようとすることは、言論の自由を破壊することです。安倍首相のやり口は、「理非の判断はオレがする。お前たち国民は黙ってついて来い」方式です。
 こうした暴挙に対抗するには、欠席戦術と言う非常手段もやむを得ません。
 しかし、野党が欠席すれば、メディアは「審議の場を放棄するのは、民主主義の破壊」と野党を批判するでしょう。メディアは、ことの本質を理解せずに形式的な論理を振り回しがちです。
 日本の民主主義は、まだ自らを鍛え抜く課題が多く残されています。


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