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「仕方がない」!「やむをえない」!だけでは、政治は動かない、一人でも発言していくことだ!真実 を本音の言葉でずばりと言うブログ!

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          植草一秀の『知られざる真実』」

                                     2017/08/09

 最大の悲劇は悪人の圧政や残酷さでなく善人の沈黙

              第1816号

   ウェブで読む:http://foomii.com/00050/2017080921260540526
   EPUBダウンロード:http://foomii.com/00050-41113.epub
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72年前の8月6日午前8時15分、米国は広島に原子爆弾リトルボーイを投
下した。

きのこ雲の下に、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた
建物。

幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでに14万人もの命が奪われ
た。

さらに米国は3日後の8月9日、米国は原子爆弾ファットマンを長崎に投下し
た。

長崎でも、この年の年末までに7万4千人の命が消し去られた。

『東京が壊滅する日』(ダイヤモンド社)

http://goo.gl/giZZWz

を著した広瀬隆氏は、

「原爆投下のすべての目的が、財閥が得る巨額の収入にあったことは動かし難
い事実である」、

広瀬氏は原爆と原発が、

「双子の悪魔」

であると指摘する。

グローバルな強欲巨大資本が、

飽くなき利益追求のために

「原爆と原発」

の開発、使用、拡散に突進してきた。

その活動はいまも続いている。



8月9日の今日、長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典で、田上富久長崎
市長は平和宣言を読み上げた。

田上市長は、本年7月の国連での核兵器禁止条約採択を

「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」

讃える一方で、この条約に対する日本政府の対応について、

「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」

と批判した。

このことを、

朝日新聞「長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」」

https://goo.gl/KJBwN7

東京新聞「72回目 長崎原爆の日 核禁止条約「参加を」 平和宣言、政府に
迫る」

https://goo.gl/K7PS9s

と伝えたが、

読売新聞「被爆72年「長崎原爆の日」5400人が黙とう」

https://goo.gl/rW9z5N

NHK「長崎 原爆の日 田上市長が核兵器禁止条約の意義強調」

https://goo.gl/LWyzjV

と伝え方がまるで違う。

情報は「伝え方が8割」なのだ。



こうしたなかで、弁護士の梓澤和幸氏が新著

『改憲 どう考える 緊急事態条項・九条自衛隊明記
 ありふれた日常と共存する独裁と戦争』(同時代社)

https://goo.gl/DaxDm9

を刊行された。

安倍首相が憲法改定の方針を示すなか、次の臨時国会で改憲案が発議され、そ
の後、国民投票、憲法改定施行のスケジュールも想定されている。

「憲法」という固いテーマであるが、しかし、私たちの生存そのものに関わる
重大なテーマである。

梓澤氏はこの重大テーマの重大な問題点を、どうしてもすべての国民に知って
もらいたいとの熱い想いから本書を執筆されたのだと思う。

私に評論をする能力はないが、新著はまぎれもなくみずみずしい「文学作品」
である。

作家加賀乙彦氏の影響と薫陶を受けた梓澤氏が渾身の力を注いで書き上げた
「文学作品」が世に放たれたと言ってよいだろう。

本書の第一章は1943年3月に筆者が群馬県桐生市で生を受けたところから
始まる。

開戦から2年、筆者の父君に召集令状が来た。

そして、筆者が中学生になったころに住み込みの店員さんから聞いた、その人
の父君の戦死の話。

運命にただひたすら従うほかなかった人々の人生。

梓澤氏は本書あとがきを次の言葉で結ぶ。

「ある地域における紛争がもつ不可避的な拡大の恐ろしさ(核兵器を使う戦争
−アメリカ政府の中にいたある人が政権部内で聞いたところによれば、少なく
見て犠牲者は六億人)を考えれば、その責任を権力者だけに帰すわけにはいか
ない。

私にとって、憲法について書くということは、戦争と戦後の時代を生き、また
逝った人たちのことを言葉にするということでもあった。

日々を生き、自然と人を愛した人たちの切実な思いをこめて、語り伝えるよう
に書きたかった。それを踏みにじるものの真実も・・・・・、

それは、自分自身を含めて共に時代を「支えているものの責任」を明らかにす
るということでもあった。瞳を輝かせる子どもたちのために−。」

本書の内容については改めて紹介させていただく。

私たち、そして私たちの子や孫の未来のために、いま私たちは日常の裏側で進
む「事態」を把握し、行動しなければならない。

そのための第一歩に、まずは、梓澤氏が著された『改憲』をこの盆休みにじっ
くりと読んでいただきたいと思う。



日本政府は、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」
としながら、核禁止条約の交渉にすら参加しなかった。

米国では居住地上空をオスプレイが低空飛行することは禁じられている。

オーストラリアでまたしても墜落事故を引き起こし、日本政府が飛行自粛を要
請するなかで、米軍は沖縄でのオスプレイ飛行を続けている。

これに対して日本政府は抗議することもしない。

内閣改造が行われても、米軍の命令には絶対服従というのが安倍内閣の本質な
のである。

木村朗氏と高橋博子氏による著作

『核の戦後史』(創元社)

http://goo.gl/MiQ6BH

のなかで、高橋氏は次の事実を指摘している。

日本が政府としてアメリカに原爆使用について公式に抗議したのは、1945
年8月10日に、スイス政府を通じてアメリカ政府に伝達した抗議文の1回だ
けであること。

当時の新聞は

「帝国、米に厳重抗議 原子爆弾は毒ガス以上の残虐」

の見出しで日本政府の抗議を報じた。

しかし、日本政府による原爆投下に対する抗議は、あとにもさきにも、この1
回を除いて存在しないことを高橋氏が明らかにしている。



米国の国際法違反の民間人大量虐殺について、日本政府は一度しか抗議をした
ことがない。

逆に言えば、一度だけは抗議したが、敗戦とともに、完全に抗議の口を閉ざし
続けてきたと言える。

いまだにこの極悪非道の残虐な犯罪に対する断罪もなければ謝罪もないのであ
る。

そして、安倍内閣はただひたすら、米国の命令に服従し続けている。

米国が命令すれば、核禁止条約の交渉にも参加しない。

米国が命令すれば、危険飛行物体=未亡人製造機と呼ばれるオスプレイを大量
購入し、危険な居住地上空での飛行訓練を容認する。

事故があっても現場検証すら出来ない。

治外法権の「日米地位協定」について、「見直し」を口にすれば、直ちに発言
を修正する。



この安倍政権が、日本を戦争をする国に変えている。

戦争は何のために行われるのか。

「国を守るための戦争」

というのは、完全なるフィクションである。

戦争を実行するための大義名分、口実に過ぎない。

戦争は「必然」によってではなく、「必要」によって引き起こされる。

誰のどのような「必要」であるのか。

それは、巨大資本の利潤追求という「必要」によって引き起こされているので
ある。



クリント・イーストウッド監督作品『父親たちの星条旗』について、評論家の
沢木耕太郎氏は、クリント・イースドウッド監督が伝えたかったメッセージが
次のものであったと論評した。

「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にはいなかった者な
のだから」

戦争は誰と誰の間で戦われるものなのか。

A国とB国の間で行われるものではない。

戦争を遂行する者と、戦争に駆り出される者および戦争に巻き込まれる者との
間で戦いが行われるのだ。

戦争を遂行する者は、常に我が身を安全な場所に置く。

犠牲になるのは、戦争に借り出される者と戦争に巻き込まれる者だけである。



梓澤氏は著書のなかで、こう語る。

「私の父母の体験、その体験で傷ついたまま報われることのなかった戦後と、
東北の村から出てきた二〇歳の青年が伝える、お母さんとその家族がなめた辛
酸には共通するところがある。

その共通性とは、「為政者の敷いたレールを、これでいいのかと、自分に問う
ことなど一度もなかった」ということである。

自分に問い、疑うことさえない。個人が全体にがっしりと組みこまれた現実。

ふつうに暮らし、疑うこともせずに言われるままに店を閉じ、兵営に赴き、そ
の兵営で子どもの不条理な死を聞いて卒倒した父。

住み込みの店員さんの東北の村の母は、不安と孤独をかみしめながら、出征す
る夫を送り、そして戦後の公報を受けとった。

ここにあるのは、運命にただひたすら従うほかなかった人々の人生である。

そして、その対極にあったのは、家庭から大黒柱を無償で抜きとり、兵営に召
集し、さらには一家の財産を奪って軍事に動員する「国家」という強大な力で
ある。」



その一方で、もうひとつの現実もあった。

梓澤氏は次のように記述する。

「こうした民の中にあって、少数ではあったが国の行く末を見通し、これに自
らの人生を投入して抵抗する人びともいた。

しかし、運命に翻弄される客体としてでなく、自ら立ちあがって貧困、差別、
戦争に抵抗した人びとにも不条理は襲いかかり、不幸を強いた。」

梓澤氏の発信の原点は次の言葉に集約されている。

「強大すぎる力を権力がもったときに必然的に起こる暴走。

その危険を先に察知したものは、力をつくして人びとにこれを伝えなければな
らない。

だから私は書く。

自分自身とこれからを生きる青年に向けて書く。」



梓澤氏の著書の副題に

「ありふれた日常と共存する独裁と戦争」

とある。

ありふれた日常の裏側で、「事態」が進行しているのだ。

これを止めることが出来るのは、私たちしかいない。

私たちだけが、これを止めることができる。

そのことに気付かねばならない。

梓澤氏が最終章で引いた

「絶望の山に分け入り、希望の石を切り出す」

の言葉を遺したマーティン・ルーサー・キング牧師は次の言葉も遺している。

「最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である。」

私たちが現実を凝視し、考え、そして行動しなければ、最大の悲劇が起こるの
である。

考え、そして、行動すること。

この重大性を見つめる必要がある。




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