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母が亡くなって2年と9ヶ月、モモが逝ってからも2年と4ヶ月。
母が生きているとき、父はとてもとても【ケチ】だった。
母が年金を支給されたころによく言っていた「俺の年金が減る」というコトバ。
すごく聞くのが嫌だった。
「あなたが定年まで勤られたのは、パートしながら家のこと、子育て、みんなやってきてくれた母のおかけじゃないかい?」と思うとすごくムカついた。
母がパートで貯めた貯金を家の改築時などにはドカンと出させていた。
やりくりして、パート仲間と旅行に行ったりすると…おもむろにイヤな顔をしていた。
(パートで)働いてるんだから、と生活費をくれないことがあったことも知っている。
なにかっていうと領収書、領収書と言ってレシート類の提出を求めた。
それなのに…
母が逝ってから、父は結構大盤振る舞いになった。
孫たちに甘いのは当然として…
週に一度実家に行く。
ホームセンターで好きなものを買う。
スーパーでも「安い」より「欲しい」を優先している。と言ってもたかが地元のスーパーだから、デパートの食品売り場じゃないからたかが知れてるけど。
昨日、帰りがけに「ガソリン代」と言って1万円くれた.
失業していた頃はこの不意のお小遣いがとてもありがたかった。
でも…いや、
定職について、定収入をいただけて、やりくりして、だから、今でもありがたいけど。
そんなに大盤振る舞いできるなら、母が生きているときにもう少し楽をさせてあげてほしかったと思ってしまう。
家計の面で、しょっちゅう嫌味を言っていた。
電気を消し忘れたと言ってはねちねち…IHを消し忘れたと言ってはねちねち…
今、自分だってそういうことやって、「ああ、やっちまった」と思っているはず。それを母がやると許せなかった?その心の狭さは何なの?
今、母が生きていたら父はどうなんだろうか?
今のようにぱっぱぱっばとお金を使うだろうか?
相変わらずケチなんだろうか?
私にお小遣いをくれるなら、母に自由に使わせてあげてほしかった。
母が、そんな窮屈な来活の中でも、パート代や年金をちまちまちまちまと貯めて姉妹に残してくれたお金。
【自分の人生にとって大事なもの】に使っている。
こうやってお金をためながら、自分のためにはお金を使わなかったおかあさん。
安い食材でやりくりして。
しまむらや100均で買ったものを使って。
ごめんね、今のあたし、贅沢してる。
デパ地下のお惣菜、食べたことないよね。
デパートで売ってる服やバッグ、身に着けたことないよね。
おかあさんがいなくなって、デパートのお菓子コーナーでケーキを選ぶこともなくなりました。
デパートで売ってるものって言ったらそれくらいしか知らなかったかもね?
もっと早く定職についていたら、もっとおかあさんに楽をしてもらえたかな?
それよりも、安心してもらえたよね。
15日でここの会社に入って半年になります。
つらいこと、あったけど、辞めたいと思ったことはない。
できるならば定年まで勤めたい。
おかあさんとモモ、天国から見てくれていますか?
今日も仕事。
スケジュール表はびっしり。
がんばってくるね。
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膵臓がんで母は逝った
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日々、疲れているせいなのか…なんだかうつ度が増しています。
昨日、実家で妹が迎え火を焚いてくれると言っていたので、うちではお花とお供物を供えてお線香だけあげました。実家で一息ついたらモモを抱っこしてうちにもちょっと来てね、と言いながら…
母は…苦労し続け、酒乱の父にDVを受けながらも私たちを育ててくれた。小さい頃の母はいつも内職をしていた。そして私たちが少し大きくなってくるとパートに出かけた。働いて、家事もこなして、学校の行事にもちゃんと来てくれた。
思い返せば心配ばかりかけてきた。
多分、一番心配をかけたのは交通事故に遭った時だと思う。通勤途中で車同士の衝突。私の車は大破。腰椎骨折の重傷。知らせを聞いたときは死ぬほど心配したと聞かされた。そうだよね…そして三ヶ月間の入院。その間、ほぼ毎日のように病院に来てくれた。パート勤めの後に。
そして不当解雇され、うつ病になり、またまた心配をかけた。生活してゆけなくてお金を借りた。その上に、こっそりお小遣いも時々くれた母。パートでこつこつ貯めたお金。少ない年金をこつこつ貯めたお金。返せないままに逝かれてしまった。ごめん。
ケッコンできなくてごめん。孫を産んであげけられなくてごめん。
入院中、気にしていたね、最後まで気がかりなまま逝かせてしまったね、ごめん。「なるべく(ケッコン)するから、努力するから」って言ってあげるのが精いっぱいだった。
苦労して、苦労して、一生懸命私たちを育ててくれた。 それなのに【普通】の人生を送れてなくてごめん、気がかりなまま逝かせてしまってごめん。本当にごめんね…
私が死ねばよかったね。 父も、妹も、甥っ子も…母を慕っていたもんね。
ごめん。私が代わりになれば良かった。
去年、2月に母が亡くなって、7月にはモモが虹の橋を渡った。 私が2月に死ねばよかった。そうしたらモモを向こうで待っていられた。
母にはもっともっと長生きして、苦労した分楽しい老後を送ってほしかった。楽しく生きてほしかった。ひ孫まで見られるくらい生きていてほしかった。
私が死ねばよかった。 モモはどうしてそんなに生き急いだの?
どうしてそんなに早くおかさんの腕から旅立ってしまったの?
おかあさん、モモ、会いたいよ、戻ってきてよ。 愛してる、ずっと愛してる…母もモモも。
涙がぽとぽと落ちた。 生きることはつらいです。
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ハナカイドウです。
生前、母はこの花が好きだったようなんですが、名前を間違って?覚えておりまして…
「ほら、ウラカイドウとかいう花」…って。
違うし…
なんだよ、裏街道って。
たぶん、シュウカイドウとごっちゃになっていたんだと思う。
母は花が好きだった。
庭には父が買ってきた苗とは別に、自分でこぼれ種で育てていた?
サクラソウやハナニラ、ミヤコワスレが咲いていたなぁ。
今、それらは知らずに父が引っこ抜いてしまったのでほんのわずかしか残ってない。
そして今、庭にはゼラニウムが真っ赤な花を咲かせている。
けど、花好きの母でしたが、このゼラニウムは嫌いだったようです。
緩和ケアで入院中、夢うつつで「赤い花、あれ抜いちゃって、臭いから」と言ってました。
確かにゼラニウム、においますね。
なんだかそれから私までゼラニウムが好きではなくなってしまいました。
うちのガーデン(や、ただのベランダのプランターですが…)では、朝顔とゴデチアが芽を出しました。
やっと双葉が出たところ。
そろそろオクラも種まきしよう。
今年は何年もできなかった園芸ができる。
うつが少しは良くなったのかな?
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全国チェーン展開している回転すし屋さん、くら寿司。(http://www.kura-corpo.co.jp/)
初めて行ったのは、一昨年、母と妹とでした。(http://blogs.yahoo.co.jp/roots5770/39044789.html)
あれから、車を走らせていると色々なところでこのお店を見つけます。
そして、そのたびに悲しい思いになります。
多分もう二度とこの回転すし屋さんには行かない。
というか、行きたくない。
あの時、母は帰る前にトイレに行き、長く戻ってこなかった。
心配して様子を見に行ったら…どうも戻してしまっていたようだった。
隠したがっていたので気が付かないふりをしていたけれど。
多分、もうこの時から母の体はガンに蝕まれていた。
母が本当はお刺身が好きだったことも知らなかった。
このお寿司屋さんで初めて知った。
廻るお寿司を食べに行く時がきても、もうこのお店には行かない。
思い出すとつらいから。
というか、このお店を見ると母を思い出してしまう。
そしてその思い出は悲しさに結び付いている。
だから行かない。
行けない。
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母は、難病(重症筋無力症)に罹るまで、69歳まで競輪場の食堂でパートで働いていました。そのパートは、母にとってとても楽しい職場だったようです。常連のおじさんから差し入れをもらったり、お金持ちのおじさんからパート仲間たちみんなと食事に連れて行ってもらったり。外れたと思って捨てた車券が当たっていて、みんなで山分けしたって聞いたこともあります。
そして、パート仲間で【ハナミズキの会】というのを作って、年に一度一泊旅行に行くのをとっても楽しみにしていました。旅行積み立て?をしていたようです。(パートさんたちだからねぇ)
母は写真を撮られるのも見せるのも見る(私が旅行に行った時とかの写真)のも好きだったので、旅行から帰ってきてしばらくすると見せてもらってました。
ハナミズキの会様とかいう横断幕の下で撮った集合写真。温泉ウェアに着替えてお膳の前で談笑してる写真、マイク持ってカラオケしてるらしき写真。
どれもみな、棺に入れて天国に持って行ってしまいました。あの時はそうした方が良いと思ったけれど、今はちょっと寂しい。仕事仲間と映した母の写真はもう手元に一枚もない。でも、ハナミズキの花を見ては思い出す。去年も思い出した。今年もハナミズキの季節がやってきて、母が楽しみながらやっていた仕事、仕事仲間との旅行、思い出す。ハナミズキ…母の仕事人生と寄り添っている気がする。
おかあさん…天国は居心地いいですか?
私はもっともっと長く一緒にいてほしかったよ…
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またご縁がおありでしたら...






