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越谷の夏は暑い 海の無い埼玉県には、水上公園という多目的プールがある。 越谷も岩槻と跨って水上公園がある。 その水上公園は涼を求めて大勢の人が連日訪れている。 だが、この水上公園から南に向かって、戦中昭和19年から多くの人が 駆り出され、陸軍の飛行場を作ったことを知っている人は この水上公園で楽しんでいる人の中に何人いるのだろうか・・ この越谷陸軍飛行場(他に荻島飛行場や新和飛行場や論田飛行場とも呼ばれてた)が あったとの情報をいまから3年前の新聞でhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/kikaku/040/6.htm 知りまして、あの場所に飛行場?とどうしても結びつかない気持ちがあったので いろいろ調べてみたくなりました。 ただ、当時こういう軍関係の情報なんて外へ漏れることなんてあり得ないですし、知ってる方も 殆どいないであろうと思っていたので、果たしていろいろ知ることができるかと不安にもなりました。 しらこばと水上公園の駐車場。 ここから南へ行くまっすぐな道路が滑走路跡地です。 空から見た現在の滑走路跡 今は狭い道路ですが、滑走路は約60mの幅があったそうです。 滑走路北側の先端の位置に近い場所です。 ここから延びてる真っ直ぐな道が、滑走路だった所です。 昭和19年に入ると、本格的な本土空襲が始まり飛行場や軍需工場が地方に分散するようになった。 荻島村(現越谷市小曽川)と新和村(現さいたま市岩槻区末田)に跨る建設工事は 暗号名を「ソノヒコ」工事と称され、東部軍経理部陸軍建技大尉が工場長でこの工事にあたったが その施工は主に翼賛壮年団を中心とした近村の勤労奉仕隊によって進められた。 新和村からは、勤労報国隊によって進められた。 滑走路跡の道路です。狭い道路です。 勤労報国隊の作業時間は、午前7時から午後5時までとし報酬は男子1日6円、女子は1日3円であった。 しかし、工事はなかなか進まなかったようで勤労奉仕隊の追加出動要請が出された。 作業時間はほとんど変わりないが、報酬の支払い方法が大きく変わり、1日で引率者と優秀男子が 4円30銭、一般男子が3円30銭、一般女子2円50銭に対し優秀女子3円50銭と賃金に 格差を設け、しかも日銭で支払った。 なりふり構わぬ突貫工事の様がうかがえる。 当初は昭和19年9月20日に完成予定であったが、悪天候その他で著しく工事が遅れ 翌年にわたってしまった訳である。 しかし、こうして完成した飛行場も同時に大門村(現さいたま市緑区)に建設された 燃料や爆弾の貯蔵庫とともに使用されないまま終戦を迎えた。 越谷飛行場に米軍が進駐してきた。歴戦の部隊だそうだが品位の低いえげつない態度の兵士だった。 町へ出て時折町民とゴタゴタを起こしていた。 連合軍の越谷駐留は短期間であったようである。なお現在国の天然記念物に指定されている 埼玉県の鳥「しらこばと」は、これら進駐軍などの乱獲で一時絶滅に瀕したこともあったと 言われる。 こちらは、越谷市史・岩槻市史の中から抜粋させていただきました。 恐らく戦中か終戦直後くらいのの飛行場だと思います。 滑走路跡の道路から少し離れた田んぼの用水路です。 おそらくこの辺りまで滑走路があったのではないでしょうか。 滑走路跡南端です。 この道路の周りは民家、田んぼと、目立ったのは産廃業者が多かったことです。 つづく
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今はだいぶ小さくなりましたがここに通称飛行場沼と言うのがあってよく釣りに行きました。そこに生えている川柳は何故かクワガタが沢山取れる場所でした。
2008/8/17(日) 午後 4:25
tommy様
もしかして今の463バイパス横にある所では??
やはり「飛行場」と名前の付いた名称があるのですね。
2008/8/18(月) 午後 11:17