全体表示

[ リスト ]

天国の江ノ電運転士

ニュースはこちらhttp://mainichi.jp/select/today/news/20081220k0000e040055000c.html?link_id=RSH01
>>>この話は知ってました。
最初耳にした時、泣きました。
今回のこの記事を見た時も、涙しました。
夢を実現させた江ノ電のスタッフにも、涙しました。

こう言う事なんです・・

この文は、鉄道ファンサイトで見つけたものです

時刻表にない特別列車

平均時速20kmで鎌倉〜藤沢間を34分で結ぶ江ノ島電鉄、通称江ノ電。
今年で創業102年、年間乗客数は約2,700万人と多くの人に親しまれている。
そんな江ノ電の社員には忘れられない出来事があった。1998年9月14日、江ノ電本社の
総務課長(当時)だった楢井進さんは、乗客からの要望や苦情などを一手に引き受けていた。
膨大な数の手紙を前に殺伐とした日々を過ごしていた。

ところが一通の手紙が彼の疲れを吹き飛ばした。
楢井さんはその手紙をすぐに鉄道部次長(当時)の高橋肇さんに持っていった。
送り主はメイク・ア・ウィッシュオブジャパン、難病と闘う子供たちの夢を叶える
お手伝いをする団体だった。
東邦大学付属大森病院に入院する新田朋宏君(当時16歳)が、「江ノ電の運転手になりたい」と
いう夢を持っているという手紙だった。
朋宏君は生後7ヶ月で拡張型心筋症という、心臓の筋肉が薄く収縮に負担がかかり、心不全に
なりやすい病気であることが発覚した。
数万人に一人の先天性の病気で、朋宏君の母親、裕子さんも同じ病気だった。
裕子さんは朋宏君が9歳の時に同じ病気で他界していた。

幼くして母を亡くした寂しさを癒すのは、大好きな電車だった。
父の和久さんは休日のたびに様々な電車に息子を乗せた。
外で思いっきり遊ぶことのできない朋宏君にとって、電車の力強さは憧れだったのだ。
そしていつの頃からか、電車の運転手になりたい、と言うようになっていた。
思春期になると電車への思いはさらに強くなっていた。
専門書まで読みこなし、その夢を持ち続けていた。
全国の電車や時刻がわかるようになり、入院中には医師や看護士から「動く時刻表」と呼ばれ、
出張前などには頼りにされていたという。
古い電車、中でも近かった江ノ電が特に大好きだった。

ところが15歳の時、病状が急激に悪化し、大好きな江ノ電にも乗れなくなってしまった。
当時の主治医で東邦大学医学部の佐地勉教授は、内科的に治療が限界であり、
最後の治療法である心臓移植も日本ではできない上、他にも悪化した部分があったために
心臓移植の適用にも入らなかったと話す。
病気を治すことはできない、その事実を知った父の和久さんは、電車の本を病室に運び、
息子を励ますことしかもうできないと思っていた。
 
そんなとき、生まれた頃から一家を見守ってきた佐地先生が、
メイク・ア・ウィッシュオブジャパンのことを和久さんに話した。
朋宏君に夢を聞くと、「江ノ電を運転したい」という返事が返ってきた。

こうして江ノ電本社に手紙が送られてくることになったのだ。
高橋次長はすぐに「やろう」と返事した。しかし、まだ難病の少年にどのように
夢を叶えてもらうか、明確な提案があったわけではなかった。
生まれ育った江ノ島と江ノ電が大好きで入社した、労働組合書記長の岩崎幸司さん。
当時は鉄道部で、電車のダイヤ調整や人員配置を担当していた。
日々の忙しさに追われていた岩崎さんもこの日、少年の夢に出会った。
高橋次長が、なんとかならないだろうか、と協力を求めてきたのだ。
どうしても彼の夢を叶えてあげたいと思ったのだが、まずは運転免許を持たない者に
ハンドルを持たせることも運転台に立つことも禁止されていた。
国土交通省の鉄道運転規則は絶対に守らなくてはならなかった。
そこで、運転席に入って運転手気分を味わってもらうということで納得して
もらうしかない、という結論に達した。
その提案でも、朋宏君はとても喜んだ。
こうして彼の夢に向けてプロジェクトは動き出した。
ささやかなイベントかもしれなかったが、電鉄会社の中では決して大手とは
言えない分だけ、その日のうちに全社員に伝えられ、動き出すことができた。

具体的な夢の実現日は11月5日と決まった。
病院との連絡を取りながら調整する役は楢井さんが当たった。 
乗りたい車種を聞くと、朋宏君は全車種を知っていて社員を驚かせるほどだった。
一日のうちで最も暖かい時間にお気に入りの車両で藤沢〜鎌倉間を走れるよう
ダイヤを変更した。寒さは心臓病には禁物だった。
彼の病状はこの頃比較的安定していたが、それでも外出は日中の5時間が限度だった。
江ノ電は単線で、電車同士が駅ですれ違う。ダイヤは大変緻密に計算されており、
作業のわずかな遅れがその後の電車運行に支障をきたしてしまう。
岩崎さんたちは救急処置を含めたシミュレーションを何度も行った。
そして何より、朋宏君の病状を案じ続けた。連絡係をしていた楢井さんは、ある事実を知った。
朋宏君を出産後、体調の思わしくなかった裕子さんは、外で遊べない息子のために
電車のおもちゃをあげたという。
裕子さんは一度も一緒に電車に乗ることができなかったのだが、朋宏君は電車に乗るたびに
「今度はお母さんと来ようね」と和久さんに話していたという。
母と一緒に電車に乗りたいという気持ちが、運転手になりたいという大きな夢に
繋がったのではないか。
その話を聞いた楢井さんは、一から考え直した。やはり、運転席に入れるだけでなく、
運転手にしてあげたい、もう一度方法を考えて欲しい、と岩崎さんに話したのだ。

岩崎さんもそれを承諾した。そして鉄道運転規則の中に「本線の運行に支障するおそれのない
側線において移動するとき」は運転免許がなくても電車を動かせることを調べ上げた。 
車両の検査のために電車を走らせる引き込み線が江ノ電にはあった。電車の暴走など、考えられる危険すべてを排除するため、引き込み線と本線の分岐点には車両をクッションとして置いて安全を確保することにした。 ちょうどこの頃、朋宏君の病状が悪化して、11月5日のイベントは中止となってしまった。楢井さんは暖かくなる春までの延期を提案したのだが、主治医からは「春まで持つかどうかわからない」という悲しい返事が返ってきた。
朋宏君に「電車に乗れなかったら死んじゃう」と言われた和久さんは、とっさに「11月11日に乗れるよ」と返事してしまった。こうして次のイベントは11月11日と決定した。

医者の許可も出たが、この日を逃すと寒さが厳しくなる。残されたワンチャンスだった。
病院では看護士達がいくつものてるてる坊主を作った。雨が降るだけで心臓への負担は
さらに大きくなる。医師達も準備万端で臨むことになった。

11月11日は、この時期にしては珍しいほどの暖かい陽気となった。
江ノ電の用意した制服を着た朋宏君。まずは藤沢から鎌倉まで、大好きな電車で旅をした。
この時、万が一の時に備えて病院が用意した救急車が必要な薬を全部乗せて併走していた。
そして、普段はいくつか無人駅もある江ノ電だが、この日は万が一のために全ての駅に
駅員が待機して朋宏君に敬礼を送った。全駅が有人になったのは、100年の歴史で初めてのことだった。 
そしていよいよ引き込み線内で運転する夢の時間が始まろうとしていた時、朋宏君は
自分から立ち上がり、運転席に向かったのだ。
これには同行していた医師達もとても驚いた。プロの運転手に手を添えられてはいたが、朋宏君は
江ノ電を運転したのだ。

それから3日後、11月14日に朋宏君は母の下へ旅立った。
あれから5年半、江ノ電本社には今も朋宏君が描いた江ノ電の絵が飾られている。
江ノ電は今日も多くの人の夢を運び続けている。

現在江ノ電では朋宏君の夢を受け継いで、9月1日の開業記念日に子供たちを
制服制帽姿で運転席に入れてあげるイベントを行うようになった。
全ての少年少女の夢を公平に叶えようということだ。
高橋さんは、親に連れられて子供の頃乗り、そして学生になり恋人と一緒に乗り、そして
さらに子供を連れて乗りにくる。そうして何世代にも渡って何回も乗って欲しい、そう話す。
今日も江ノ電は、ゆっくりと走り続けているのだ。

いつだったかドラマにもなったかと思います。
もうこうやって書いてるだけで、画面が見えなくなっちゃってます。

朋宏さん、奇跡的に元気になってたら、今頃江ノ電の運転手になってたんだろうな。
私たちが江ノ島や、鎌倉へ江ノ電利用する時、運転席に朋宏さんがいたかもしれない。

運転士合格、おめでとうございます。


この記事に

閉じる コメント(14)

顔アイコン

江ノ電にこんな物語があったなんて、知らなかったです。
読んでいても涙が溢れてきます。
少年の夢を叶える為に頑張ってくれた江ノ電のスタッフにも
本当に感動しました。

2008/12/22(月) 午後 10:39 一美 返信する

一美様
この事は、江ノ電のHPを見てもどこにも書いてないんですよ。
偽善ではないと言う事もわかってきますよね。
まだこういう会社があるんだって言うところにも
日本はまだ捨てたもんじゃないなって感じました・・

2008/12/22(月) 午後 11:30 七左衛門 返信する

顔アイコン

もう、江ノ電何年乗ってないかなぁ。
憧れの地なんですよ、江ノ電が通っている
あたりは。

論点それるかもしれませんが

http://jp.youtube.com/watch?v=_R958tIk7Ic
http://jp.youtube.com/watch?v=gWPZgyEKclQ
http://jp.youtube.com/watch?v=DZ4qKaImH28
http://jp.youtube.com/watch?v=gunqrOxB0V8
http://jp.youtube.com/watch?v=FmiRy9oazjQ

が連想しました。

2008/12/23(火) 午前 2:26 [ - ] 返信する

顔アイコン

ポチ

2008/12/23(火) 午後 7:27 [ - ] 返信する

顔アイコン

履歴から来ました!詳細を見て又、涙そうそうです!☆ポチ

2008/12/23(火) 午後 8:23 [ fwyking ] 返信する

顔アイコン

奥様を亡くされて 悲しい気持ちでいっぱいだったのでしょうに
新田君のお父様は 息子さんの為に頑張り続けられたのですね。
朋宏君は病の試練がある人生だったでしょうけれど
きっと幸せだっただろうと思います。

偽善ではなく 本物の善意であるものが少ない昨今に
しかもこんなに祖国は寒いんだけどね、
心がほんとうに温かくなりました♪
素晴らしいお話をありがとうございます。(^@^*)ノ凸

2008/12/23(火) 午後 9:57 maro 返信する

Merry Christmas!
通勤以外であまり電車に乗りませんが、江ノ電は特別な存在です。
民家と民家の間をすれすれで走ったり、突然視界いっぱいに海が広がったり・・・。
このお話を読んでますます好きになりました。
久しぶりに乗ってみようかな〜。

2008/12/24(水) 午前 0:52 きなこ 返信する

顔アイコン

江ノ電、大好きです。5年前のお話も知っておりました!ニュースより、もっと長く見た覚えがあるので、ドラマだったんだと思います。大好きな江ノ電と相まって、感無量。メイクア・ウィッシュ・オブジャパンの活動は、最高に素晴らしい活動だと毎回思います。絶対自分にもお手伝いできることがあると思うんです。いつか、なんて言ってるやつはいつまでもやらないって言われそうですが、いつか、必ず、参加したいと思っています。やっぱり、江ノ電は、特別な電車です。素晴らしいお話をありがとうございました。よいクリスマスを^^どんな境遇にある人も何か幸せを感じられる日でありますように☆

2008/12/24(水) 午後 3:35 [ のーむ ] 返信する

かお様
江ノ電走ってる辺りは、絵になる街ですよね!
海なし県に住んでいる私にとっても、憧れです。
海辺でギター弾いて、若大将気取りで・・(笑)

2008/12/24(水) 午後 10:52 七左衛門 返信する

ひすい様
ポチありがとうございます(泣)
朋宏さんにとっても、素敵なクリスマスプレゼントに
なったでしょうね♪

2008/12/24(水) 午後 10:53 七左衛門 返信する

fwyking様 はじめまして!
江ノ電のスタッフが皆で協力して実現できたことも
また泣けるんですよね・・
素敵な会社に、素敵な上司があるのは働く者にとって
理想です♪

2008/12/24(水) 午後 10:55 七左衛門 返信する

とんとん様
朋宏さんのお父様も、立派な方ですよね・・
良いお父様に育てられた朋宏さんも幸せだったでしょう。
今頃天国で、お母様を乗せて電車を運転していることでしょう・・
ポチありがとうございます♪

2008/12/24(水) 午後 10:57 七左衛門 返信する

Merry Christmas!
我が輩江ノ電は遠い場所にあってなかなか乗れませんが
軒先、道路、海と景色の移り変わりが激しくて楽しい
電車ですよね!
昔の、古い車両が走ってた頃なんかもっと楽しかったかな。
私も暖かくなったら、江ノ電撮影しに行きます♪

2008/12/24(水) 午後 11:00 七左衛門 返信する

のーむ様
恐らくドラマではないでしょうか?
私は見逃していました(泣)
メイク・ア・ウィッシュオブジャパンの活動、素晴らしいです!
私にはどこまでできるかわからない・・
のーむ様、素敵なクリスマスを送れましたでしょうか??

2008/12/24(水) 午後 11:03 七左衛門 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事