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この優勝の前の優勝が私中学3年生の時でしたので25年ぶりのリーグ優勝でした。
テレビの前に座って試合を観戦していましたが、25年間の苦悩のシーズンを
いろいろ思い出しました。
昭和56年の初優勝の時、丁度中間テストで学校が早く終わったので
珍しくテレビ中継していたデーゲームのプレーオフを見ていました。
この時代非常に珍しく川崎球場からロッテとのプレーオフを中継していました。
ファイターズが勝ったと同時に万歳をしましたね。
日本シリーズの相手は巨人。
ちょうど「50番トリオ」と命名された駒田、槙原、吉村が出てきた時代で
原監督もルーキーの時でした。
江川や西本も若かった頃で黄金期でした。
どちらも後楽園をフランチャイズとしていたので後楽園のみの試合でした。
見事負けました。最後は江川が五十嵐を討ち取ってジ・エンド。
で、次の年からあの「オレンジユニフォーム」になっちゃってかっこ悪かったっけ。
だんだん弱くなって優勝前のファイターズに戻りつつありました。
後楽園球場から東京ドームへ移った年はまだお客も入っていたほうですが
だんだんお客も少なくなって、私もよく観に行きましたが売店が巨人戦に比べて
半分位しか空いてなかったり、確か巨人の選手のロッカールームに比べて狭いところを
使っていたり差別が酷かったんですね。
私は空いているからいつでも気軽に行けるからいいやと思っていました、反面寂しさも
感じました。
約10年前にもうちょっとで優勝と言うところで当時の上田監督が家族の宗教問題で
突如休養して優勝もチャラになった時は怒りを感じましたね。本当にもうちょっと
だったのに。
そして北海道移転が決まったとき、これでよかったのではと思う反面
東京ドームでの試合が凄く少なくなるので、悲しくなりました。
でも北海道移転と新庄加入はファイターズにとってプラスだった事このプレーオフを
見ていて思いました。
稲葉の劇的内野安打で決着がついた時、涙が出てきました。
ヤフーの動画で視聴を切り替え、ビールかけまで見ていました。
で、私も風呂場で缶ビール浴びました。
ヒルマン監督の言葉ではありませんが「シンジラレナイ」瞬間でした。
ただ、心配もあります。
主砲、小笠原のFAの動向や新庄が本当に辞めちゃうのか。
でも、それは置いておいて日本シリーズを楽しみます。
中日も強いからなぁ・・
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