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9月に入って初めて書きます。
最近サボりぐせ付いてしまって
暑いからとか、そう言うもののせいにして
サボってました。
8月も全く書かずでしたが、そのサボってた間に
いろいろやりました。
まず、もう4年前くらいでしょうか。
越谷の陸軍飛行場跡を調べた
と判った事がありましたが、その4でコメント頂いた長永さんのご指摘に
いろいろ調べまして、ちょうど仕事関連で飛行場跡地を通ったので
更に判った事を調べてまいりました。
以前、送信塔の土台がまだ田んぼに放置されてる場所を発見したのですが
この場所だけかと思ってましたが、長永さんが教えてくれたのが
このように西へ点々と残っている鉄塔跡なんです。
その鉄塔跡を探しに行きました。
まず1番目の場所へ
2つ上の画像の1の場所の鉄塔跡 JA南彩の倉庫裏の田んぼの中に発見。 たんぼの稲の間から頭の部分だけ見えてます(矢印部) こんな風に置き去りだと、田植えがやり難くないですか? ただ戦争遺産としては残して欲しいのですが・・ これは2の地点の鉄塔跡 向こうに見える埼玉サッカースタジアムとのギャップは 埋められないです。 もう2つの鉄塔跡は、農道からは見えなくて稲に隠れていると 思われるので、田植えが終わった秋半ばにまた確認に 行こうと思います。 次は この一部目立つ森に向かって移動します。 そこには以前、飛行場から離れた場所に地元民が「かぶ山」と 呼んでいる小さな森の丘があり、大戦末期、ここには航空機の 隠蔽格納庫が造られたそうです。 地図を見ると多少地形が分かるかもしれませんが、 丘を真ん中から削り、そこへ航空機を格納。普段は大きな布辺りを 左右の丘へ通して隠蔽…という算段だったそうです 上の画像は戦後2年後の画像 こんな田んぼばかりの土地にやたらデカい道が、かぶ山方面へ 向かっていて、かぶ山付近にインターチェンジ並のカーブが あります。 こんなのこの時代の農道に必要がないはず。 これは恐らく戦闘機を隠すための誘導路ではなかったかと 思います。 こちらは現在のほぼ同じ位置から見た画像 黄色くなぞった所が誘導路跡です。 早速現地へ行きましたが・・ 軽自動車1台分の狭さ・・ 対向車が来てもずっとバックで戻るかグイグイ前へ 行っちゃうか悩みましたが、こんな道誰も通らないだろうと 決行! 木が生い茂っていますが、丁度建物があった場所は 平地でした。 恐らくそこに戦闘機を隠そうとしてたのか? 社外へ出るのに、ドアが全開に開けられない位狭いし
この森に虫や蛇がいそうだったのと、犬がやたら吠えるので 写真撮って撤収・・ ただやはり格納庫の形跡は皆無です。 この付近、飛行場を「ロンデン飛行場」と言う方や 「越谷飛行場」「荻島飛行場(旧荻島村・現越谷市南荻島)」や 「新和飛行場」と色々な呼ばれ方らしいですが これだけの範囲に飛行場施設があれば頷けます。 そして 誘導路の南東部にかつて、兵舎があったという情報を 教えて頂き、その跡地周辺へも行ってみました。 ここも判りづらい道で回ってるうちに方向感覚がいかしくなりました でもなんとか到着しました。 ・・と見てみても当たり前ですが、兵舎はありません。
ただこれも以前越谷の歴史展に行った際に教えて頂いたのですが 唯一兵舎の一部が残ってる所があると聞きました。 しかし、所有者が見せてくれないらしくそこの研究員の方も どの辺にあるのかは教えてくれませんでした。 この辺り車でウロウロしましたが、さっぱり何処にあるのか 判りませんでした。 仕事の途中だったのでゆっくり散策出来なかったので、次回は 稲刈り終わった頃にまた送信塔土台発見の散策をしてみようかと
思っています。
長永様、先に散策して記事にしてしまいまして申し訳ありませんでした。
まだ判らない所や怪しい所が結構ありそうです。
この地は仕事で通る事が多いのでまた気が付いたら何かを
探すと思います。
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