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2004年7月。世界遺産に登録された『熊野古道』。 これは、リフレッシュ女一人旅の3日目の様子です。 12月11日(土)今日も朝風呂を満喫し、朝食も完食! ↓ 熊野速玉大社 【熊野三山の一つ。参道には、天然記念物の高さ20m幹回り6m、無数の 枝を四方に張った樹齢千年の御神木の梛(なぎ)がそびえ立っていました】 ↓ 神倉(かみくら)神社・ゴトビキ岩(538段の石段を登りました)
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那智大滝(落差133m、日本一の名瀑)↓ 那智山・青岸渡寺(せいがんとじ。西国三十三所観音霊場の第一番礼所) ↓ 熊野那智大社
牛王宝印(厄除けのお札。これは熊野本宮大社のもの。カラス文字で書かれた
熊野山獨特の御神符。鎌倉時代には「誓約書」として用いられていた)
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大門坂(立ち並ぶ杉の巨木の間を、苔むした石畳が約500mも続きます)↓ 浜ノ宮王子(熊野三所権現を祀り、その御神像三神は国の重要文化財) ↓ 橋杭岩(天然記念物)
橋杭岩の伝説:その昔、弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡るため
天邪鬼に手伝わせて橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったと言われている。 苔むした石畳が残る古道、深い森の中に佇む立派な社、かつて「蟻の熊野詣で」と呼ばれる
ほど、貴族から庶民まで老若男女を問わず大勢の人が訪れたという熊野。 古道に立ち寄り、三山を巡って、世界遺産まっただ中の名湯につかる。 2泊3日の旅だけれど、身も心もいつの間にかリセットされていった。 (終) |
熊野古道(2004.12)
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2004年7月。世界遺産に登録された『熊野古道』。 これは、リフレッシュ女一人旅の2日目の様子です。 12月10日(金)貸し切り状態の朝風呂を満喫し、しっかりご飯も食べて… ↓ 語り部さん(坂本勲生氏)と出発! ↓ 発心門(ほっしんもん)王子 ↓ (歯痛の地蔵さんに寄り道しました) ↓ 水呑(みずのみ)王子 ↓ 伏拝(ふしおがみ)王子 ※すぐ脇に、NHKのドラマ「ほんまもん」の ロケ地になった茶畑がありました。 ↓ 祓戸(はらいど)王子 ↓ 熊野本宮大社 ↓ 大斎原(おおゆのはら:本宮大社旧社地。明治22年の大水害で被災するまで本宮が
あった場所。日本一といわれる高さ33.9mの黒い鳥居がありました)
↓ 昼 食(山菜めし定食) ↓ 貸し切り船で熊野川の川下り (かつて熊野詣でをした人達は、中辺路をを歩き、本宮大社を参拝した後、 船で熊野川を下り、熊野速玉大社を詣でていたそうです) ↓ 南紀勝浦温泉(勝浦観光ホテル:展望大浴場からの海岸線の景観は最高!) 平安時代の上皇、法皇、女院たちに始まり、公家、武門、一般庶民まで多くの参詣者が訪れた この地で、一遍上人(いっぺんしょうにん)は熊野権限より「南無阿弥陀仏」と書いた札を 「信不信を選ばず、浄不浄をきらわず、くばるべし」と啓示を得て、後に踊り念仏で知られる 時宗(じしゅう)へと発展、熊野信仰を全国へと広めました。 苔むした500mに渡る石畳。いよいよ明日は森の精霊たちに逢えるはず…。 |
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2004年7月。紀伊山地の霊場と参詣道がわが国で12番目の世界遺産に登録されました。 これは、2004年12月9日(木)〜12日(土)リフレッシュ一人旅の様子です。 12月9日(木)羽田空港からJALで南紀白浜空港へ ↓ 熊野古道館(中辺路町にある12角形の建物)でオリエンテーション ↓ 語り部さん(小松勇二郎氏)の案内で出発! ↓ 滝尻王子(王子の中でも特に格式の高い、五体王子のひとつ)
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高原熊野神社(樹齢1000年といわれる楠木の大木が)↓ 高原の里で昼食(紀州寿司の詰め合わせ弁当) ↓ 箸折(はしおり)峠・牛馬童子 (牛と馬に乗る童子は熊野を詣でた花山院を表しているとか) ↓ 近露(しかつゆ)王子 ↓ 野長瀬(のながせ)一族の墓 ↓ 継桜(つぎざくら)王子 ↓ 野中の一方杉(樹齢800年を数える杉は、名前の通り幹の一方にしか枝がなく、 不思議なことに枝の先はみな那智大社の方向を指しているとか) ↓ とがの木茶屋で一休み ↓ 野中の清水 ↓ 川湯温泉(みどりや・河原に混浴の温泉があり、深夜2時に一人で入りました) 司馬遼太郎さんの小説に『風の武士』があります。 舞台は熊野であり「熊野に、安羅井という秘国があるという」とロマンあふれる司馬ワールドが はじまる。「国びとは二百人を越えぬあ。それに、山中であるゆえ、千年来、人に知れなかった。」 目の前に広がった近露の里は、安羅井という秘国を想像させた。 南紀熊野にすっかりはまった。紀ノ国は、気の国であるかのように…。 |
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