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いづれ、難儀な状況がと思ってたところ、そいつ奴が意外に早々とやってきちまったんだ。
遂に片っぽの目が殆ど見えなくなっちまったんだ。そうさ。検眼の一番でっけぇ記号も見えねぇんだ。 見るもの全てが歪んだ上にボヤけちまってるから始末が悪いんだ。
タマげたねぇ。タマげた、駒下駄、日和下駄てぇぐれぇなもんだし、今更、いやじゃ有馬の水天宮つったところでどうにもなりゃしねぇんだ。 しかもだぜ、不便なことこの上もねぇにもかかわらずだ、お上のお定めときたひにゃつれねぇんだ。片っぽの目が不自由になったくれぇじゃ身障者てぇことにゃならねぇらしいんだ。
とまぁ。愚痴のひとつもこぼしたくなろうってもんだが、こいつばっかりゃ今更どうにかなるもんじゃねぇしと諦めちまった、てぇことさ。
ま、それはともかくとしてだ。その昔、爺ちゃんがご幼少の頃のことだと思いねぇ。
縁日とかお宮の祭礼なんかでさ、夜店の屋台なんかが並ぶとき、日が落ちても電灯なんぞ点けやしねぇんだ、カーバイドと水を反応させてアセチレンガスを発生させ、真鍮のトーチランプってもんで燃焼させて仄かな明かりを灯してたんだ。
あの独特の臭いが今じゃ懐かしい思い出だけど、暗いお宮の境内のあちこちにこの火が灯るとLEDなんかと違ってなんとも言えねぇ幻想的な趣きだったし、行き交う人が巻い上げる土埃だってあの場には欠かせねぇ情緒だったんだぜ。
なんでこんな話なんぞをしてるかてぇとだ、そんな屋台の中に、子供を騙くらかす手品師てぇモンがいてだ、数枚のカルタを繋げた束をパラパラっと開いて見せ、やおら閉じて再びそいつを広げると、あら不思議、絵の順序が瞬時にして逆に変わってるじゃねぇか。
と、まぁ。そんな不思議なワザを披露してたもんなんだ。 随分昔のことさ。
前置きが長くなっちまったが、このブログで南朝鮮のドラマに使われてた蘇東坡(蘇軾)の「前赤壁賦」が書かれた小道具の屏風が何故かトンチンカンな順序だって指摘したことがあるが、最近になって妙なことに気付いたって訳さ。
あん時にゃ気が付かなかったけど、左の囲み部分を見ておくんねぇ。 よく見るてぇと、辛うじてだが、「壬戌□□七月既望蘇」 と読めるじゃねぇか。
とするとだ、おんなじヘンにしてもだ、せんのようなヘンな状況じゃなくって、左の第六扇が詠い起しで、全体の順序てぇもんが左から右方へと順次展開されてるってことのようらしいがだ、早ぇ話がやっぱりデタラメてぇことさ。
なんとも悪ふざけもここに極まれりって言いてぇところだが、善意に解釈するんならだ。夜店の手品のようにだ、一旦閉じたうえで再び広げたら、上図の第六扇が右へ移動して第一扇として収まり、以下それぞれが目出度く真っ当な順序に入れ替わるって寸法だと思いてぇが、皆の衆は如何。
いずれにしてもだ。二度とお目にかかりたくねぇ代物ってことさ。
事のついでに、この屏風てぇもんは、「陳舜臣」のドラマにも使い回しされていたことを書き添えておこうかい。(ただし、ドラマの製作年次からすると陳さんの方が先かもしれねぇ。)
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お隣んちの漢詩
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| 大長今 (テジャングム) のドラマに使われた小道具の掛軸に 漢詩などが墨痕麗しく書かれています。 ドラマの話題は豊富ですが、この漢詩、朝鮮の漢詩に寄せら たコメントに出合ったことがありません。 そこで、この漢詩などを読み解いてみたいと思います。 |
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Yahoo!が運営する動画サイトGyaO!の「大王世宗」という韓流ドラマ、その第15話から登場人物の背後の屏風に貼られていた中唐時代の漢詩をご紹介しましたが、その後、22話でしたでしょうか、こちらには、かなりの内容が表示されている屏風がありました。が …、
ドラマに使われた小道具ですから、誤謬が散見されたところで目くじらたてて騒ぎ立てることもないのでしょうが、いくらなんでも詠み手の蘇東坡に失礼極まりないことでしたので敢えて書き留めた次第です。
蘇東坡(蘇軾)の「赤壁賦」といえば名文と評価されていますし、小生なども通勤電車の往復で繰返し読んだものです。ですから、ドラマの画面に屏風が映ったとき、直ぐに「前赤壁賦」と認識できましたが、何故かとても粗末な扱いをされていたのです。
とにかく、妙なそのシーンをご覧下さい。この正面の三扇は右から第三扇、四、五扇と見えているものと判断してみましょうか。しかし、これではいけません。
(拡大しますと、多少見易くなります。) 本来ならば、この様でなければならぬという順序は以下のとおりなのです。「前赤壁賦」が屏風に誤って貼られている箇所を色分けしてみましょう。
壬戌之秋 七月既望 蘇子与客泛舟遊於赤壁之下
清風徐来 水波不興
挙酒属客 誦明月之詩 歌窈窕之章
少焉 月出於東山之上 徘徊於斗牛之間
白露横江 水光接天
縦一葦之所如 凌萬頃之茫然
浩浩乎如馮虚御風 而不知其所止
飄飄乎如遺世独立 羽化而登仙
於是飲酒楽甚 扣舷而歌之
歌曰 桂櫂兮蘭槳 撃空明兮泝流光
渺渺兮予懐 望美人兮天一方
客有吹洞簫者 倚歌而和之
其声嗚嗚然 如怨如慕 如泣如訴
餘音嫋嫋 不絶如縷
舞幽壑之潜蛟 泣孤舟之嫠婦
蘇子愀然 正襟危坐而問客曰 何為其然也
客曰 月明星稀 烏鵲南飛 此非曹孟徳之詩乎
西望夏口 東望武昌 山川相繆 鬱乎蒼蒼
此非孟徳之困於周郎者乎
方其破荊州 下江陵 順流而東也 舳艫千里 旌旗蔽空
釃酒臨江 横槊賦詩 固一世之雄也 而今安在哉(以下省略。)
(不思議なことです。久方ぶりに己の記事を見ていたところ、なぜか上記の
文字のいくつかが妙な文字に変換されたり「?」マークになっていました。
修正しましたが、また、起こるかもしれません。5月23日)
第一扇と二扇がどの様な状況かは分かりませんが、見えている範囲では、紫が第五扇、茶が第三扇の順になっていますので画面の状況は順序が入れ替わっていることにお気付きかと思います。 困ったことです。 今更、どうにかなるもんじゃねぇし、多くの視聴者は背景の掛け軸や屏風なんざどうでもいいかもしれませんが、気が付いちまったとしますと、これはもう精神衛生上もまことによろしくねぇといった塩梅なのです。
ところで、この「賦」の詠み方と言いましょうか朗読の仕方ですが、あのシェーンベルクが曲を付けたジローの「月に憑かれたピエロ」のSprechstimme(シュプレヒシュティンメ)のような「朗誦」で詠まれます。どこぞの詩吟とやらとはかなり趣を異にしています。
韓流の時代劇は、先だっての時代錯誤( 雑記「うそ八百」,ここから参照 )やら殺し合いの場面が多いのには辟易しますが、邦画より面白いものですから観る機会が多くなってしまいます。
それにしても、お馴染みの俳優さんたちにあちこちで出会うことができますが、先程までは正義の味方の主人公が、ほんの数時間後には別のドラマじゃ悪党に変身するなんざしょっちゅうあるものですから耄碌爺ぃは戸惑うこともしばしば。
でも、邦画のようにセリフもオボつかねぇ大根役者が主役ばかりよりゃよっぽどマシさ。
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