もうろく爺ぃの悪あがき

手に取らで、枯れるの待ちゃいいレンゲ草。 か?

陶板画五十三次

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 京 師  廣重の保永堂板を模した陶板画 
           
「ゲ〜ジツ、Art?」、そんな洒落臭ぇモンをご紹介してきた訳じゃござんせん。
 
 
「東海道五拾三次大尾 京師」と保永堂板の三条大橋にはこのように書かれています。 当時は、政治の中枢は江戸に在りましたが、この国の中心はあくまでも京であり、江戸方面へ出掛けるときは、昔ながらに「吾妻下り」でしたし、逆は「京へ上る」でしたが、海道は日本橋が起点でしたから「大尾」としたようです。
 
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                 左が陶板画、右がその元絵の京師の図  
 
上図は、それぞれごちゃごちゃしているだけではなく小さいので何が描かれているのか不鮮明ですが、ここに描かれている三条大橋は、京の東山三十六峰と山麓に広がった家並みを背景にして橋を渡って行く様々な人模様を描いています。
因みに、背後の山は近江とを隔てる比叡の山をここへ持ってきたといわれていますので、実景を写した風景ではありません。
 
敢えて申し上げれば、シリーズ中でも最もつまらぬ景色の一つ、といったところでしょうか。
 
 
廣重さんは、この宝永堂板の他にも東海道物を16種類、それも、宿驛の全てが揃っているだけでもこれほどの数を世に出したと言われます。
中でも、初めに出したといわれる宝永堂板の出来栄えが最も優れていることになっていますが、いずれにしても版画ですから、共同作業者の彫師や摺師の出来不出来もあったことでしょう。
 
揃いの板物としての完成度はともかくとして、定説としては、宝永堂板の評価が抜きんでていますが、小生は、未だに芸術性云々だとか彫師や摺師を抜きにして廣重のみを褒めそやす評価には賛同出来兼ねています。
また、敢えて、芸術とでもいうとしたら彫師の卓越したワザこそ評価されて然るべきなのです。
 
 
それでは、「五拾三次大尾 京」(隷書板)をご紹介して、この陶板画のシリーズを閉じたいと思います。
 
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お届けしてまいりました陶板画ですが、どなたが、どの様な目的で制作したものか詳しいことはなにも分りませんし、また、筆者には焼き物としての価値などについも一切分りません。 従って、陶板画自体の評価に関するようなコメントは一切せず、海道に纏わる四方山話をするに止めてきました。

  作品の大きさは、240×240mmで、色彩は青系単色に着色されていて、広く知られる陶板画のようにカラフルな彩色が施されてはいません。 ご近所のさるお宅の塀に嵌め込まれていて通りすがりに見ることができますが、宝永堂板の続き絵が江戸から京師までの全てが揃っています。

 なんとなく、珍しそうに思えましたのでご承諾を得たうえで、一連のシリーズをご紹介しました。
 
 

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                    陶板画及び廣重の元絵(参考)から

 大津  廣重保永堂板 ほうえいどうばん を模した陶板画
            

 大津の宿の先に立場「大谷」がありました。古来、清冽な水が湧き出ることで知られたところで「走井」といいます。 この絵に描かれた茶屋・走井に次の様な書付があるそうです。

 「走井は、下の大谷町にあり、石を畳みて一小の円池とす。其の水甚だ清涼にして、冷気凛々たり(近江輿地志略;寒川辰清編纂、近江の国を紹介した書からで、以下、省略)」 

 この絵の背景になっている山は「逢坂山」といいますが、初摺りと異なりその後に増刷された版によってはこの山が省かれているものがあります。
 当時は、初摺りは絵師の指定どおりに刻され、摺られて発行されたのですが、以降は摺師の勝手が許されていて、色使いやら暈かし、さらには、背景などが省かれてしまうことがありました。ご覧になってお分かりのように、陶板画の方は再版された絵を模したものと思われます。

 それはよろしいのですが、そもそも廣重の五拾三次続絵は「江漢の画帳」あるいは「伊勢参宮名所図会・走井一ノ十六」からのコピーであるとか、廣重は箱根以西へは行ったことがないとか、唯一、オリジナルと思われていた「赤坂」の絵も、じつは「北斎」の模倣であることが検証されたなど姦しいのですが、筆者には何が真実かは分かりません。

 ただ、廣重さんの作品を手放しで礼賛する多くの方々は、何れの機会に、上記の内容をチェックされてみては如何でしょうか。 多分、なにかが変わると思います。

 素人の筆者でも、確信を以って言えることは、以前にも記しましたように続絵の季節が年中に亘って描かれていますから、八朔御馬献上儀の写生の折のみにスケッチしたものではなく、少なからず従前から発行されていた他の絵師の作品を模したり参考にしたものと思料します。

 因みに、司馬江漢の画帳説は、江漢には失礼なほど稚拙な出来栄えの絵ですから、いくらなんでも江漢を模倣したなどとは言えますまい。


 続絵の話はこれ位にしておきましょうか。 唐突ですが、この記事をご覧の皆様は、「関東」あるいは「坂東」と言いますと何処のこととお思いでしょうか。 江戸の頃の「関東」とは、ここ、近江の国滋賀郡を堺にして関東二十八州、関西三十八州と言われていました。大津の地は、大阪から十四里の距離でしたが、じつは、「関東」はすぐそこからだったという訳です。

 通説ですとか然るべき学者の区分する関東とはその地域を異にしますが、実際、嘉永元年(1848年)に発行された「旅鑑」の解説によりますとこの様に記されていますし、当時の関東の概念はかくの如しでした。

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                    陶板画及び廣重の元絵(参考)から

 草津  廣重保永堂板 ほうえいどうばん を模した陶板画
            

 草津の宿は、古来から「野路の宿」といわれましたが、それは、野路岡田遺跡の発掘調査でも確認されているところです。 宿場の西方に矢倉村がありました。この村の立場に「うばがちや(姥が茶屋)」の看板を掛けた茶屋があり、名物の「姥が餅」を食することができました。
 最近の蕎麦屋さんは店先から蕎麦打ちの様子が見えるようにしていますが、ここの名物は、当時から店先で製造して即売を行っていたようです。

 ノンビリと名物を楽しんで賑わう茶屋と、その前を先を急いで突っ走る早駕籠を配した街道風景で、なかなか面白い構成です。

 この茶屋を出た先が「矢橋(やばせ)」です。船着場があり大津までの二里を舟で渡ることもできました。さらに「月の輪新田」の立場を先へと進むと「瀬田の長橋」に着きます。


       もののふの矢橋の舟は速けれど急がば回れ瀬田の長橋


 これは、矢橋の渡し舟は、湖面を吹きぬける風の影響で危ういときもあったことから、「急ぐんだったら陸路を行った方がいいよ」って注意を喚起したり、それよりも「瀬田の長橋」といっていますが、瀬田の唐橋とは、この橋の欄干にあった唐風の擬宝珠から言い倣わされたものといわれます。

 そういえば、京阪電鉄の停車場は「唐橋前」ですし、橋自体も「瀬田唐橋」といいますが、筆者は、長橋という呼称の方に情緒を感じていますが、これは余計なことでした。

 ところで、この日本で一番大きな湖をなぜ琵琶湖と呼んできたのでしょうか。 古書によりますと、『湖水南北十九里 或ハ一里斗の所形琵琶に似たるゆゑびわ湖といふなり』 と、この様に紹介しています。 空撮などが出来なかった時代のことです。


 さて、余談を少々しましょうか。 高井川村の立場には源五郎鮒といって天下の名物と称された逸品がありましたが、その近くに、蛍谷と言って四月になるとホタルが出る谷がありました。

 貝原益軒は「木曾路の記」の中で、『螢谷は勢多と石山の間也 四月下旬の頃 此谷より夜ごとにほたるおびたゞしく飛出て橋の南北にとびちり 数万の蛍一所にあつまり 丸くかたまりて空にあがり 其かたまり水の上に落ちてちるといふ 毎夜かくのごとし』と書きました。

 また、和訓栞では、『ホタル、蛍を訓せり。火炤(ホテル)の義なり 今宇治瀬田の邊に多く集まりて團をなして水中に入ることあるを俗に合戦といひならはせり』 と教えています。

  蛍が子孫を残すため集団で相手探しをする様子は各地で「蛍合戦」として伝わってきましたが、近頃は、そんな場所もめっきり少なくなってしまいました。 いや、既に失われちまったかも。

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                    陶板画及び廣重の元絵(参考)から

 石部  廣重保永堂板 ほうえいどうばん を模した陶板画
            

 石部の宿は水口と同じ「甲賀郡」でしたが、この絵の目川村は「栗本郡」で目川を挟んだ向かいが「草津」で琵琶湖のすぐ近くでした。
 かつての石部は銅山で栄えこの絵が描かれた頃には坑口も残っており、石部の金山と言われていましたが、当時の海道は比較的新しくその昔の本海道は下道だったようです。右手には横田川が流れていました。

 それはともかく、石部の旅籠街以外にも賑わいがあった目川村を描いたのですが、何故、石部を描かなかったかは定かではありません。「京立ち石部泊り」といって、東海道を東へ下る旅人は、一泊目を石部宿に決める人も多かったといいます。

 当時は、どこの宿でも「飯盛り女」を置く旅籠があったものですが、ここには「飯盛り旅籠」が一軒もなかったといいます。ただ、真偽の程は分かりませんし、多分、ウソでしょう。
 宿街はこの絵が描かれてから僅か10年ほどの間に急速に拡大し、幕末の頃には旅籠の数が倍に膨らみ、商家も増えて大いに栄えていたそうです。


 さて、この目川の立場茶屋、軒先を取り巻いて下がる小さな暖簾のようなものに「…い・せ・や…」と染抜いてありますから「伊勢屋」という屋号のようですが、上の二つの画面からは判然としません。(参考図から分ります。)

 この絵が描かれる30年ほど前に、大阪銅座御用の途中で目川へ立ち寄った大田直次郎(南畝)は、こんな風な様子を伝えます。


 『最近、「目川菜飯」と言われているのは此処から伝わったと聞いたので伊勢屋へ入って、あの菜飯を所望したところ、田楽の豆腐が温かく味もよろしかった。「目川」とも「め川」とも染付けた茶碗で茶を飲んだ。珍しかったので二つとも買った』


 これは、「改元紀行」の中の一文で口語に翻刻してメモしました。小生がお伝えしてまいりましたこの紀行文は、桑名の手前で休憩中ですので先行して書き留めましたが、そこには、紛れもなく伊勢屋が在ったようです。

 ただ、廣重さんが、八朔御馬献上儀の写生に実際に携わったか、その折に、東海道を検分した証があるかについては詳らかではなく、道中絵巻の季節が年中に及んでいるなどの不自然さも多々あり、この伊勢屋にしても実際に写生したものかどうか甚だ、疑問に思えるのです。

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                    陶板画及び廣重の元絵(参考)から

 水 口  廣重保永堂板 ほうえいどうばん を模した陶板画
            

 水口驛は、水口城の城下町と宿場町の機能を有していました。この絵では、驛のメイン・ストリートで一家の女性が手分けして干瓢の皮むきをしたり、干したりしている風景を写しています。

 この干瓢、じつはこの土地で古くから加工されていたものではないようですが、下野壬生の加藤明英の養子だった加藤嘉矩が水口へ移封された折に原料の夕顔が伝わり、同時に栽培・加工方法がもたらされ、正徳二年(1712年)頃と言われますが、「旅鑑」などの文書では全く触れられていません。 

 このての言い伝えと言いますと訝しいものが多いのですが、それはともかく、以来、この地域に広く干瓢作りが行われることになり、この絵が出回った頃の城主は、二万五千石加藤能登守でした。

 余談ですが、ここのお城は幕府直轄といった形態をとっていて、三代将軍家光が上洛する際に改修され休憩用となって以来、ここの城主は、城持ちではなく城番といった役割を担っていました。
 それも、明治五年になり、伊藤何某ら維新の三流政治家による例の廃城令によって多くの城と同様、打ち壊されてしまいました。

 乾瓢の他にも名産品といわれてきたのが「葛籠細工」で、特に、金敷が良質のものであるとして旅案内にも紹介されていました。
 中山道の高宮の近郷「つつらおり村」で作られる「行李」が知られますが、この水口産の薬種行商などに使われた小振りの行李も名の知れた細工物でした。
 
 この驛は、愛知川の上流にあたり、伊奈川と横田川に挟まれた地域です。横田川には仮橋が架かっていましたが増水時になりますと舟渡しが行われていました。 渡し場はその時の状況によって変わったといいます。


 さて、ご紹介しております陶板画は、図柄は廣重さんの宝永堂板の水口「名物干瓢」からですが、これが行書板となりますと、木曾海道「御嶽」と同じ木賃宿の店先を描いています。
 木賃宿に泊った人模様を表わしていて興味を惹かれますので、参考までに掲載してみました。

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