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久しぶりに、戦国武将について書きます。
本多忠勝は、幼少のころから家康に仕え、色々と武功をあげた。
15歳のおり、戦場で敵をたたき伏せた叔父が忠勝に対して「さあ、首を取れ」というと、「人の力
を借りてまで武功は要らぬ」といい、敵仲に飛び込んで、自ら首級を挙げたと言う。
三方が原の戦いのおり、忠勝の戦いっぷりをみた武田勢に、「家康に過ぎたるものは二つあり。
唐の頭と本多平八(忠勝)」と言うしめたほど、とにかく忠勝は戦に強かった。
本能寺の変が起きたとき、家康は忠勝ら少数の随行ととともに堺に滞在はていたが、家康が
京都に行って信長の後を追おうと取り乱したのを忠勝が諌めて、「伊賀越え」を行ったと言う。
その他、長篠の戦や関ヶ原の戦い等で武功をあげている。
忠勝が、三方が原で戦っていた時、激戦のあげくに主君の家康とはぐれとしまい急行していた時
その道中、あるかっぷくのいい武将が「ちょっとまて、お主が本多平八郎か」と尋ねてきたので
忠勝は、「そうです」と答えるとその武将「やはりそうか、お主の事は我らの方でも評判だ」と言った
そこで忠勝が「ところで、貴方様は何方ですか」と聞いたのでその武将が「そうだ、まだ名乗ってい
無かったな、わしは武田の家臣馬場美濃守信春だ」とと答えたので忠勝も驚いて「さようでしたか」
と言うと、馬場が「お主、今主君のところに行くのであろう、ならば速く行けお主はまだ若い
こんなところで死ぬことは無い、それに急がないと武田の大軍がここに来る」と忠勝に言われた。
忠勝も遠慮なく通る事が出来た、そして忠勝も馬場に対して「このたびの事は一生忘れません」等と
申上げた。馬場も「良いから、速く行け」とさとした。この事で忠勝は家康と合流出来たのである。
私は、異常の様なエピソードがあったと記憶している。
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信春と忠勝の美しいエピソードですね(^o^)
名将は戦に強いだけではなく慈悲の心も兼ね備えた武将が真の名将だといえると思います!!
2008/10/15(水) 午後 6:45 [ 馬場美濃守信春 ]
馬場殿ようこそ、くしくも馬場美濃守の話でした。
私も好きな話なので、覚えていたと思います。
しかし、両者とも礼儀正しくて名将そのものですね。
2008/10/15(水) 午後 6:55