【自由な城】

そろそろ、寒くなってきました。風邪には注意しましょうね。〔伊達政宗〕

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 伊達政宗と言えば、もう少し早く生まれていれば天下を取ったと言われるが。まず不可能だろう。

何しろ、東北の土地は余りにも中央から遠すぎる。その間に幾つもの強敵を倒さなければ

成らず、また途中で中継地をいくつも無ければ後続が長すぎて、補給が出来なくなる。

それになんといっても、伊達政宗の性格からあまりにも油断ならないために周りの勢力は

嫌でも警戒し、同盟や防衛の手段をいかようにもとってくる。その中を突き進むのはかなり困難

な事だと思われる。

 なら、実際伊達政宗の目指したものは何か、それは仙道の統一であろう。そして出来れば

関東までが目標かも知れない。伊達政宗がかつて「日本は、そもそも東と西とでは文化がちがう、だから

無理に一つ統一する事はない」と述べたと言う。この事からも彼の天下は仙道から関東までとなる。

これは、政宗の負け惜しみかもしれないが、彼にはこのような天下構想があったことになる。

 したがって、京都を中心とした天下では無いと言う事になる。

伊達政宗の独眼の真実

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 よく、伊達政宗と言うと「独眼竜」という異名で呼ばれるが、実際立証されたいるわけではない。

実際にも残っている像などでも両目入りのものが多くて実際の事は分っていない。

そこで、瑞鳳殿の再建に関して発掘調査を行っている。その結果頭骨が確認されている。

その結果、両目にはともに眼球が存在しており、外的な要因による失明は確認できなかった。

そこで考えられるのは、眼球の内部の何らかの病気で視力の低下があったのだという説だが

これも確証がない。ただ伊達政宗公自信が遺言に「死後につくられる自分の像にはすべて

両目を入れろ」と記したことから、片目の異常があったことを物語っている。

 以上の写真は、伊達政宗の頭骨と複元の像である。

 麻生太郎氏は、総理になる時「全ては、解散してからだ」という事を言って、総理になったのに

いまだに解散しないのは、公約違反になるのではないですか。それがなんだか知らないけれど

長々と引き延ばしているのは、どう見ても卑怯だと言えますね。麻生太郎氏は国民に嘘をついて

総理大臣になったとしたら、総理大臣の言葉は全て信用できなくなります。ところが

本人は、全く能天気に総理大臣の肩書に酔っているようにしか見えない、全く下品である。

日本の総理大臣史上最低である。それに解散という事を弄んでいると言う事は、国民の政治参加を

バカにしていると言う事になる。このような総理大臣は、即刻辞めた方がいいと思う。

 麻生総理が今月末に衆議院解散を視野に準備している事が分かった。

 総理は解散に踏み切る環境準備として、新テロ対策特別措置法改正案の成立や追加景気対策

の策定、小沢代表との党首討論の実施を重視しており、いずれも今月末に一定のめどがつくため

解散準備に入ったものだ。衆議員選挙の日程は「11月18日公布−30日投開票」を念頭に

置いている。米国の金融危機の景気への影響など今月下旬の経済情晴を踏まえて最終決断

したものである。      (読売新聞)

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 久しぶりに、戦国武将について書きます。

 本多忠勝は、幼少のころから家康に仕え、色々と武功をあげた。

 15歳のおり、戦場で敵をたたき伏せた叔父が忠勝に対して「さあ、首を取れ」というと、「人の力

を借りてまで武功は要らぬ」といい、敵仲に飛び込んで、自ら首級を挙げたと言う。

 三方が原の戦いのおり、忠勝の戦いっぷりをみた武田勢に、「家康に過ぎたるものは二つあり。

唐の頭と本多平八(忠勝)」と言うしめたほど、とにかく忠勝は戦に強かった。

 本能寺の変が起きたとき、家康は忠勝ら少数の随行ととともに堺に滞在はていたが、家康が

京都に行って信長の後を追おうと取り乱したのを忠勝が諌めて、「伊賀越え」を行ったと言う。

 その他、長篠の戦や関ヶ原の戦い等で武功をあげている。
 
忠勝が、三方が原で戦っていた時、激戦のあげくに主君の家康とはぐれとしまい急行していた時

その道中、あるかっぷくのいい武将が「ちょっとまて、お主が本多平八郎か」と尋ねてきたので

忠勝は、「そうです」と答えるとその武将「やはりそうか、お主の事は我らの方でも評判だ」と言った

そこで忠勝が「ところで、貴方様は何方ですか」と聞いたのでその武将が「そうだ、まだ名乗ってい

無かったな、わしは武田の家臣馬場美濃守信春だ」とと答えたので忠勝も驚いて「さようでしたか」

と言うと、馬場が「お主、今主君のところに行くのであろう、ならば速く行けお主はまだ若い

こんなところで死ぬことは無い、それに急がないと武田の大軍がここに来る」と忠勝に言われた。

忠勝も遠慮なく通る事が出来た、そして忠勝も馬場に対して「このたびの事は一生忘れません」等と

申上げた。馬場も「良いから、速く行け」とさとした。この事で忠勝は家康と合流出来たのである。

 私は、異常の様なエピソードがあったと記憶している。

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