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織田信長の戦いで特異なのが「比叡山焼き討ち」である。今までは単なる宗教と信長の
戦いであると思っていたが、実はある大名との激しい闘争であることがわかった。
その大名とは、北近江の領主浅井長政である。
初めて会った頃は、長政は信長と協調していたが、次第に信長が自分を臣下のごとく扱っている
事に疑惑を感じ対立していくことになる。そうした中姉川の戦い(1570年)で両軍がぶつかったが
結局浅井長政は破れた。浅井軍は小谷城に撤退した。このため信長も一気に潰すことが
出来なかった。その間に浅井長政が次の手をうちだす。何かと言えば領内の領民や寺院
また、石山本願寺に協力要請を出した。そして浅井長政は軍勢をだして比叡山に本陣を
置いたのである。なぜならこの時信長は京都にいたために、それを牽制する目的で京都に
近い比叡山に陣を置いたのである。また比叡山も反信長の急先鋒として、浅井長政に協力した
のである。こうした動きから各地で一向一揆などの一揆が勃発した、これらはすべて
信長に向って起きたものである。有名なのが長島の一向一揆である。実はこのころ
起きた一揆は、全て長政が仕掛けた戦略である。実はこの頃まだ武田信玄と上杉謙信は
健在である。また本願寺が動くとなると毛利氏も関わってくるので信長にとっては
まさに、四面楚歌であった。
ただこの時意外なところが動き出す。それは天皇である。何かと言えば信長と和議せよ
との要請を受けたために、長政は撤退知るしか無かったのである。これは信長が仕掛けた
戦略である。そして信長は一揆征伐を行いそしてあの比叡山も焼き打ちにしたのである。
のちに、石山本願寺にも討伐軍を派遣し戦っている。
撤退した長政は、結局小谷城に追い詰められ最後は自決して果てたのは1573年である。
享年29歳であった。また同じ年にあの武田信玄も西に侵攻中に陣中で没している。
何とも皮肉な運命かと思うが、このことにより信長の天下は益々実現かのうになっていったのである。
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