【自由な城】

そろそろ、寒くなってきました。風邪には注意しましょうね。〔伊達政宗〕

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 私は、子供のころウルトラマンや仮面ライダーをよく見ていた。その中でヒーローたちの

戦う姿、努力することの大切さまた、友情等色々と知る事が出来た。そして今では

ウルトラマンが仏像に仮面ライダーが武将となり変化しながらいまだに影響している。

 その中にあって、ウルトラマンレオは、ウルトラマンと仮面ライダーの両方の要素が

入っている。とにかく肉弾戦を繰り広げるところはまさに、仮面ライダーそのものである。

 あの、弘法大師空海が、何事も感じることが大事であると教えている。

そう、正義とはウルトラマンを見た方が子供にははるかに分かりやすい、これを

いきなり難しい仏教の経典を見せても分かるわけがない。その為にウルトラマンや仮面ライダー

があるのだと言える。

 

 今日、訪問者数が1000人、コメント数150に達しました。はじめはどうなる事かと

思いましたが、みなさまのおかげでここまで来ることができました。有り難うございます。

             これからも宜しくお願いします。

 大相撲で今度は簡易検査の段階だが、陽性反応が出たようだ。

ここはひとつ、いっかい場所を取りやめて力士の健康状態をかねて、調査した方がいいと思う。

そうしないと、いつまでも終わらなくなり大相撲の権威が保てなくなると思う。ここはひとつ

総点検する必要があると思う。

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 たとえ一万戸の封地を領有する大大名であっても、思い通りにいかぬことがあるなら、

ただの男と同じだ・ごめんこうむる。

 戦国ナンバーワンといっていい「」自由人というより「風流一代男」前田慶次利大(とします、亦は、

としおき)は言う。「心に任せぬ」をどう解釈したらいいだろうか。自由人慶次にしてみれば、

「思い通り生きられない人生ならば、大名もそこいらの貧しい男も、ちっとも変らぬではないか」

という意味であろうか。

 前田慶次は、加賀百万石の開祖前田利家の甥、つまり利家の兄利久の子とも、滝川儀大夫の子ども

ともいわれている。信長の命令で、四男の利家が前田家を嗣いだため、長男の利久一家は城を出なければ

ならず、慶次はその時点い゛すでに出世コースからはずされたといえよう。その後、利家のところ

に居住したが、並はずれた奇行、人を食った振るまい、で利家はしばじは、この「困った甥」に説経

したらしい。しかしただ「変わっている」だけでなく、文学やさまざまな芸事にも達していたから

単純なお説教など聞く耳まなかったようである。

 利家の口やかましい「教訓」に対し、慶次は「おれはこんな叔父のような大大名には、なりたくもない」

と思ったが、前田家を立ち去ることにした。その立ち去り方が、また慶次らしい。

 慶次は利家に、茶と風呂を馳走したいといって招いた。利家は喜んで応じた。
 
 風呂をどうぞ、と言って、自ら湯加減をみて「良く候」と言えば、利家は喜んで湯殿に入る。

当時、風呂は最高の接待である。利家湯けむりがないのを怪しみ、寒さをこらえて湯舟に手をいれれば、

なんと指もちぎれそうな氷水。利家は怒って「馬鹿者にだまされた。誰かある!奴を引っとらえよ!」

 慶次はあらかじめ裏門に用意してあった松風という駿馬に飛び乗り、ハイサヨナラ!

とばかりに出奔した。

 慶次は当時でいうところの「傾き者」であって、着るものは人目に立つ派手な色彩、常識破り

のつきあい方、それにいたずら好き、で庶民や後世の我々には「頼もしい男」であっても、

召し抱える者、特に利家のような「真面目、実直」なタイプには、何考えているのか分からない

無頼漢であった。

 京へ出た慶次は、駿馬松風が人の目に立って、誰の馬かととわれるたびに、馬取の烏帽子を

つけさせ、足拍子を踏ませて「この鹿家と申すは、赤いちょっかい皮袴、茨がくれ鉄甲、鶏の

とっさか立烏帽子、前田慶次が馬にて候」と幸若の舞をおもしろおかしく舞わせたという。

何処までもふざけている。

 その後、慶次は上杉景勝に伝える。上杉が山形の最上義光を攻めたとき、慶次は十文字槍を振るって

みごと殿(しんがり)を務めた。

 景勝の重臣直江兼続は、文武両道の教養人で、慶次は気のあう男として、よく談論風発させる

仲であったようだ。

 慶次は指物に、「大ふへん者」と書いたので、上杉の勇将たちが「なんと自信過剰」というと

慶次は「汝らは武辺と読みたるや。われ落ちぶれて貧しければ、大不弁者といふ事なり」と言った

という。なんとも人を食った、いたずら好きな男である。

 関ヶ原の戦いで、西軍側にあった上杉は、会津120万石を、米沢32万石に削られた。

多くの士が暇を取って出、慶次にもその才覚に、 1万石、8千石といった諸大名からの誘いがあった。

しかし慶次は言った。「三成が乱に諸の大名、小名、恩を忘れ、義を捨て、生を偸み、言を食む。

三成敗れては軽薄で諂笑して男児は一人もなし」と。そして、景勝以外は主君とすべき人なし、

言い放ち、わずか500石で民間に引き込み、風月に楽しみ、歌学に心をよせ、源氏物語の講義を

して余生を終わっている。

 古今東西、男たるもの立身出世して権力と財力を得たい。しかし、そうなっても、自分の思う

真の人生を送れなければ、つまらぬ男と何ら変わらぬではないか。慶次の生き方は、自由奔放

どこか豪傑又兵衛や、水野勝成にも似ている。

 

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 大坂の陣の時、徳川家康の側近がこういうこを言った。

「豊臣方では、伊勢の神人に頼んで賄賂を使って、あなたを呪詛しております。こちらも

もっと多額の賄賂を贈って神人たちに豊臣秀頼を呪詛させようではありませんか」

 家康は笑った。「馬鹿なことを言うな。賄賂で動く紳人など問題にならぬ。金で神の意思が

動くものか。つならないところにつならない金を使うな。そんなものは放っておけば、いずれは

どこかへ行ってしまう」

 そのとおりだった。大坂方の金が切れると、神人たちは呪詛を止めた。   

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