【自由な城】

そろそろ、寒くなってきました。風邪には注意しましょうね。〔伊達政宗〕

戦国時代とその時代

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 「かぶき〔傾き〕者」で、槍功に長け、律儀な反面、短気な性格を持ち合わせていた。

「とかく人間は浪人をする時、見つぎ候者まれ成るものな也、心もひがむものにて候」。愛用の

笄を盗み取った信長の同朋衆、拾阿弥に我慢がならず、これを斬り捨て、一時は信長のもとから

出奔、浪人したが、援助した傍輩はほとんどいなかった。ほろ苦い青春時代を述懐する。

 晩年には、北陸の大大名、秀吉の信任も厚く豊臣五大老、秀頼の傅役として、秀吉の死後

徳川家康の覇権を阻止した。若き日の失敗を糧として「人間には何かしら一つは、取柄がある」

をモット−に、大名として人材の育成、家臣団をまとめるとともに、侍としてのプライドを

持ち、「律儀」を貫いた。

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 織田信長に臣従し、越前朝倉攻めに活躍。近江佐和山城主となる。信長四天王の1人であり、

その武者振りから鬼五朗左と称される。織田家中において、「米、五朗左(長秀)」と謳われ、

米のように重要な存在とされた。豊臣秀吉が天下を取れたのは、一貫した長秀の支持があった

からこそであった。

 しかし、やがて秀吉は長秀を家臣のごとく扱うようになり、秀長は秀吉の上洛要請を拒否する。

「密にこれ(秀吉)を除いて、以て織田氏を興さん」としたが、実行できずに病没

織田氏をなんがしろにする秀吉の振舞いに、信長の恩義に応えることができないことを悔いて

割腹自殺したという説もある。 

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 元亀元年(1570)夏、柴田勝家は六角(佐々木)義賢(よしかた)に攻められ、近江長光寺の城に

籠城した。対して六角方は城の水の手を断つ作戦に出た。炎天下での籠城。蓄えている水は三つ

の甕に残っているものだけで全部である。将兵たちの気は残っている水ばかりに向き、戦いへの

集中力が散漫になった。

 ある日、勝家は残った水を将兵に与えた。全員が水を堪能した。すると、目の前で甕を割った。

地面にしみこむ水を見ながら勝家は「水はもうない」と宣言し明朝の出撃を命じた。乾坤一擲の

勝負に出て、活路を開くのである。勝家の作戦は成功。城兵は六角勢を撃退した。以上は

『甕割り柴田』という名称で知られる逸話であり、勝家の豪勇を今日に伝える。


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