【自由な城】

そろそろ、寒くなってきました。風邪には注意しましょうね。〔伊達政宗〕

黒田長政公

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ ]

黒田氏家臣一覧表

 井上周防 播磨姫路生まれ 1554〜1634 81歳 病死


 母里(もり)太衛門 播磨出身 「黒田節」で有名な勇将 1556〜1615 61歳 病死


 栗山備後 播磨出身 1551〜1631  83歳 病死


 黒田美作(みまさか) 本姓は加藤である。 1571〜1656 86歳 病死


 野村太郎兵衛 母里の弟で本性は曽我  幼いころから黒田氏に仕えている。

 
 黒田六郎右衛門  本性を中間、父を山城守といい、豊前国下毛群山国を領し、一戸の城主であった。


 菅 和泉  先祖代々播磨の地士である。


 村田出羽  播磨の地士である。


 野口左助  播磨加古郡野口出身


 吉田壱岐  先祖代々播磨地士である。


 三宅若狭 播磨三宅の出身


 後藤基次 1560〜1615 安土桃山・江戸時代の武将 大坂の陣で戦死



 


  

イメージ 1

 姫路城主・小寺職隆(もとたか)の子。通称官兵衛。竹中半兵衛と共に秀吉の片腕となり、

一自時代を築きあげた名軍師。備中高松城の水攻めを献策するなど、秀吉の傍らで王佐の才を

存分に発揮する。

天正10年(1582)、孝高は信長の死を嘆き悲しんでいる秀吉の耳元で「殿の御運がこれから

開かれるのです。上手くおやりなさい」と囁いた。この一言で秀吉は天下をとる。しかし

同時にこの一言が孝高の致命的な失点となった。

秀吉が天下を取った後、孝に褒章として与えたの豊前12万石のみである。ある時秀吉が

座談の折、側近に「俺が死んだら天下を取るのは誰か」と聞いた。前田 徳川 毛利の名があがったが

秀吉は首を振って「違う、官兵衛だ」といったという。油断のならない奴、という烙印を押されて

しまったのだ。

慶長5年(1600)九月、すでに世子長政に家督を譲っていた孝高は、世情不穏と見て取るや、

9000人の浪人をかき集め一軍を整えて、九州各地の西軍諸城を攻略。さらに豊後石垣原

(いしがきばる)で大友義統(よしむね)を撃破する。12月に家康の停戦命令で兵を引くが、

関ヶ原での決着が長引けば、天下を狙って乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負にでるつもり

だったようだ。

後日、帰国した長政が得意満面に「父上家康公が私の手を取ってくださいました」と関ヶ原での

戦功を報告すると、孝高は「その時お前の左手は何をしておった」と怒鳴った。

なぜ家康を殺さなかった、と言うのである。これが家康の耳に入ったためとも思われないが、

孝高には戦後何の恩賞も与えなかった。秀吉同様、孝高を警戒していたのだ。その晩年は

勝手な振る舞い多く、見かねた長政が注意すると「我が死後、家臣がお前に従うよう、

わざとやってるのだ」と答えたという。

覇者秀吉をして「世に恐ろしい者は徳川と黒田なり。されど徳川は温和の人なり。黒田は

何とも心許し難いものなり」と言わしめた孝高であったが、処世術では家康に遠く及ばず、

そのため実力を持ちながらも野望を達成することができなかったのである。

黒田長政の戦歴

イメージ 1

 孝高は、伊丹城とともに一年余りに及ぶ牢獄生活から救出され、秀吉のもとに戻ってきた。

長政は父に従って、秀吉の対毛利戦に参加。天正10年(1582)の備中高松城攻めで初陣を

飾った。山崎の合戦を経て、翌年11年賤ヶ岳の戦いにて武勲をあげている。まだ15歳であったが、

乱戦の中で敵の部将の首をあげたという。

その功により、河内に450石の領地をあたえられた。また同12年小牧・長久手の戦いでは

岸和田城を中村一氏らと守り、家康に呼応して北上してまた雑賀根来衆を破って首二級を

上げるなど勇戦し、2000石加増された。

九州征伐では、本軍到着前に先遣隊が二隊が、足固めのため九州北部に送られた。

毛利・吉川・小早川勢と、長曾我部勢。毛利クループの軍監が孝高で長曾我部隊のは仙石秀久である。

孝高と毛利勢は、備中高松城から山崎の合戦に至るがい外交戦で、互いに顔なじみ。絶妙の

チームワークを形成した。くろだけと毛利グループとの親交は,関ヶ原前夜の謀略の際、長政の

得がたい足がかりとなりした。

本隊到着後、孝高は支軍の秀長し、日向の財部(たから)城を落とした。天正15年(1587)

その功により、播磨穴粟(しそう)ぐん3万石から豊前6郡12万石への移封となった。

戦後、新しい知行割りとなった土地では、新領主と国人衆が対立する事が多く、肥後では

佐々成政が統治に失敗、反乱を招いた。秀吉の命で鎮撫に孝高が赴いた留守に、自領

でも土豪が立ち上がった。

一揆の首謀者は宇都宮鎮房(しげふさ)で長政は激しく戦ったが惨敗。吉川広家が

黒田家を支援して和議を結んだが、翌年長政は鎮房を暗殺している。

天正17年(1588)父の家督を受け継ぎ、従五位下甲斐守に叙任。

文録の役(第一次朝鮮出兵)では、碧蹄館(へきていかん)で小早川隆景とともに明軍を破り、

慶長の役(第二次朝鮮出兵)でも蔚山城(うるさん)に加藤清正を援けてる。これらの軍功で

豊前六郡に加えて播磨二郡を有し、18万1900石となった。


黒田長政の兜と甲冑

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

黒漆塗大水牛脇立桃形兜二つと銀箔押一の谷兜黒糸威胴丸具足である。関ヶ原の時は一の谷兜

の方を付けていました。実はこの一の谷兜は福島正則と交換したものである。ちなみに

福島正則は黒漆塗大水牛脇立形兜(日輪有り)を着用していた。尚角は取れるよう様です。

又、全ての兜が軽く出来ています。

イメージ 1

 姫路生まれ、父は官兵衛孝高【如水】。幼名は、松寿(しょうじゅ)。

父はキリシタンで、厳格に一夫一婦制を守っていたためか側室はなく、正室は、櫛橋豊後守伊定の娘

との間の、一人っ子。庶子もいない。

そのためか、父、孝高は、別所長治に仕えていた後藤新左衛門の遺児を引き取り共に育てた。

しかし、後年後藤又兵衛基次と名乗る遺児の方が器量において優れ、孝高に深く愛された。

そのため二人は、主従と言うより激しいライバルとなり、のちの確執を生んだ。

おそらく幼児期、若殿の遊び相手といっても、取っ組み合いで八歳年長の又兵衛が格上で、

長政は連敗続きだったろう。

長政は戦場では気の荒い猛将で、血気に逸って先頭を突進し、父に叱られた。

「長政は先手に出て指揮するしかない。そうでなければ負けるだろう。俺のように本陣から

指揮して勝つことは、長政には無理だ」と官兵衛孝高は言ったという。武功を求めて

単騎駆けする性格は、幼児のころから作られたのんもしれない。

天下布武の旗を上げる織田と、守りを固める毛利の間に戦雲が漂う中で、その最前線は播磨だった。

周りの諸豪族は毛利派を選んだが、父、孝高は主家小寺氏を口説いて織田に帰属。

松寿は人質として信長の元に送られ、信長は毛利征討軍司令官の秀吉に松寿に預けた。秀吉は

松寿を、居城である近江の長浜城に住まわせた。

だが戦線が膠着する中で、毛利包囲網の要め、荒木村重が離反。秀吉の参謀であった父、孝高

は、村重を説得のため単身伊丹城に赴き、帰らなかった。

織田軍の主要武将であった村重の裏切りに激怒した信長にとって、播磨の一土豪の家老である

孝高は将棋の駒にすぎない。ともに城に籠ったと考え、人質の殺害を命じた。

孝高の裏切りの真偽に迷う秀吉は、信長の使者の下命に窮した。そのとき、同席していた竹仲半兵衛

が始末を引き受けた。半兵衛は同じ参謀である孝高の資質から潔白を信じ、さらにまた後日潔白

が証明されたとき、秀吉が配下諸将の信頼を失うことを恐れた。さらに信長の命令は絶対であり

秀吉には「畏まった」の返答以外、選択はない。

秀吉の窮状をも救った半兵衛は、近江に赴いて長浜城から松寿を連れ出し、自領の美濃菩提山城

に匿った。事情を知った松寿は、信長を憎み、また体を張って父や自分を守らなかった秀吉

にも、冷めた心をいだいた。後年関ヶ原において、勲功第一と評された長政の縦横の活躍は

ここから発している。

また、半兵衛から受けた恩を終生忘れず、筑前一国を得たとき、半兵衛の継嗣・重門に

次男を貰い、高録で遇している。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ ]


.

ブログバナー

[伊 達 政 宗]
[伊 達 政 宗]
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(9)
  • ☆y-min☆
  • 中路正樹
  • ゆかティン
  • ュリリ
  • Kayo
  • 馬場美濃守信春
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事