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この作文は取り留めもない妄想の域を出ていないが、今のグローバル経済の第一線で活躍する経済のプロの公式コメントよりはよっぽど現実的だね。
この作文よりも、代替エネルギーと省エネ技術で温暖化ガス(温室効果ガス)排出を大幅に削減しながら、GDPを成長さようという考えの方がよっぽど非現実的な妄想なのだからね。
温暖化ガスの排出量を規制するということは、今までの資本主義経済の終焉を意味するということになる。
破壊と浪費の上に成り立ち成長してきた、20世紀型の資本主義経済の終焉ということだ。
CO2やメタンガスの排出権を売買する社会とはどういう世の中なのか。
人間がただ生きているだけでCO2とメタンガスを排出する。
息するだけでCO2を出す。
おならをすればメタンが出る。
そのガスの排出権を売買するのだ。
それはどういう世の中になるのか。
我々一人一人の価値観の大転換を迫られるのではないだろうか。
頑張ってガツガツ仕事する事が、世の中に貢献する事では必ずしもなくなる。
むしろガツガツ仕事することが、世の中に迷惑をかけることにさえ成り得る。
当然浪費はしなくなる。
無駄買い、無駄食いはしなくなる。
それらは常にCO2に変わるのだ。
過剰包装など嫌われて、外箱はいらないから中身だけ売ってくれ。
と言うようになる。
地産地消の社会になる。遠くから持ち込めばそれだけ余計にCO2を排出する。
輸入物など買うと余計なCO2排出権を使うことになる。
季節はずれの作物にも余計なCO2排出権がかかる。
大規模農場の作物より小規模農場の作物の方が安くなることもあり得る。
無農薬無肥料栽培の作物の方が結局は安く成るかもしれない。
余計なCO2を排出していないからだ。
農家は少しでも儲ける為に、季節はずれの野菜を作ってきた。旬の夏にキュウリを売るよりも、季節はずれの冬にキュウリを売るほうが高く売れて儲かるからだ。だがCO2排出権でその儲けは帳消しになる。
今までの一般的な農家から、農家いじめだと大反対運動が起こるかもしれない。
今までの自動車税以外に、燃費に応じてCO2排出権が加わる。
その上に燃料には別にCO2排出権が加わる。
輸入車の大型車など莫大なCO2排出権を使う。
国産の軽自動車しかほとんど買う気にならないかもね。せいぜい中型車までだろう。
金があって大型車などに乗っていると、知性を疑われるようになる。
まだ十分住める立派な家をわざわざ壊してまで、新築する人は滅多にいなくなるだろう。
経団連も抵抗するだろう。
だがその世の中は、物を大切にする世の中になる。使えるものを無闇に捨てなくなる。
自然を大切にするようになる。
つまり以前の日本の世の中ということか。
日本には化石燃料以前からの文化がある。米国にそれは無い。
日本には都市生活としての完全循環型社会(本当の合理的社会)の経験がある。
米国にその経験はない。
結局すべて金に振り回される世の中になる可能性も大いにあり得るかもしれない。
それは地球温暖化が人為的な活動の影響が大きい。という危機感をどれだけ全世界で共有できるかによって変わるのではないだろうか。
逆に、金ばかりたくさん持っていても、結局はつまらん。
という価値観が一般化する可能性も無い事はないかもしれない。
金を稼ぐ事自体がだいたい余計にCO2排出するからだ。
金を使えばまた余計にCO2排出権がいる。
生きる為の基本的な仕事はするが、それが必ずしも余計に金を稼ぐ事ではなくなるかもしれない。
自給自足率を高めようとする人が増えるだろう。
過渡期では混乱する。
格差社会だといって大騒ぎする輩も増えそうだ。
温暖化ガス排出量を個人個人に公平に割り当て、節約しただけ権利を貯蓄できるようにして、余った排出権を個人で売買できるようにするのが最も合理的で公平で良さそうだ。
でもどうやって排出量を計算して、どうやってカウントするのだ。
よく話題になるCO2排出量って、キチンと正確に測れているものなのか。
この基準で規制の弊害が出そうだね。
光熱費の使用量から買い物やゴミ出しまで、プライバシーが問題になるか。
電気ガス水道は人類の共有財産だから、各家庭の全体の使用量をチェックするのは問題ないだろう。
だが日常的な買い物やゴミ出しはどうするか。
結局品物の値段に付加して、購入時に排出権を自動的に払うことにするのが一番確実だろうか。
なんかそれだと骨抜きになるような気がしないでもないな。
消費税が上がる事と同じで、単に物価が上がって終わりになる。
そのうちに安売りで、元の木阿弥になる。
CO2排出削減にはぜんぜんならない。
それでもゴミ排出権をきっちり厳しく施行できればCO2排出を削減できるか。
ゴミの不法投棄には刑事責任と、高額の罰金を払ってもらう。
結局CO2排出削減を実現するためには、金を余計に稼がなくて余計に使わない人が儲かる仕組み。
なんか日本語になっていないな。
でもこういう仕組みならCO2排出削減を実現できるだろう。
ようするに貧乏暮らしならCO2排出を減らせるということか。
だがそれは従来の資本主義経済には当てはまらない。
これから世界は従来のGDPを縮小させながら、豊かさ(幸福の量)を増していく社会に転換していく。ということになるのだろう。
GDPに変わる豊かさ(幸福)の指標。幸福の指標などというと、まるで宗教法人のCMコピーみたいだ。
こういうぬるい表現では説得力はいま一つだ。
もっといい言い方はないものか。
未だぜんぜんイメージがはっきりわかない。
未だ取り留めもない妄想にしかならない。
今までの資本主義経済の終焉であり、経済社会の進化の大転換期である事は間違いない。
だから人類に未来があり得る可能性が出たという事でもある。
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>日本には都市生活としての完全循環型社会(本当の合理的社会)の経験がある。
この事をゼロエミッションというのだそうだ。こういう妄想をしていたらいい論文(2004年の講演の原稿)があった。
千葉商科大学の教授の三橋規宏教授の話はなかなかいい線行ってると思うけど。もう一つツメがほしいですね。結局この作文の域を超えていないよね。
http://www.osakagas.co.jp/kankyo/news/sympo2004/koen/koen_01.htm
2008/2/26(火) 午後 0:34 [ roy*oyb**g ]
お金は、それほど沢山いらないから
心身が健康で、愛にみちあふれていて
幸福に感じて生きていけたらそれでいいです。
2008/2/26(火) 午後 2:27 [ ・・・・・・・・・ ]
そうだね。お金は副次的な物だからね。
愛にみちあふれていることを感じて生きられるかどうか。
それが最も重要だね。
ケータイから初めて投稿しました。
2008/2/26(火) 午後 9:54 [ roy*oyb**g ]
以前の日本とか、化石燃料以前の文化とかいいましたが、電気は無限にあるといってもいいわけです。江戸時代のような電気のない生活になるなどと言っているわけではありませんよ。
20世紀のような破壊と浪費を食い潰しながら成長するような経済(文明)を卒業するという事です。
2008/2/26(火) 午後 11:28 [ roy*oyb**g ]
直径4mのパラボラアンテナ状の太陽光を集めると、
電力換算で約10KW相当の熱を集める事が出来ます。
パラボラの先端に付ける熱交換器次第で蓄熱方法が変ります。
http://www.b.lacafe.in/blog.cgi?n=78
2008/2/27(水) 午後 1:32 [ - ]
hiroさんありがとうございます。
発電効率も今よりはよくなっていくでしょうから、電気はある程度は使えるでしょうね。電気にわざわざ変換しないで自然エネルギーを直接使う技術(ローテク)も浸透(復活)して、電気依存も少しは減らせるでしょうか。
いずれにしても、ゴミの出ない社会。完全循環型社会にしなければならないと思います。
それが今の資本主義でどうやったら出来るでしょうね。いまの経済のあり方ではなかなか大変そうです。
でもそう考えているのも少数派のようです。
単に石油が代替エネルギーに変わって、既存の経済指標のまま、今後も世界の経済は成長して行くつもりでいる人が殆どのようですね。
2008/2/27(水) 午後 2:22 [ roy*oyb**g ]
太陽熱温水器の怪物のような物です。
通常の太陽熱温水器は平面状の形をしていますが、パラボラ状にして
太陽熱を一点に集めて熱交換器で熱を取り出します。
400℃位が蓄熱槽と熱交換器の絶対的なコストになりそうです。
http://www.b.lacafe.in/blog.cgi?n=677
2008/2/27(水) 午後 2:44 [ - ]
もっともだと思います。転載させていただきます。
2008/3/21(金) 午後 11:04 [ - ]
転載ありがとうございます。
2008/3/22(土) 午前 10:07 [ roy*oyb**g ]