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日本がジャパンになったとき、ぼくらは“バンカラ”だった。山田洋次監督作品。
1948年(昭和23年)四国愛媛の旧制松山高校。脚本家の早坂暁氏の旧制松山高校時代の思い出を書いた自伝的小説を、同世代(1931年生まれ)の山田洋次監督が映画化した作品。
昭和23年の四国松山、翌年度から新制度を控えた旧制高校最後の一年間を舞台に繰り広げられる青春群像。
純情でバンカラで空腹。
熱くて暑くて汗臭い。
熱気に溢れている。でもブルーにこんがらがっている。
笑いあり、せつなさあり、感動ありの最高の青春映画です。
元気になれる映画です。
「欲するものがすべて手に入りつつある時は警戒せよ。」
「肥えてゆく豚は幸福なのではない。」
「freedomではなくliberty」
旧制松山高校の最後の授業で教師が生徒に贈った言葉。
この映画の製作は1988年。
日本がバブルのまさに頂点に向かおうとしていた時の作品です。
この教師のセリフは山田洋次監督のメッセージなのでしょう。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tyot/id150534/
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=18000
「バンカラ」Wikipediaより
バンカラは、弊衣破帽と称される損傷した衣服を纏う事により、「己の外見を飾ること以外の何事かに、より熱心である」ことを表現しようとする若年服飾文化、およびその源泉となっている気質。
概要
明治期に男子学生の文化として発生したもので、漢字表記では「蛮カラ」である。先行して明治時代に登場していたハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)に対する粗野や野蛮とする否定的な価値判断が根底にあり、アンチテーゼとして創出されたものと考えられている。
典型的な様式としては弊衣破帽がある。これは、ボロ学生服・マント・破れた学帽・高下駄、腰に手拭い、などを特徴とするスタイルで、第一高等学校を中心とした旧制高等学校の生徒が流行の発端である。粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」という姿勢を表現したものとされている。また、ハイカラのアンチテーゼとしてのバンカラは武士道にも通じ、「単に外見の容姿のみに留まらず、同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」とも理解されていた。つまり外見に無頓着な体裁とそれを正当化するための動機が複合した文化であると言え、単に粗末・粗野な恰好をバンカラと呼ぶわけではない。
形骸化と衰退
しかしながら、主観的論理としてはとにかく、その内面性が追いつかず、単に粗野であるにすぎないといった「バンカラの形骸化」は早くから指摘されており、幾度となく弊衣破帽を排する教育方針をとる学校が現れた。これらの学校の多くは、英国式の紳士教育を以てバンカラを排することを是とした(苦学生の清貧と故意を見分けていた)。また戦時期には、国家統制の面から弊衣破帽を排する学校も出現した。
戦後、衣料品の質が向上するにおよび、最早自然形成された弊衣破帽は望むべくもなく、着古しにより自然に弊衣破帽が生成されるのを待たず人為的に衣服を傷めて着用する者や、古着を求める者が横行し、単なる服飾流行となった。そもそも戦前は衣料品の質が悪く否応なく衣服が傷んだものであり、作為的に傷めたものではなかったという歴史的事情もある。
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