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師弟の薫陶

きみはけっして苦しみに事欠かないだろう!
一年の最初の数ヵ月は冬のうちもっとも厳しい。
しかし春はすぐそこにある。
きみは春をわがものとするだろう!
(ロラン 1934年11月23日付 P298)


みすず書房『ロマン・ロラン全集』の第41巻は、ロマン・ロランとジャン・ゲーノの往復書簡を収める。収録内容は次の通り。

①序(アンドレ・マルロー著)
②ジャン・ゲーノ=ロマン・ロラン往復書簡(1919年7月〜1945年1月)
③付録Ⅰ(往復書簡の補足資料)
④付録Ⅱ 偉大な良心(ゲーノによるロラン生誕百年祭の記念講演)

ジャン・ゲーノ(1890〜1978)は貧しい靴屋の子として生まれ、苦学してロランと同じエコール・ノルマル(高等師範学校)を卒業した。その後は教員として、また作家として活動し、人道主義的・社会主義的な立場を貫いた。ロランの庇護下で創刊された雑誌「ヨーロッパ(ユロップ)」の編集長を務めたことでも知られる。ゲーノの著書の邦訳は『フランスの青春』『深夜の日記』『ある革命の証言』などのほか、膨大なルソー研究が白水社『ルソー全集』の別巻1に収録されている。

本書簡集には1919年からロランが没するまでの35年余に交わされた404通を収める。ゲーノは本書簡集について次のように述べている。

「この往復書簡はわたしの生涯の最大の幸福である(中略)
一九一五年、士官であったわたしは、彼があえて、ただ一人、
戦争に対して公然と言った否(ノン)、『戦いを超えて』を賛嘆していた。
一九一九年には彼の《精神の独立宣言》に署名した。
一九二八年、わたしは彼の友人たちによって創刊されていた
雑誌『ユロップ』の編集長になることになった。
これがこの往復書簡の機会と理由であった。
わたしはパリに、彼はスイスのヴィルヌーヴにいた。
世界における彼の存在はすばらしかった。
彼の道徳的権威はヴィラ・オルガ(ロランの住居)を、
あらゆる悲惨の一種の情報事務局としていた。
いたるところから彼は助けを求められていた。
彼は聞き知ったことをすべてわたしに知らせてくれた。
わたしは自分なりに『ユロップ』をつくりえたとしても、
彼に多くを負っている。彼は『ユロップ』にとって、
N・R・F(新フランス評論)にとっての
アンドレ・ジッドの位置にあった。
彼にはいたるところに友人がいた、
タゴール、ガンジー、ゴーリキー、イストラティ等々。
インド、ロシア、ドイツ、イタリア……において、
正義と自由がどうなっているか、
彼は知っていたし彼を通じてわれわれは知っていた(中略)
わたしは雑誌の財政的所有者たちに対しても、
あらゆる政党に対しても、絶対に独立して雑誌を主宰した。
われわれ、ロランとわたしは、
『ユロップ』が《善きヨーロッパ人》の
一つの学校(エコール)になることを望んでいた(中略)
これらの手紙にはただ、精神の独立がいかなるものでありうるかの
一証言をのみ見られたい。精神の独立は、
あらゆる人間的進歩の条件でありつづけている。
ロマン・ロランはその偉大な一範例である」(P405〜406)

2人の往復書簡は単なる友人や同志のやり取りを超えて、師弟の薫陶といった趣がある。それはロランとマルヴィーダの関係を彷彿とさせるものだ。ゲーノによる記念講演も、亡き師への深い理解と愛情に満ちている。

【①序(アンドレ・マルロー著)から】
「1918年以後、『ジャン=クリストフ』と『戦いを超えて』が
ロマン・ロランを、多くの知識人にとって、
ヨーロッパの教導者の一人としていた」(P5)

「作家は人間性(人類)、正義に責任があった」(P5)

「ロマン・ロランは、ヴィクトール・ユゴーなしには考えられず、
彼が抱かせる称賛や敵意をわれわれが理解するのはただ、
彼のうちに偉大なフランス・ロマン派の
最後の人を見るときだけである」(P5)

「ロマン・ロランが
彼(※ゲーノ)を激励している多くの手紙は、
わたしの知るかぎり
もっとも友愛にみちたもののなかにはいる」(P12)

「ロマン主義は『ジャン=クリストフ』に
その舞台装置を付与していないが、
その魂を付与しているのだ」(P12)

【②ジャン・ゲーノ=ロマン・ロラン往復書簡から】
「われわれの希望、われわれの『信条(クレド)』のそれぞれは、
時代の樹の一枚の葉あるいは一本の小枝にすぎません」
(ロラン 1928年7月3日付 P18)

「まず、自己のために書くべきであり、
――そのあと、すべての人間のために書くべきです(中略)
あなたの天性の法則はわたしのものと同類です。
その法則に従わねばなりません」
(ロラン 1928年8月9日付 P23〜24)

「『ユロップ』はたんに
自由精神の雑誌の最良のものであるばかりか、
真に自由な唯一のもの、
自由への感覚と諸徳をそなえている唯一のものです」
(ロラン 1928年10月12日付 P27)

「あなたとなら、合致して歩く確信がありました
――たといわれわれが、思想上、あれこれの点で違っているとしても。
――なぜならわたしは、あなた同様、広く考えることを欲するからです。
党派の楽屋に閉じこめられたくはありません」
(ロラン 1928年11月5日付 P30)

「いちばん貴重なのはイストラティ、この放浪鳥から、
彼が一年前から行き来している広大なロシア大陸を貫いて、
見たこと、見ていること、見るだろうことの一部を
書きものによって投げだす約束をとりつけることでしょう(中略)
彼の精神はどれほど成熟したことか!
彼は絶えず知的にも芸術的にも進歩しています」
(ロラン 1928年12月15日付 P38)

「親しいゲーノ、語りなさい!
けっしてあなた自身のもっとも真実なものを、
もっとも実在的なことを言うのをためらってはならない!
砂漠で、それとも――もっと悪く!――猿の檻のなかで――
だれもあなたの言うことを聞かず、
それが何の役にも立たないところで、
語っているのだという感情をお持ちになるがいい、
――語りなさい! あなたの自我を言いなさい!
あなたの真の力は、まだやっと半分だけ
引き出されたにすぎない(中略)
われわれが、これまでにもまして必要としているのは、
絶対に自由な、健全で実直な、一心不乱な、新しいペギーです。
あなたはあなたです。あなたにとどまりなさい。
けだしあなたはいささかペギーと同じ血統の人ではないでしょうか?」
(ロラン 1929年1月3日付 P44)

「なおしばらくは火をかき立てたい希(ねが)います。
精神が息を吹きかけるかぎり、老木は燃えますよ」
(ロラン 1929年1月8日付 P49)

「あなたが神秘主義に抵抗する確信がないなら、
それから距離を保っておられるのは正しいことです。
各人それぞれ自己の天性に適したものを見るべきです。
わたしはだれにも、自分にとって
いわば《土着》でない思考形式をすすめません。
わたしの目的のすべては、あらゆる色彩の
じつにさまざまの《土着民》に、
互いに生存と尊敬への平等な権利を認め合うことを
教えることです(中略)それゆえにこそわたしは、
わがヒンズーのヴェーダンタ哲学者たちのうちに、
高度に、この結合意志を見出したのですし、
彼らのことを知らせるのです」
(ロラン 1929年2月27日付 P56〜57)

「《普遍的なもの》は
あらゆる風土にはえることのできる植物です」
(ロラン 1929年2月27日付 P57)

「内面の声の呼びかけをとらえようと努め、
その声をはっきり聞いたと確信すれば、
それに従わねばなりません。
だから、引きずられていくところでも、
あなたの独立を全きままに保ちなさい。
戦争のなかでさえも、
いかなる党とも結んではなりません!(中略)
あらゆる党派の外で、人間性を擁護すること。
もし『ユロップ』がそうするなら、
同誌は全世界の全新聞雑誌界で
独自な位置を確保することになるでしょう。
――なぜならこの位置を、いかなる雑誌も、
いかなる新聞も占めたことがないからです」
(ロラン 1929年3月18日付 P58〜59)

「行動し反応するこの遅さ、
驚異的な諸事件を前にしての
このがっかりさせる無関心に、
わたしは深く失望しました(中略)
ゲーノよ。行動したまえ!
自由は死につつある。ここ――フランスで――
今日――われわれの目の前で死につつある。
死んでしまったとき、人びとは演説をするのでしょう。
死者たちが死んだ自由を埋葬するのでしょう。
カリバンよ、語れ、さもなくば死せ!」
(ロラン 1929年5月16日付 P60〜61)

「けっしてあなたの思想を疑うな!
最後まで行くがいい! 他人の思想への思いやりのため、
あなたの思想の何ひとつ犠牲にするな!
まったく純粋なあなたの思想はつねに、
あなたの緩和された思想より優れているだろう。
そしてただ前者だけが有効性をもちうるだろう」
(ロラン 1929年5月20日付 P63)

「わたしにとって、
いっさいはリズムとハーモニーの問題です。
個人的な。そして社会的な。――まず、
各人それぞれ自分自身の天性の諸要素に気づかなければならず、
そのうちのどれかあるいはいくつかでごまかしたりすることなく、
自己の個人的総合をなしとげようと努めねばなりません。
(この総合はつねに実現可能であり――
それはわれわれの内に、われわれが生きているという
唯一の事実によって潜在している――
しかしそれには時間が――ときとして
全生涯にわたる実験が必要です。)」
(ロラン 1929年8月20日付 P66)

「一歩ごとに、あなたは自己を見出し、
より力強くより明確なあなたの人格を発散しておられる。
信念は、行動することによって強固になります。
かつては可能態としての民衆でした。
いまは現実態として民衆になるのです。
なぜなら、このように公然と表明される思想は十人の、
それから百人、千人の他の人びとの血となり、
彼らの分流で水かさを増してわれわれに戻ってきます。
あなたにとってそのようでなければなりません。
自己をお信じなさい!」
(ロラン 1929年10月21日付 P74〜75)

「『ユロップ』が
シュアレスの寄稿を獲得するよう心から願います。
わたしは彼の欠点に目をつぶるのではありません(中略)
しかし彼の芸術は偉大で、彼の魂は深い(中略)
彼が愛しているもの、知っているものにおいては、
今日だれ一人として、思想においても表現においても、
彼に匹敵する者はいません(中略)
彼は運命の最悪の残忍と不正を体験しました。
しかし断じて屈しませんでした。――あなたはわたし同様、
このような確固として耐えられた試練を、
思索する人間の価値とは無縁なものだとは
みなさない人間の一人です」
(ロラン 1929年クリスマス P80)

「戦争中、わたしがフランスを裏切り
祖国を凌辱していると非難して、
人びとはわたしの処刑を、わたしの死を望みました。
今や、わたしを祖国の名において追及していた同じ人びとが、
安値で、自由思想家ぶって、祖国という迷信を足でふんづけ、
わたしが祖国を愛しすぎていたと非難するのです。
――そうです、わたしは祖国を愛しましたし、
なおも愛しています――愛するわたしの家族、友人たち、
女性たちを愛するように――わたしはけっして
どんなイデオロギーのためにも、
わたしの心を放棄するつもりはなく、
イデオロギーはけっして、とどのつまり、
知識人のエゴイズムや傲慢以外のものではないのです」
(ロラン 1930年4月14日付 P95)

「勝利への途上で、彼(※ガンジー)は自分の投獄を、
自分の死と他の何千人もの死を、
必要な道標とみなしているのです(中略)
彼が悲しむであろうのはただ彼の身内の者ら
――彼に誓いを立てた志願者たち――が
彼らの非暴力の誓いを破ったと知るときだけでしょう」
(ロラン 1930年5月14日付 P99)

「わたしがするすべてのことは、
わたしに《命じられて》いるのです。もしそうでなければ、
それは存在するに価(あた)いしないことをわたしは知っています」
(ロラン 1930年5月14日付 P100)

「あなたが人びとにどんな善をなさりうるか、
どんなにあなたの一語が彼らに時として勇気と希望を取戻させるか
ご存知ないでしょう。それは解放です。
よかれあしかれわれわれがとらえられている
あらゆるささいな論争が突如として消え失せ、
人はまた真の問題を前にするのです」
(ゲーノ 1930年5月28日付 P103)

「彼(※ガンジー)に会って
魅了されなかった人間をわたしはただの一人も知りません。
しかも他の偉大な人格たちにあって
魅了するいっさいのものとは反対のものによってです。
日常生活のつまらないおかしな諸行為をおおい隠そうともしない、
彼の絶対的単純さによってです。細部も全体も逃がさない彼の平静さ、
むらのない不断の生命力によってです(中略)
人間を探しておられるあなたは、彼のような人間を見つけるまで、
何世紀も駆けまわらねばならないだろうと信じます」
(ロラン 1930年6月7日付 P107〜108)

「ゲーテは抽象的なもの、偽客観的なもの、
有機体や人間精神から分離した学問を憎んでいます」
(ロラン 1930年6月19日付 P112)

「トルストイの旧友で
長らく親密な秘書をしていたポール・ビリューコフが、
ジュネーヴ近郊で目下病気(半ば麻痺)です。
わたしは彼をよく知っていますが、立派な、柔和な人格で
――トルストイよりはるかに真にトルストイアンです。
彼の悲惨のすべても何ら彼のにこやかな清澄さと
人間への愛に影響を及ぼしていません」
(ロラン 1930年6月24日付 P113)

「ここ四十年わたしは『広場の市』と闘ってきました
(『市』は世代から世代へと相次いでいます)。
わたしはけっして敵に乏しくはありませんでした。
彼らはわたしを打つためにあらゆる武器を使います。
使うがいいのです!
わたしはいささかもそれを嘆きませんし、驚きもしません。
彼らは自己表明のために、全新聞雑誌をにぎっています。
彼らはそこで思いのたけを吐き出すがいい!」
(ロラン 1930年9月24日付 P129)

「『ユロップ』の理念(わたしがそれに付与していた)は、
同誌が全世界の圧迫され、辱かしめられ、
侮辱されている人たちの(中略)
正しい人間的な大義――の代弁者となることでした」
(ロラン 1930年9月24日付 P129)

「仲間、確実な仲間はわずかしかいません。
裏切りの危険は多くつねにあります」
(ロラン 1930年11月21日付 P135)

「去年(※1930年)の十二月、
かなり死に近づいていた日々、
わたしがしたある種の瞑想は、
わたしにわれわれの妥協の人生の惨めさを測らせ、
それにはもうけっして加担すまいと決心させました
――たとい現在まで、わたしがどんなにわずかしか
そうしえなかったとしてもです(中略)
わたしはヴォルテールの言葉を反芻しました――
《われわれには二日しか生きる時間がない、
それを這いつくばって過ごすには及ばない……》」
(ロラン 1931年2月4日付 P143)

「大きな衝撃の緊急性に《つかまれた》今日のわたしの目には、
救うべきなのは来世紀の未来ではなく、
差迫った明日であり、今日です。
なぜなら、もし木が根もとで切られれば、
どうしてその高い枝々の股で、未来に歌う鳥たちの巣のことを
わたしは考えられるでしょうか? 重要なのは生命――
自分の力を試している、荒々しく、混沌とした、
しかし力強い、結合した人間的『労働者』の
いっそう正しい秩序への理性と意志による信念に
押し進められている、この新しい社会の生命です」
(ロラン 1931年2月25日付 P147)

「わたしとしては、もはや《病める人間》を救うために
指一本動かさないでしょう。悪臭を発するだけに満足せず、
彼は世界に害毒を感染させる恐れがあります。
死者の側です。――生者の側。西欧において、
生きているものは、屍の絆から免れるがいい!」
(ロラン 1931年2月25日付 P148)

「人は自分にできるように、
運命によって割当てられた場所で奉仕するものです(中略)
逆上した、もはや嘘しかつくことしかできない精神を
立ち直らせるために、私は私にできることをやります」
(ゲーノ 1931年3月4日付 P149)

「わたしの目にゲーテが偉大――最大なのは、
現在を絶えざる変化の相のなかで観察し、
共鳴することをけっして止めない、
そしてその現在を千年にわたる
人間経験の全体と調和させるようと努める、
彼のすばらしい生命力のためなのです」
(ロラン 1931年8月26日付 P166)

「西欧において、
われわれは自由に語り書いているとあなたは信じますか?
これらあわれな作家たちは!
彼らが自由にしておいてもらえるのは、
ただただ彼らが無害だからなのです!
彼らは慎重さのため、あるいはまた無知のため、
口数の多い一般性のなかにとどまっています」
(ロラン 1931年11月17日付 P174)

「あなたの天性の深い声です。
その声に耳を傾け、それに従い、
よろめかずにあなたの前進をつづけなさい!(中略)
彼らが見つめられ判断されていることを思い出させてやりなさい! 
存在するだけで卑怯者や共犯者たちの仮眠を乱す、
目を見開いた証人になってください!」
(ロラン 1932年3月3日付 P192)

「行動しない者は
すべて人が行動するのが不満なのです
(自分自身に対してか? 彼らはそれを認めませんが)。
彼らはけっして《それが何になろう?》を証明する
すばらしい理由に事欠くことはないでしょう。
――心を乱されてはいけない!
行動しないことが考えることではいささかもありません。
行動しないで考えることは、眠ることです。
それは死の玄関です(中略)
われわれにとって重要なのは月桂樹(栄誉の象徴)ではありません。
オリーブ樹(知性の象徴)です。
――眠っている人びとを、
とりわけ眠っているふりをしている人びとを
目覚めさせましょう! それがわれわれの役目です」
(ロラン 1932年3月7日付 P193)

「落胆してはいけない!
右であれ左であれ、
人の言うことに気をわずらわさず、
あなたの道をお行きなさい!
右も左も、あなたに石を投げるかわりに、
あなたの独立で身を飾ろうとし、
臆面もなくあなたの権利回復を要求する日が来るでしょう。
わたしはこれをしばしば体験しています」
(ロラン 1932年3月31日付 P196)

「ゲーテ特集号に付けることもできたであろう
実に好奇心をそそる付録――それは、ドイツでゲーテに、
全生涯、最後の日まで、つきまとった文学的・個人的な
耐えがたい敵意――彼の作品を一つ一つ、
偏見をもって中傷し――彼のあらゆる価値を、
もっとも基本的な文体の才能までも拒否した――
についての論文です」
(ロラン 1932年4月16日付 P198)

「われわれはまたもういちど、
《人民の敵》になるのでしょう(中略)
《なすべきことをなせ!……》議論の余地はありません。
どんなことでも起こるでしょう。
火がヨーロッパの家に燃え移ったのです。
われわれにはたぶんこの火災を消せないかもしれません。
そしてわれわれはおそらく残骸の下にとどまることになるでしょう。
しかしそれはすべての消防士の危険です。
全人生が、どんな時代にも、
火災に対する絶望的な闘いではないのでしょうか?
しかしそれこそが生きることです。これはご存じのとおり、
――もし闘わないなら、すでにして死者でしょう」
(ロラン 1932年5月29日付 P202)
※ドイツの総選挙でナチスが勝利を収めるのはこの年の夏である。

「世界は平和に飢えています。
攻撃して大砲商人どもから平和を奪い取らねばなりません」
(ロラン 1932年6月15日付 P203)

「マルヴィーダ・ド・マイゼンブークと
あなたとの往復書簡集がリーデル社で私に手渡されました(中略)
この友情は美しく感動的で、私には今、
あなたの行動とあなたの運命を
いっそうよく理解できるように思われます。
二十年をお過ごしになった思想と行動のこれら偉大な神話が、
あなたの人生を決定したのです。十九世紀の英雄たちの炎を
あなたはわれわれに渡されました」
(ゲーノ 1932年11月6日付 P222)

「わたしはあなたの言葉が、
毎月毎月、どれほど雄雄しい胸を刺す権威を
おびてきているかを申し上げたい(中略)
あなたはわが新しいフランスにおいて、
偉大な精神的役割を果たすべく招命されているのです」
(ロラン 1932年11月22日付 P227)

「お伝えくださった汚ならしい小新聞をお返しします。
わたしは知識人同僚たちのこれら小さな不実、
人を傷つけ落としめるこの気質をよく知っています。
いちばんよいのは確かに答えないことです」
(ロラン 1932年12月11日付 P235)

「(※ゲーノが受け取ったイストラティの手紙)
『ぼくはロマン・ロランに彼を怒らせたことをお詫びするが、
彼はぼくが正直な男でいつづけたし死んで行くことを、
わかってくれることができたのです。
ぼくは、現在の彼の友人たちに宣言されたような
《身を売った男》ではない。ぼくは、なおも十年前の彼の序文
(※イストラティ著『キラ・キラリナ』へのロランの序文)に忠実です。
そしてぼくはけっして彼を愛することを止めたことはなかった。
しかし君が言うように、ぼくが彼に手紙を書くのは無益だと考えます。
そうなんだ。すべては終った。すべてのことは死ぬのです。
(ところで、彼の最近の本《告知する女》を
速かに送らせてくれたまえ。
ぼくの知らない彼の唯一のものなのだから。)
おお、その通りだ! R・Rはぼくにとって小事件ではなかった』」
(ゲーノ 1933年3月10日付 P250)

「(※ヒトラーの『わが闘争』について)
彼は何ひとつ隠さず、すべてを漏らしているのです。
彼の固定観念、彼の非情な信念、彼の狂人の論理、
彼の熱狂、彼の頭脳の発育不全、彼の巨人の拳を」
(ロラン 1933年5月22日付 P258)

「あまり時間がたたずに読み直すばあい、
不当なものなのです。少し休ませておき、
読み直すときはほとんど忘れてしまっているようになさい(中略)
彼ら(※ナチス)は最近わたしの本を禁書にしました(中略)
クーデターの直後、ヒンデンブルク大統領がわたしに授与した
(指名はヒトラーの権力奪取以前だったとはいえ)
ゲーテ賞牌を拒否したことを、隠しておく理由はありません(中略)
世界は爆発寸前の榴弾のように、ドイツで拳を握っている
精神異常者たちに委ねられているのです」
(ロラン 1933年10月14日付 P270〜271)

「H・プリュニエールの『音楽史への序文』の校正刷を、
わたしに送らせるとお約束くださいました。
そうされませんでした。大きな過ちでした!
テキストに馬鹿げた間違いが生じました、
たんに文字だけではなく、意味まで。間の抜けたことです。
――けっして、けっして、
《主人の目》が校正刷を訂正しないでは
論文を発表してはなりません」
(ロラン 1933年11月16日付 P274)

「わたしは喪の悲しみをいっぱい荷なった老人です。
わたしに歩く勇気をあたえてくれるのは、休息はやがて来るだろう、
それを探す必要がない、ということです。そしてまた、
わたしが失ったすべての人たちがわたしを作ってくれた、
彼らにとってわたしがそうであった
この未来のために力を尽してくれた、
わたしは彼らにわたしの負債と彼らの希望を払っているのだ、
ということです――そして最後に、われわれは、
この恐るべき時代において、作家としての義務を自覚し、
脅かされている大義と人間を(どれほどわずかではあれ)
擁護できる実に少数なのです! われわれは他人に
われわれの仕事を任せることはできません。
われわれは副官をもたない指揮官なのです。
最後まで持ちこたえねばなりません」
(ロラン 1933年12月31日付 P278)

「彼(※ペギー)はけっして友情のために
彼の反抗的独立を――彼の真実を犠牲にはしませんでした」
(ロラン 1934年7月15日付 P288)

「けっして他人を落胆させてはなりません!
それは犯罪でしょう。それはあたかも
病人が健康な人たちに感染させたがるようなものです。
落胆は一つの病気です。ヴォルテール以上に
事態の奥底を辛辣に見た者はいません。そして彼はつねに、
正義への情熱と彼の笑いをもって闘いました。
そして彼の情熱と笑いから、
二つの世代が大革命をやる力をとったのです」
(ロラン 1934年9月5日付 P293)

「きみはもう二十年生きることができるがいい!
きみはけっして苦しみに事欠かないだろう!
一年の最初の数ヵ月は冬のうちもっとも厳しい。
しかし春はすぐそこにある。
きみは春をわがものとするだろう!」
(ロラン 1934年11月23日付 P298)

「人びとは自分のもっている重荷をすべて、
わたしの背におろそうとしたがるようです。
わたしは精神的にも物質的にも、
それを受諾することはできません。
すでに圧しつぶされずに
自分のほかの仕事の重荷を運ぶのに、
大いに骨を折っているのです」
(ロラン 1935年9月3日付 P327)

「すべての民族はわたしのものです(中略)
人類の生命の中心は、時代につれて場所を変えます。
それは行き来し、また行くのです。
それがあるところ、それがつねに《わが》生命
(ミシュレの意味で)――共通の財産なのです」
(ロラン 1935年12月3日付 P337〜338)

「目下ベートーヴェン研究の新しい巻
(後期ソナータと『ミサ・ソレムニス』の時期)
を仕上げています。清書の最中です。こうして、毎朝、
わたしの全生涯の道づれの音楽と雄々しい魂に、
いささかエネルギーを汲むのです(中略)
わたしは国際民主主義の力強い覚醒を信じます。
わたしは信じます。わたしは見ます。
たといその代償がいかにあれ、それをよろこびましょう!
われわれは、人間の歴史がその歩みごとに
高い代償を支払わせることを、知っています。
いたしかたありません。支払いましょう、
しかし前進しましょう!」
(ロラン 1936年12月31日 P355〜356)

「嘘偽や術策が『革命』の手段たりうるとは、
ますます信じません。われわれがこれで亡ぶことを恐れます」
(ゲーノ 1939年7月6日付 P364)

「偉大な時代です。しかし、
この世の大馬鹿どもが信じているような具合にではありません
――彼らは、時代がたてば、忘れられ、あるいは軽蔑されるでしょう
――燃えているこれら狂暴な松明は、闇のなかに消えていきます」
(ロラン 1942年1月4日付 P373)

「これ(※『内面の旅路』)は
われわれの悲惨や低劣さから気をそらし、
空気を浄め、希望すべきことを教えなおしてくれます。
あなたが喚起しておられる親愛なすべての顔は、
それぞれなりに、みんな高貴であり、
われわれに真の生、献身するに価する
生の感情をもたらしてくれます。
あなたのご本が、この暗い日々に、多くの人たちが
再び道を見出すのを助けるだろうと確信します。
あなたがだれよりもよく教えられたのは積極的な生き方です。
あなたのものを読んでいると、多くの時間を不平で、
消極的な、もっぱら批評的な仕事で、くだらん議論をしたり、
否(ノン)を言うことで過ごしたことが恥ずかしくなります。
私がますます強く感じているのは諾(ウィ)を言わねばならない、
時代がわれわれを助けることがどんなに少なくても、
つねに諾(ウィ)を言う手段を見出さねばならないということです」
(ゲーノ 1942年3月31日付 P374)

【④付録Ⅱ 偉大な良心
(ゲーノによるロラン生誕百年祭の記念講演)から】
「わたしとしては、自分が彼に負っているものすべて
言うことはできないでしょう。
ひとたび彼のじつに容赦なく明るい眼が
自分の上におかれるのを感じたとき、
その人は、永久に、自分自身の義務とするものについて
別の考えをもった、とわたしは思います。彼のそばではすぐさま、
人生のある種の偉大さは可能だという気がしたものです。
彼は人びとに、だれしもそれが出来ると信じさせるのでした。
彼がそれぞれの人に声をかけるとき、
もっともつましい人にたいしてさえも、
必ずその人をその最高の水準に位置せしめ、
その人に異常な希望を吹き込もうとするようでした。
《魂のエネルギー》には
感染的な何ものかがあるのです」(P396)

「彼は十九世紀最高の伝統のなかで形成されましたが、
この伝統によれば、芸術家は、話し、書き、出版する者はだれしも、
《人びとの魂をあずかって》いるのです」(P396)

「彼は英雄たちにつきまとわれていて、
彼らの空気、彼らの息吹きを呼吸するのが好きでした。
宗教的な魂だったのです」(P397)

「彼の作品は、すべての人間のために交えられた長い闘いでした。
芸術を自己の血と生命じたいで、自己の苦悩と夢想で養う
偉大な民衆がいなければ、偉大な芸術はありえない、
と彼は考えていました」(P397)

「彼が《悲劇的友愛》と呼んでいたものが、
彼のすべての著作の源にあります。
これは彼にとって抽象的な原理、教義、法則ではなく、
各瞬間に感じとられる良心の事実、深い直観、
魂のことがらなのでした。書物というものはそれを喚起し、
他人のなかでそれを増大する手段にすぎませんでした。
あらゆる孤独が、書物のおかげで、相出会うことができました。
同じ人間がすべての人間のなかに散らばっているのです。
人間的ユニテ(一如 融和)を認識させ深めるのが、
芸術家や作家たちの職務であります。

この精神で彼は仕事をしたのでした。
じつに深い良心が彼を時代の証人にし、
あらゆる論争に投げこみました」(P397〜398)

「フランスはつねに世界に結合して、
自らの正義と人間性によって偉大さを見出すべきでした。
ヨーロッパとその文明を救わねばなりませんでした。
それが『ジャン=クリストフ』の主題であり、
この長編小説と『戦いを超えて』の諸論文との間の関係は、
厳格であり必然的なものなのです」(P398〜399)

「すべての人びとが戦争を欲し、
死の危険を受諾して誇りと名誉により戦争をしている時点で、
戦争に否(ノン)を言うのは、偉大な人間的行為でした。
この拒否、この「否」は良心の力を示すものです」(P400)

「彼は気安い人ではありませんでした。
彼は人が本気に闘うことを望んでいました。
人びとはけっして充分自己自身ではなかった!
人びとはけっして充分信じてはいなかったのです!」(P401)

「生ぬるい人たちは矛盾したことを言うのを止めませんが、
それは一目でわかることではありません、なぜなら、
彼らは絶えず、彼ら自身のように揺れ動く
生ぬるい意見の往復運動に与(くみ)するからです」
(P401〜402)

「内面の声は彼に、平和に、
人間的ユニテに奉仕することを命じたのでした(中略)
ただ内面の声のみがつねに、彼がお互いに分かちたくなかった
彼の思想と行動を命じたのです。この悲劇的な誠実さ、
この全面的な参加が、彼の作品と生涯の
偉大をつくりだしたのです」(P402)

「この人はおおいに闘いましたが、
それはけっして《ユニテ》のためでしかなく、
戦闘を消滅させるためでしかありませんでした。
個人主義者として彼が自己の奥底に見出していた非承認(不服従)、
《わたしは受諾しない》は、彼のすべての闘いの原理でした。
けれども彼は夢みていました、《承認》を、
受諾できる世界を、休息を、『解放』を、
じっさい『万人である一人』になることを夢みていたのです」
(P402〜403)

「彼は彼らの力を目覚めさせようと望んでいました(中略)
《わたしは音楽家であり、いっさいのものに和声(ハーモニー)を、
生のあらゆる力の調和(ハーモニー)を探す》と。
けれども、征服して獲得しなければ歓びは、
『ハーモニー』はありませんでした。
Durch Leiden Freude(苦悩によって歓喜を)です。
彼のもっとも真実な、生きることとともに考えることの師は、
彼の毎日の道づれ、ベートーヴェンだったでしょう。
彼は主知主義を、乾いた抽象を、牢獄になりうる
あまりにも明晰な観念を、警戒していました」(P403)

「二つの法則が彼に芸術を命じていたように思えます。
真実の法則と共感の法則であり、それは人間への愛であり、
ただこれだけが良心にその偉大さと
充実をあたえることのできる共感です」(P403)


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