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賢者の魂を宿した女性の生涯

マルヴィーダは最も広い意味で深く宗教的な性質の人であった。
自然の美しさと、最も純粋な、最高の成果における芸術と、
愛や友情からのいろいろな啓示は彼女の心を敬虔にした。
彼女の晩年の日記に次のようなことばを私たちは見出す――
「私の全心が一つの祈りであった。
そしてどんな信仰者のそれにも劣らない
一つの敬虔さが私の衷にあった。」(P59)


『マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク 一理想主義者の生涯』は、マルヴィーダ研究家ベルタ・シュライヘアによる評伝である。シュライヘアはロマン・ロランとも親しく、ロランとマルヴィーダの往復書簡集を編集・出版したことでも知られる。本書はおそらく日本語で読める唯一のマルヴィーダ伝。巻末に訳者である片山敏彦の随筆「回想と展望」を収録している。

画家レーンバッハが「この小がらの老婦人のうちには一賢者の偉大な魂が宿っている」(P11)と評したマルヴィーダは、ドイツの中ほどに位置するカッセル市の出身。1816年10月28日、国務大臣を務めた父と芸術的な素養に恵まれた母の9番目の子どもとして生まれた。

家柄から考えれば、平穏無事な未来が約束されているかに見える。しかし彼女の本然的な欲求は、「たたかって勝利に達する生活、克己を通じて完成に到る生活」(P16)を求めた。具体的には「病気の人々や貧しい人々への配慮のための実際活動をし、また後には、社会的進歩、勤労的義務の実施、あらゆる階級をただ一つの民衆へ結合すること、女性を国家の市民として教育することのために新聞の論説を彼女は書いた」(P17)。当時すでに「婦人の法律的、経済的、政治的平等権」(P26)を目標にしていたという。

しかし、彼女の家族や知人は、彼女が選んだ道を容認しなかった。やがて「民主主義者の指導者たちと交際しているという理由で警察が彼女を監視し、彼女の持っていた書類を押収し、ベルリンから立ち去ることを彼女に勧告する」(P30)。実質的な国外追放である。やむなくマルヴィーダは故国を去り、英国ロンドンに渡る。

マルヴィーダの肖像と自筆書簡(筆者所有)

マルヴィーダは「故国を離れて生きる者のつらさを残りなく味わう」(P30)ことになったが、彼女の周囲には温かな友情の輪が幾重にも広がっていった。マルヴィーダが「母らしい感情はもともと私の心の中でいちばん強い感情です」(P39)と述べているように、彼女の天分は「人の心に触れる率直さと親切さ」によって、相手の心に「深いもの、永遠なもの」を呼びさますことにあった。誤解と偏見の多い人生にあって、自分のことを自分以上に理解し、励まし、高めてくれる存在が、いかに得がたいものであるか。多くの人々がマルヴィーダに心からの感謝を捧げた。革命家マッツィーニは彼女宛の手紙に「あなたの友、また兄弟」と書くのを常とし、哲学者ニーチェは著書に「私の友であり母であり癒しびとである人のために」と記して贈った。音楽家ワーグナーと友情を結んだのもこのころである。

1877年以後、彼女は「全体が一つの生きている詩であるような唯一の都」(P82)と表現するローマに移り、コロッセオにほど近いポルヴェリエラ通りに居を構えた。「静かな目だたないヴィア・ポルヴェリエラの住居は、十九世紀の末のあの歳月に、ヨーロッパばかりか全世界のすぐれた精神の人々の出会の場所であった」(P84)

ポルヴェリエラ通りを抜けると
コロッセオが姿を現す(2010年・筆者撮影)

ローマに留学していた若きロマン・ロランも彼女の元に通った一人である。ロランとマルヴィーダの出会いは、「老婦人の一生と若者の一生とのそれぞれに天の恵みの贈りものという感じのするもの」(P101)であった。「声を出して笑うロランを私はまだ一度も見たことがありません。しかしその心の中に大きい幸福感があることをロランは私にはっきり言いました。彼は全く注目に値する人です。彼は彼の深いまじめさによってここの皆を驚かせています」(P129)とマルヴィーダ。2人の交流の一端は、美しい往復書簡から窺い知ることができる。

マルヴィーダは自身の人生について、「一本の紅い糸が私の全生涯をつらぬいています。それは理想精神という糸です。この糸にみちびかれて私は決して消えない憧れをもって前方へと歩いてきました」(P13)と語る。1903年4月26日正午過ぎ、賢者の魂を宿した一理想主義者の生涯は幕を閉じた。享年86歳。最後の言葉は「PACE - AMORE!(平和―愛!)」。彼女の墓には同じ言葉が刻まれている。

「真摯さを、聖なる真摯さを常に手離さないでいたまえ――なぜなら、ただこのものだけが生を永遠ならしめるから」(マルヴィーダが愛したゲーテの言葉・P60)


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