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書簡集の面白さ

年齢を重ね、読書に励むにつれ、
往復書簡や回想録をより好むようになってきた。
偉大な作家でさえ、
自身の内面を書き記すことに成功した小説を
多くは残していないからだ。
ロマン・ロランのこれらの手紙が
『ジャン=クリストフ』に優るとはいわないが、
その面白さといったら!


フランスの作家アンドレ・モロワの自筆原稿である。カイエ・ロマン・ロランの第1巻『マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークへの手紙』(アルバン・ミシェル社、1948年刊)の書評で、「文学についての語録 ロマン・ロランの手紙」と題されている。掲載紙の切り抜きとともに、モロワが所有していた同書に挟み込まれていた。

モロワの言うように、複数の作品を読んで興味を引かれる作家がいるのなら、書簡集や回想録、対話録などを読むことをおすすめする。作品をより深く理解し、作家と自分の距離を縮めることができるだろう。その時代の空気感や作家の意外な一面を知る面白さもある。ロマン・ロランのように生きることに真摯な魂に触れれば、大いに啓発を受けられるはずだ。

モロワの蔵書票が貼られている

日本語で読めるロランとマルヴィーダの書簡集には、みすず書房『ロマン・ロラン全集【32】』所収「マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークへの手紙」宮本正清/山上千枝子訳や、南大路振一訳『ロラン=マルヴィーダ往復書簡』みすず書房――がある。

【意訳「ロマン・ロランの手紙」】
年齢を重ね、読書に励むにつれ、往復書簡や回想録をより好むようになってきた。美しい小説は愛すべきものではない、ということではない。偉大な作家でさえ、自身の内面を書き記すことに成功した小説を多くは残していないからだ。ジョルジュ・サンドの自伝『我が生涯の記』は小説『レリア』と異なり、彼女の自然で魅力的な姿を我々に見せてくれる。シャトーブリアンの回想録『墓の彼方からの回想』は小説『レ・ナチェ』の100倍の価値がある。私はロマン・ロランのこれらの手紙が『ジャン=クリストフ』に優るとはいわないが、その面白さといったら!

マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークは1818年生まれ(※1816年の誤り)。ロマン・ロランと文通を始めた1890年には72歳だった。彼女はドイツの裕福で高貴な家柄の出だったが、女性と労働者階級の解放に携わるため、若くして実家を離れた。

彼女はロンドンに身を置き、ルドリュ・ロラン、マッツィーニ、ルイ・ブラン、ゲルツェンなど著名な亡命者たちと親交を持った。後に彼女はリスト、ワーグナー、ニーチェを知り、1889年のある日、ヴェルサイユにある彼女の養女の婿ガブリエル・モノーの家でロランと出会うのである。彼は当時23歳の若き教授であり、音楽と絵画に熱中していた。


ロマン・ロランにとって、この優れた女性の友情とは何だったのか想像してみよう。

「私は、何と多くを彼女に負っていることだろう! パリにおける私の初めの、いちばん辛かった10年の間、彼女は私の主要な、ほとんど唯一の支えであった…この意味で、私はマルヴィーダによって創造されたのだ」

1890年から1903年まで、彼らは毎週手紙を書き合っていた。ロランがマルヴィーダに宛てた700通におよぶ手紙のうち、我々が読めるのはロランの手紙から選び抜かれたこの選集だけだ。彼の手紙は率直さと、若々しさとによって、好ましいものとなっている。

「親しい友よ、私が同時に喜んだり、悲しんだり、熱中したり、がっかりしたりすることを許してください」

彼は絵画や音楽、そして執筆を夢見ている長編小説について語っている。長きにわたり彼は、その長編小説が「音楽的な小説になる」ことだけは意識していた。

「交響曲というものが感情を表現するいくつかの音符の上に築かれており、あらゆる方向に発展し、成長し、勝利し、あるいは負けるように、音楽的な小説は、その魂であり本質でもある感情の自由な開花でなければなりません」

彼はドイツの偉大な音楽家の生涯を描いた物語『ジャン=クリストフ』がどのようなものになるか、より明確に予想している。

「一言でいえば、この作品の主人公は今日の世界におけるベートーヴェンです。彼の生涯や外的環境との類似、あるいは身体的に似ていることが問題なのではなく、精神的な類似こそ重要な点です。それは主人公の心を中心として見た世界です」

ロマン・ロランの妻マリー・ロランが
モロワに宛てた書簡3通も挟み込まれていた

芸術家がこれほどしっかりと、かつて構想したことを実現するのは稀なことである。私は1949年の若者たちが『ジャン=クリストフ』を読んでいるか知らない。しかし1903年から1912年にかけて、この作品は1巻ずつ世に出るたびに我々を大いに喜ばせたものだ。そして今日もなお、米国の若者の目には同じ輝きをもって映っている。作品では音楽が大きな位置を占めているが、読者は各々、主人公の戦いを自らの戦いに置き換えることができる。そしてそこに見られるのは、1人のフランス人がドイツ人を理解するために行った、最も熱心な努力のうちのひとつでもある。

ロマン・ロランはドイツを、そしてドイツの偉大な音楽家や哲学者を愛し、讃美していた。しかし、盲目ではなかった。1900年以降、彼は皇帝ヴィルヘルム2世がビスマルクの政策を継続するのではないかと懸念していたのだ。

「あなたの旧友フォン・ビューロー公(ドイツの外交家)の問題で、あなたが後になってにがい反省をなさることになるのではないかと懸念します。この数年間、彼に関して私が読んだすべてのものから、私は彼の中に、もっとも故意に卑俗で俗悪な功利主義の乱暴な足もとに侮蔑的な皮肉をもってあらゆるイデアリスムとあらゆる感情を投げつけることに優越感をかんじている人を見るのです。彼もまた不吉な人です。――ドイツは後になって気がつくでしょう。――レアリストであることを誇っているレアリストの政治屋どものすべてはそれに気づくでしょう。歴史上ドイツを偉大ならしめているもの、その純粋さ、その道徳的良心、その至上のイデアリスムをドイツからうばうことがどんなに大きな損失かということがわかるでしょう。――彼ら以外の人に指導されるにふさわしい偉大な国民、この人たちを厄介払いするにふさわしい偉大な国民です!――」(みすず書房『ロマン・ロラン全集【32】』所収「マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークへの手紙」宮本正清/山上千枝子訳 P228〜229)

ロマン・ロランの友の会はカイエの第2巻として、ルイ・ジレとロマン・ロランの往復書簡を刊行すると発表している。こちらも美しい対話である。




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