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初めての結婚と離婚

私は芸術への意欲を持っています(中略)
どうかこの芸術への意欲を
打毀(うちこわ)さないように、
むしろそれを仕遂げるために
私に力を借して下さるようにお願い致します
(加藤行立訳「ロマン・ロラン研究【31】」ロマン・ロラン協会 P9)


フランスの作家ロマン・ロランの自筆書簡である。誰に宛てたものか不明だが、1892年9月頃に書かれたものだと思われる。

「ポルニックにて 木曜日

拝啓

ナントに滞在されている間、
ポルニックへふらっと海を見に来られることがあれば、
ノベールランド(ポルニック)の浜辺の近く、
私たちのカーポートニッドの邸宅にお立ち寄りください。

ブレアル氏より、貴殿のお越しになる日には
昼食にご招待するよう命じられております。

ご招待は虚飾のないものです。
ご承諾いただければ幸いです。
――もしお越しになることが叶うのなら。

敬具

R・ロラン」


手紙に登場する「ブレアル氏」とは、コレージュ・ド・フランスの比較文法学教授ミシェル・ブレアルのことだろう。ロランは1892年10月、ブレアルの娘クロティルドと結婚する。

2人の出会いは1892年4月11日。ミシェル・ブレアルが催した夕食会の席上だった。

クロティルドはどんな女性だったのか。彼女を知るある婦人は、「生まれつき生まじめで、考え深く、ミッシェル・ブレアルがひとり娘にさずけた教養、このすばらしい父親との接触によってさらに鋭くなった知性で豊かにされ、価値ある問題に関わることしか好まず、多くのユダヤ人女性のうちに見るあの生来の勤勉さをそなえていた……。どんなに衒学ぶっても、彼女の話は重苦しくはならなかった。冷かし好きだが、悪意はなく、快活を愛し、率直に笑った」※1と伝えている。

それ以来、2人は何度か出会いを重ね、早くも同年8月8日には婚約する。その後「ブレアル家の人々はポルニック(フランス大西洋岸の海水浴場・漁港)めざして出かけた。ロランは彼の両親に同行してヴィラールへ行った。彼は8月24日までそこに留まり、それからポルニックにいるブレアル家に合流した。9月は彼らといっしょに過ごした」。※2 本書簡はこの時に書かれたものだと思われる。

クロティルドと過ごすポルニックでの日々は幸せに満ちていた。ロランは書いている。

「海はまるで南の海のように青く、
空気は生暖かく、花々の香りに満ちています。
そして私達は自然と私たちの愛情以外誰とも顔を合わせません」
(マルヴィーダ宛 1892年9月12日付)※3

「私たちの日常は香ぐわしい静寂さで進行をつづけています。
私たちは精々夕方からは海の真ただ中の黒い大きな岩の上に行きます。
そしてうち上げてくる波の音を聞いたり、
黄金色に光り輝やく太洋の中に陽が沈むのを眺めたり致します」
(マルヴィーダ宛 1892年9月21日付)※4

「私がクロチルドを知ってからそろそろ六ケ月が経ちます。
そしてこの一と月の間毎日の総べての時を彼女と共に、
彼女と二人だけで過していました。
この間に私たちの愛情が日々二人の中で成長していったと
貴方に告げるのを本当に誇りに思います」
(マルヴィーダ宛 1892年9月21日付)※5

ポルニックでのロラン(左)とクロティルド(中央)
(ロマン・ロラン協会「ロマン・ロラン研究【31】」表紙)

高名な学者の令嬢のロマンスは、ちょっとした噂になっていたのだろうか。『失われた時を求めて』の著者マルセル・プルーストの母親は、幾分嘲笑を交えて息子に書き送っている。

「ブレアル嬢はご自分に似つかわしい魂を見つけられました。
彼女は自然の三界(鉱物は除いて動物・植物・人間)の逸材と
婚約されました。科学者であり、文学者であり、音楽家であり、
その他のなんでもあるお方なのです」※6

ところが、ロランの母と、ロランが「第2の母」と呼んで慕ったマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークは結婚に慎重だった。人生経験豊富なご婦人方は、2人の気質の違いが不和の原因になるのではないか、生活に追われるようになることで、ロランが芸術的な天分を窒息させてしまうのではないかと危惧したのだ。

それでも、最後は2人とも結婚を承諾した。結婚式は1892年10月31日、パリ第6区役所で行われた。

新婚時代のロランとクロティルド
(ロマン・ロラン全集編集部『写真集 ロマン・ロラン』みすず書房 P56〜57)

ロラン自身、この結婚に不安がないわけではなかったようだ。婚約前の7月、ロランがクロティルドに書いた手紙が残っている。

「私は一つの気懸りのために苦しんでいます。
それは貴方が私について思い違いをなさっていると云う事です(中略)
私は貴方がよく私の精神の要求、私の芸術への意欲が
私に強いている幾分例外的な生活を
よく理解しておられないのではないかと恐れています(中略)
私は自由であることを、
私たち二人の存在の全き発展を、
そして二人相互の愛情の真髄を希(ねが)っています」
(1892年7月13日付)※7

「私は芸術への意欲を持っています。
他のものでしたら私は喜んで一切を貴方に譲り渡しますが、
これだけは貴方にお譲りすることは出来ません。
もし貴方が私の愛しい方でいて下さるのなら、
どうかこの芸術への意欲を打毀さないように、
むしろそれを仕遂げるために
私に力を借して下さるようにお願い致します。
これは私の義務なのですし私の天性の要求なのですから」
(1892年7月17日付)※8

その懸念は現実のものとなる。結婚して2年も経つと2人の間には隙間風が吹き始め、1901年、ロランとクロティルドは離婚した。

「5月24日、離婚告知が行われた。
『ロラン夫人の要請により、また夫人の利益において、
法的なあらゆる結果を伴う』というものだ。
手続き一切は6月20日に完了を見るにいたる(中略)
ロランは悲しみに引きこもったまま、
この離別ゆえに心に大きな穴ができたのを感じていた。
1901年6月から7月にかけて神経衰弱になり、
どうしたらよいかまるきりわからないまま、死を憧れていた」※9

2人に子どもはいなかった(性的交渉もなかったと伝えられる※10)。ロランは離婚の原因についてこう語っている。

「クロチルドと私のあいだに
別にかわったことが起ったわけではありません――
私たち二人の生活があまりに異なっており、
私のあらゆる努力にも、
そしておそらく彼女のそれにもかかわらず、
二つの生活は宿命的にたがいに離反し
遠ざかってゆく以外には何も起ったわけではありません(中略)

世間や周囲の事情に妥協することさえし、
そのことが一度ならず私をくるしめました(中略)

私たちは力もつきはてました。
もし一方が他方のために自分を犠牲にするのでなければ
共同の生活は不可能でしょう。
そして私の方は、そうすべきではありませんし、
彼女の方は、それをのぞみません」
(マルヴィーダ宛 1901年2月26日付)※11

「私たちの二つの生活のどちらも、
もう一方の犠牲になることをのぞまず、
しかも双方は正反対の目的にむかって進んでいるからです。
善であると自分が知っているもの、
善であるもの、私の生存理由であり、
信念であるものを彼女のために犠牲にすることなく、
しかも自分の伴侶の自由を大切にしようと、
この数年、私は最善をつくしてきました。
私の耐えたこうした譲歩では充分ではありませんでした。
もう一歩も譲ることはできません」
(ルイ・ジレ宛 1901年2月21日付)※12

同じ方向を向いて生きていける夫婦は幸せだ。人生において本当に大切なものが大きく異なると、愛情があっても夫婦関係を続けることは難しくなる。子どもがいなければ特にそうだろう。結果的にロランの母とマルヴィーダの見立ては正しかった。クロティルドの気持ちも聞いてみたいが、ロラン宛の書簡などは公表されていない。

ロランと別れたクロティルドは1902年、気鋭のピアニストとして注目されていたアルフレッド・コルトーと再婚した。子どもは2人できたが、1人目は死産で、2人目は数時間しか生きていなかったという。※13 結婚生活は「真の親密さには欠けていたものの、静かで礼儀正しいもの」※14 だったが、コルトーは演奏旅行で家を空けることが多く、1931年に別の女性のもとへ走った。1938年に別居。1947年に亡くなるまで、クロティルドはコルトー夫人のままだったが、心中いかばかりか。

クロティルドと別れたロランは、再会したイタリア人女性ソフィーアや妹の友人の英国人女性、第1次大戦期には米国の女優サリーなどとの恋を味わった。そして1934年、ロシア人のマリーと再婚する。ロラン68歳、マリー39歳のことだった。

※1  ベルナール・ガヴォティ著/遠山一行ほか共訳『アルフレッド・コルトー』白水社
    シモーヌ夫人著『新しき陽の光の下で』からの引用 P116〜117
※2  ベルナール・デュシャトレ著/村上光彦訳『ロマン・ロラン伝』みすず書房 P59
※3  加藤行立訳「ロマン・ロラン研究【31】」ロマン・ロラン協会 P9
※4  同上 P10
※5  同上 P10
※6  みすず書房『ロマン・ロラン全集【43】』蛯原徳夫ほか共訳 P309
※7  加藤行立訳「ロマン・ロラン研究【31】」ロマン・ロラン協会 P8
※8  同上 P9
※9  ベルナール・デュシャトレ著/村上光彦訳『ロマン・ロラン伝』みすず書房 P108〜109
※10 ベルナール・ガヴォティ著/遠山一行ほか共訳『アルフレッド・コルトー』白水社 P152
※11 みすず書房『ロマン・ロラン全集【32】』所収
    「マルヴィータ・フォン・マイセンブークへの手紙」宮本正清/山上千枝子訳 P233
※12 みすず書房『ロマン・ロラン全集【32】』所収
    「ルイ・ジレ=ロラン往復書簡」清水茂訳 P380
※13 ベルナール・ガヴォティ著/遠山一行ほか共訳『アルフレッド・コルトー』白水社 P154
※14 同上 P188


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