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父親のような愛情

世界をあるがままに見て
愛そうとしている(なかなかうまくいかないが!)
ひとりの男へ 友情をこめて


1921年にオランドルフ社から出た『ロマン・ロラン選文集』の第1巻である。ロランが才能を見いだし、世に送り出した作家パナイト・イストラティ宛の自筆献辞が入っている。

イストラティは1884年、ドナウ川下流の港町ブライラ(ルーマニア)に生まれた。ギリシア人の密輸業者だった父親は1歳のとき亡くなり、洗濯女として働く母親に育てられた。12歳で親元を離れ、以来20年にわたり放浪生活を送る。

過酷な労働や飢えに苦しみ、宿がなく夜警に追い立てられる日々――。やがて結核を患い、1919年にスイスのサナトリウムに収容される。そこで耽読したのが、友人が貸してくれたロマン・ロランの作品集である。彼は「僕の心にグサッとくる、新しい言葉で語りかけてくれる温かい友人を突如見つけた」※1と深い共感を覚える。

退院後も体調は優れず、経済的な困窮も続いた。進退窮まったイストラティは1921年1月、ニースの広場で喉をかき切り自殺を図る。

どうにか一命をとりとめたイストラティのもとに、ロマン・ロランからの手紙が届いたのは同年3月のこと。イストラティの所持品を調べた警察がロラン宛の手紙を見つけ、転送していたのだ。

ロランがイストラティに『選文集』を贈った際の封筒の切れ端。
ロランの自筆で宛名が書かれている。

イストラティの手紙を読んだロランは、「ざわめき立つ天稟(てんびん)に心打たれた」「それはバルカン諸国の新しいゴーリキーの告白であった」※2と記している。そしてイストラティに、「あなたを超える本質的なものを、あなたの死後も残るようなものを、あなたがその分身であるような作品を」※3書くように勧めた。

傷を癒やしたイストラティは街頭写真屋として働くが、許可証がないため何度も留置場に入れられる。ロランが『選文集』を贈ったのは、宛先の住所から考えるとちょうどそのころ、1921年5〜12月の間※4と思われる。ロランの自筆で書き込まれた献辞には、息子を見守る父親のような愛情があふれている。

「世界をあるがままに見て
愛そうとしている(なかなかうまくいかないが!)
ひとりの男へ 友情をこめて」

続いてロランの代表作『ジャン=クリストフ』からの一節が記されている。

「調和――それは愛と憎しみとの崇高な結合!
力強いふたつの翼をもつ《神》を私は頌め歌おう。
生を讃えんかな! 死を讃えんかな!」

1922年になると、ロランは作品を仕上げるようにイストラティを強く促す。そうして完成したのが小説『キラ キラリナ』である。ロランは序文を寄せ、「彼は生まれながらの物語の語り手、東洋の語り手」であり「ロシアの大家にも匹敵する」※5と讃えた。

※1:田中良知訳『キラ キラリナ』未知谷 P239
※2:みすず書房『ロマン・ロラン全集【43】』所収「他の著作への序文」蛯原徳夫訳 P195
※3:田中良知訳『キラ キラリナ』未知谷 P6
※4:Correspondance intégrale Panaït Istrati, Romain Rolland, 1919-1935 
※5:みすず書房『ロマン・ロラン全集【43】』所収「他の著作への序文」蛯原徳夫訳 P195〜196


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