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ただ強くあること

芸術家は芸術のことばかり話していてはいけません。
彼の内面生活はそれで飽和してしまいます。
自分自身を更新するために、
自分の外に踏み出さなければならないのです。


フランスの作家ロマン・ロランの自筆書簡である。1911年2月13日付で、作家アンリ・バシュラン宛。いわゆる文芸誌に対する自分の考えを述べ、創作・批評に携わる人々がいかに妥協・堕落していても、自分たちが強くあるべきことを訴えている。

バシュランは1879年生まれ。ロランと親しく、『アンドレ・ジイド=ロマン・ロラン往復書簡集』などを出した。

【意訳】

1911年2月13日 月曜日

親愛なるバシュラン

あなたがまだお持ちでない小さな本をお送りします。
もしほかにお読みになりたい本があれば仰ってください。
私の手元にあればお送りします。

それから、きのう触れた2つの事柄について、
少々お伝えしておきます。

まず「新フランス評論」の件です。
あなたはそこに寄稿すべき理由が山ほどありますし、
あなたの友人が同誌に携わっていることも嬉しく思います。
新しい雑誌の中では最も興味深く、
最も健全なものであることは確かです。
もし私があと10歳若かったら、
喜んで寄稿していたことでしょう。
まだ書くつもりがないとは言いません。
1回か2回、機会に応じてです。

しかし、私くらいの歳になると(※当時ロランは45歳)、
あらゆる文芸誌はある種の猜疑心や倦怠感を抱かせるのです。
たくさんの文学作品の集まりを、私は健康的だとは思いません。
私はもっとほかの人たちのことを必要としています。
多様な活動に携わる人々、例えば科学者や歴史家、芸術家、政治家、
そしてとりわけ一般の人々の方がはるかに標準的であり、
芸術の健全性のためにずっと重要であるように私には思われます。
芸術家は芸術のことばかり話していてはいけません。
彼の内面生活はそれで飽和してしまいます。
自分自身を更新するために、
自分の外に踏み出さなければならないのです。

しかし、親愛なるバシュランよ、
あなたにこう言うのは私自身のためなのです。
あなたは朝から晩まで、粗野な俗物たちのただ中で
生きることを強いられているのですから、それとは逆に、
本当の芸術家たちの間に立ち返ることの恩恵を感じるべきです。


次に、ユダヤ人問題(文学上の)についてです。
私が彼らに対する意見を変えることは決してありません。
文芸界の(特に演劇界の)ユダヤ人は、
フランス芸術にとって不吉な存在だと信じています。
しかし私は、彼らを恨みはしません。
私が恨むのは、むしろキリスト教徒です。
ベルンスタンやコールス、ブルムなどは、
できることをやっているに過ぎません。
彼らは我々の古い国の魂を溶かし、破壊するために生まれ、
誠実に自らの務めを果たしているのです。
一方、その魂を守護すべき、
あるいは体現すべき責務のある我々の批評家や創作者は、
その大半が卑怯にも託された大義を放棄しています。
彼らは堕落した芸術への嫌悪を率直に口にしないばかりか、
彼ら自身が心の奥底で信じ、
愛しているものを示すことさえ恐れているのです。
彼らは同業者の1人と仲違いするより、あらゆる妥協を承諾します。
まったく気骨がありません。

私はユダヤ人を恐れはしません
(J・H・ロニーが抱いているような強迫観念、
すなわちユダヤ人による征服への恐怖などは、
私には子どもじみたものに思われます。
彼はとても賢い人だと思いますが)。
私はユダヤ化する者たちを危惧しているのです。
ユダヤ人は粘り強いですが脆弱です。
彼らはとても強いような印象を与えますが、
我々が想像するよりずっと、知的・倫理的人格において脆弱です。

ただ強くあるほかありません。
自らの強さを知らずにいるフランス人が、
今日なんと多いことでしょう!

心を込めて。

ロマン・ロラン

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