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アメリカ合衆国・ニュージャージー州ミドルタウン出身のネオクラシカル系プログレッシヴ・メタル・バンドSYMPHONY Xのコンセプト第2弾。正直言うとダンテ『神曲』の方がSYMPHONY Xでは新しいのだが、キリスト教文学としてはジョン・ミルトン著『失楽園』の方が新しい。
一言でいうと旧約聖書『創世記』第3章の神話である。蛇に唆されたアダムとエバが神の掟を破って「善悪の知識の実」を食べたために最終的にエデンの園を追放されるというもの。
ヤハウェに叛逆して一敗地にまみれた堕天使ルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るも、その罪を自覚し甘受して楽園を去る人間像を描いている。
つまり分かりやすく言うとこういうことである。ぶっちゃけ「汝姦淫するなかれ」といったってムラムラしちゃったんだからしょうがねーじゃねーか。
で、神父や牧師や僧侶は子作りをいっさいしないの? 決してそんなことはありませんよね。そして裸の絵はエロいのではなく、人間の本質を描いているから。第1回ギリシャ・アテネ・オリンピックは全員裸だった。それは自分が自分そのもので、誰にも変わらないことを意味している。つまり本当に意味での「世界に一つだけの花」なのです。むろん現代人が考える個性とはまったく違うもの。
ただ都市化すると脳化社会になってしまう。頭で考えたことが必ず正解になると思い込んでいる。それを西洋で一番初めに問題提起したのがカフカ『変身』で、自分が虫になったのにいつまでも「俺はグレゴール・ザムザだっ!」と言い張っている。
現代ではイギリスでEU離脱の内容をよくよく調べると「あの時EU離脱に賛成しなければよかった」というマヌケな街の声が聞こえる。暴走したあの時の自分は本当の自分ではない。違う。本当の自分は確かにそこにいたのです。
だから、もう一度国民投票をやろうとなってビデオ・ゲームのようにリセットボタンを押せばまたやり直せるかのような言い草になる。
ヒトラー(ドイツ人至上主義・ユダヤ人排除)やドナルド・トランプ(白人至上主義・ヒスパニック&中東文化のいっさいを排除)や植松聖被告(神奈川県相模原市の障碍者施設『やまゆり園』で障碍者を排除)といった人々は歴史上で幾度となく出て来ます。問題は、見聞きした本人がどう受け止めるか。
これらはすべて「同じにすること」と「他者を上から目線で見ること」が前提になっているはずです。つまり自分は偉いから他の者は身分が下であるという多様性の否定です。これは動物や昆虫の分類もそうだし、音楽というかHR/HMにも言えてますね。
別にロックとメタルが同じだと思っている人はそれでいいんでしょう。ひとくくりにすれば、すべてが自分の思い通りになるはずですから。そして私自身はハードロックとへヴィメタルはまったく別物だと思っていて、その中でも「なんとかロック」と「なんとかメタル」に分かれ、特殊なヘヴィロックは仕方ないから「エクストリームメタル」のひとつとして数えている。こうして細分化していくタイプの人は多様性を肯定しているからそういう考えなのです。
さらにいうと、それらの「議論を突き合わせる」ことは悪いことではありません。現代人は言い争いを嫌う人も中にはいるじゃないですか。お前の方が自己主張だ!俺様に合わせろ!みたいな痛い性格の人もいるわけですが、議論は付き合わせていいんです。なぜならそこに「正解がない」からです。もし議論ができない人がいるなら、それは自分の考え方がすべてだと言い張っていることと何ら変わりはありません。
つまり、最初の絵に戻って社会でうまく切り抜けようとするなら男女それぞれ裸でいいんです。これをかつての日本では「裸の付き合い」と言って、何も隠すことなく話そうではないかということでした。それ自体がこの絵にあたるものです。実は紀元前の欧州では本当の裸の付き合いをしたのでした。イチジクの葉なんかありません。男性の下半身にはブラブラしているものがあり、女性の上半身にはプルプル揺れるものがある。身も心も何も隠していなかったんです。
私なんて練馬の家に住んでいた時には姉と一緒に風呂に入って、その直後には下の従妹が ヾ(*´∀`*)ノ キャッキャッ♪ヾ(*´∀`*)ノ キャッキャッ♪ と楽しそうに真っ裸で入ってきて、小学生時代だけどそういうことは普通なんですよね。そして風呂から出たら裸族のようにスッポンポンで部屋中をウロウロしている。
女は男みたいに下半身に竿がないだけでなく穴が空いてるな〜みたいに、そこで初めて気づくわけです。分かっているなら、普段から行動を規制していれば何の問題もありませんし、発想はしても行動しなければ犯罪にはなりません。問題は行動を起こすことそのものにあるわけです(植松聖被告がこれにあたる)。政治では民族紛争を起こし、ネット上では機械の中の仮想人物が相手(現実の人はいない)だから炎上したり、荒しまくってスッキリする(と思い込んでいる)だけなんですよね。
そういうことは罪を告白し、祈っていれば何の問題もありません。これこそが本当に意味での裸の付き合いなんだと思います。それぞれ自分を見つめ直す機会が与えられたと思っていますし、こうして本気で神学・スコラ哲学について考え直してみれば、人間も動物のように裸でおかしなことは一つもないでしょう。
ストーリーを真面目に読んでもう一度聴いてみればコンセプトをうまく表現していることがよく分かると思います。これだけコンセプトと音楽とパフォーマンスが一致するHR/HMバンドは世界のどこを見ても稀でしょうね。
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