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60歳代の金融資産調査で、100万円未満が25%と出ていた。これまで何をしてきたのだろうかとふと考えてしまった。それぞれに体を壊して働けない時期があったとか、離別して働きながら子供を育ててきたとか、商売に失敗して大きな借金を作ってしまったとか、いろんな理由が上がるであろう。言い訳に聞こえる場合もあるが、なんと不運な人生を歩んでこられたことかと同情を覚えるような場合もある。
収入に合わせる家計を営んでいると、収入が増えれば少しずつ生活が派手になり、収入が激減しても、その収入に見合った生活になかなか変えられないといったこともある。身の丈に応じた生活費を使っていれば、そんなに大きな負担にはならないかもしれないが、ついつい見えを張る。長い付き合いのある人と出会ったりしたらなおさらである。
自己責任論を強く主張する人は、おうおうにして自信家が多い。そしてそれなりの役職に就くことができたり、困らないほどの資産を築き上げた人が多いように見受けられる。しかるに、それらの成果は時世が味方したおかげかもしれないし、ほんの少しの幸運があったからかもしれない。大きな挫折を知らずに来られたから、そんな意識になったかもしれない。
しかし、想像力を豊かにすれば、どこかで挫折を経験した自分をイメージできないだろうか。たとえばロストジェネーレーション世代は経済状況の悪化する中で、正社員採用が著しく減った時に、希望の就職ができなかった人たちである。そんな世代の中にも成功者はいるのだから、頑張りが足りなかっただけだという言葉も浴びせられるが、そんな人たちが大勢いる現実が今ある。非正規社員としていろんな会社を転々としてキャリアを積むこともできず、結婚や子供を諦めた人たちがいる。
現在参議院選挙で争点となっている年金問題でも置いてけぼりである。年金給付が20万円あったとしても2000万円不足するといった議論など、彼らには無縁である。残念ながら多分彼らの多くが国民年金の掛け金でさえ滞納しながら生活している。とすればかれらが年金を給付してもらえる時期がきても、給付金だけでは生活すらおぼつかない。その構図はいくらなんでも推測できるであろう。
社会全体で社会保障のコストはどうなっていくのか。もっとシビアに考えていかなければならないのではなかろうか。いくら自己責任論をぶっても、一方で飢え死にする人が続出する社会を容認はできないであろう。自分自身の生活を守ることは、社会全体の生活を守ることから始まるのではないか。それが抜けていれば、人間としての生活などおぼつかなくなるのではなかろうか。
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