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以前ご紹介した、廃墟ファンの間では有名だった廃校の八里小学校に行く途中に風車の弥七の墓の看板を 見つけたので行ってきました。近辺まで近づけば看板がたくさん出ているので迷わず行けますし、 駐車場やトイレなどもありちゃんと観光地として整備されています。 弥七のモデルとなった松之草村小八兵衛と妻のお新の墓があり、風車も飾られていました。 「水戸黄門の諸国漫遊」は、義公が名君であったために作られた物語であるが、 その中に出てくる「風車の弥七」は、実在の人物「松之草村小八兵衛」がモデルとなっている。 義公の御世、(1661−1690年)常陸国松之草村(現茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に、 「松之草村小八兵衛」という者がおった。この者は盗賊の頭領で、一昼夜に三十里(120km)を 往来し、忍びの術に於いても達人の優れた忍者であったという。後捕らえられたが義公の 尊徳をもって助命となったばかりか、一生涯二人月俸を給せられたので、その恩恵に非常に 感激して「自分の存命中は、決して御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓ったと言うが、 果たしてその言のとおり、彼の存在中は、水戸領内には夜盗の心配はなかった。 又、小八兵衛は、領内や隣国の動静変事を探り、義公に報告する間者(隠密)として活躍したので、 義公は居ながらにして、領内の変事はもとより、隣国の動静も知り得たという。 このことは、今から約一五〇年前に「石川久徴先生」著書の「桃蹊雑話」に書かれている。 (お墓の傍に置かれていた小冊子より) 探索日:2007.1.2 地図
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SPOT:茨城



へ〜〜〜風車の弥七って実在した人物だったのですね。
初めて知りました。 僕はてっきりつくられた人物だとばかり
思ってました。ポチですね。
2008/9/27(土) 午後 4:56
私もこの時に初めて知りました!
偶然見つけたとはいえ面白いものが見れて良かったです^^
2008/9/27(土) 午後 7:35
例の八里小学校を見に行く途中で私も立ち寄ろうと思った場所です。でも行かなかった…^_^;
こうゆう感じなんですね。水戸黄門の墓も近くを何度も通ってますが行った事がありません。
今度、行ってみようかな。。
2008/9/29(月) 午前 10:19
これは楽しい発見ですね!
実際に風車を武器にしていたのでしょうか?
う〜ん真相が知りたい!
2008/9/29(月) 午後 10:14
水戸黄門の墓と聞いて是非私も行ってみたいと思い調べましたが
今は一般公開していないようですね・・・><
助さん格さんの墓に興味が今沸いてきました^^
2008/9/29(月) 午後 10:15
kaetonさん
こういう発見があると旅も楽しくなって良いですよね!
でも盗賊の頭領が風車って似合わない気もします^^;
2008/9/29(月) 午後 11:09
「“小八兵衛=弥七のモデル”説」は茨城県民が勝手に作ったこじつけです。茨城県がこんなウソを悪用して観光客を集めているなら、TBSは水戸黄門ファンの署名だの水戸黄門市長からの陳情だのは無視して「水戸黄門」というウソツキ時代劇を即刻打ち切るべきでしょう。
[ 御隠居新さん金さん婿殿2 ]
2011/10/7(金) 午後 2:09