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追憶の彼方へ-ruins rider-
廃墟・廃校をメインに紹介しています。

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軍艦島:泉福寺

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大正10年、住職が常駐した軍艦島唯一のお寺、泉福寺が出来ます。元々は禅寺だったが、あらゆる宗派の葬儀を執り行っていた。木造だった本堂(2階部分)は跡形もありませんが、何故か1階の1部分のみコンクリート造で現存しています。(写真:左下の建物)
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操業時、玄関に安置されていた石像2体と釣鐘が残っています。1体の石像は既に頭部が無くなってしまっていて、もう1体も風化でかなり削れてしまっている。
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(注:↑の写真は軍艦島資料館の展示パネルより、当時の住職の様子)

<西日本廃墟ツアー4日目 




探索日:2007.8.22

  • 軍艦島にはお寺まであったんですね!ということは墓地も?
    墓地はないにしても、火葬場なんかもあったのでしょうか…
    …というのは、先日行った、北九州の藍島というごく小さな島にも、
    火葬場があって意外だったもので、つい気になってしまいました。

    [ Kitaro ]

    2009/2/10(火) 午前 1:08

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    ご神体は当然のことですが、釣鐘を残すとは関心できませんね。
    これは寺でなくとも宗派で責任を持って持ち帰って欲しいものです。
    おそらくはお布施や寄付によるものでしょうからね。
    こんな粗末な扱いでは困ると檀家は思っていることでしょう。

    銀ぎつね

    2009/2/10(火) 午後 8:52

  • ruins-riderさん、軍艦島にはお寺もあったんですね。一枚目の写真は、どこがどうなっているのか良くわからない程に荒れていますね…
    頭部のない仏像も痛々しいですね。わずか数十年でこれほどまでに荒れてしまうんですね(^^;

    Shane

    2009/2/10(火) 午後 10:44

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    あつdesuさん
    後ほど記事にする予定ですが、軍艦島には火葬場もお墓も無かったようです。すぐそばにある中の島で火葬が行われていました。
    藍島の事をネットで少し見ましたが、藍島の墓域として貝島が使用されたのと同じような感じですかね。

    ruins-rider

    2009/2/10(火) 午後 11:05

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    silverfoxさん
    確かに仰るとおりですね。
    何故放置したまま島を離れてしまったのでしょうか・・・
    現在のこの状況は寂しいものがあります。

    ruins-rider

    2009/2/10(火) 午後 11:10

  • アバター

    Shaneさん
    本当に荒れに荒れてしまっています・・・
    長崎なので台風も来ますし保存もしていないまま数十年放置していれば仕方ないですよね・・・
    それにしても仏像は本当に痛々しいです。

    ruins-rider

    2009/2/10(火) 午後 11:17

  • わざわざ藍島のことまで調べてくださって、感激です!
    中ノ島の記事も拝見しましたが、なるほど、軍艦島はそういう形態をとっていたんですね。
    確かに、軍艦島を“故郷”とする労働者はいなかったでしょうし、
    本来の故郷にお墓を作ってあげるのが道理ですよね。
    色々と教えていただき、ありがとうございました。(^o^)

    [ Kitaro ]

    2009/2/13(金) 午前 0:33

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    とんでもないです^^;
    でも軍艦島で生まれ育った方々は現在の廃墟と化した故郷を見るのは悲しいでしょうね・・・
    廃墟探索はそういった方々の気持ちを逆なでするような行為でもありえるので難しいものです・・・

    ruins-rider

    2009/2/13(金) 午前 7:40

  • 顔アイコン

    初めまして。軍艦島を調べていてお寺があったという記事を見て検索してたどり着きました。
    私は僧侶をしていますが、上の方に「釣り鐘を放置…」とありますが、単なる放置ではないと思います。
    もちろん軍艦島で働いていた檀家さんなどは閉山の折、先祖の位牌(霊)を連れていったと思います。
    (中之島に納骨された遺骨がどうなったのかはわかりませんが…そもそも分祀だったのか合祀だったのか
    もわかりませんし…これからもう少し調べてみます)
    しかし、お寺で供養されている霊は檀家さんのものだけではありません。
    身寄りのない霊(無縁仏)もありますし、流れ着いた不幸な水死体の霊もあったと思います。
    そうした島に残らざるをえない霊のために、せめて石像を、お寺を残していこうという配慮だったのではないかと思います。
    (中之島に残されたお地蔵さんも同じ理由があったのではないかと思います。)

    [ vt_*4*0 ]

    2010/2/10(水) 午前 11:24

  • 写真では釣り鐘は石像の前においてありますが元々はお寺に付いたまま残されたのでは?
    しかし諸行無常、建物は風化し鐘が落ち、誰かがそのままではむごいと石像の前に置いたのではないかと思います。
    いずれにせよ、泉福寺に祀られていた御霊の安らかなることを願います。合掌。

    [ vt_*4*0 ]

    2010/2/10(水) 午前 11:24

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    vt_*4*0さん
    ご訪問・コメントありがとうございます!
    現地の方の話を聞くと強制労働なのかどうかは分かりませんが、外国の方が軍艦島から泳いで逃げようとして、海で溺死してしまった方もいると仰っていたので、確かにそういった方々の為に残していったと考えられますね。
    ご指摘ありがとうございます。

    ruins-rider

    2010/2/12(金) 午前 2:35

  • 顔アイコン

    泉福寺は、伯父が住職だったお寺です。最後の写真はまさに伯父の写真で、名前は本間麗天といいます。故人ですがとても懐かしく思いました。

    [ laydown111 ]

    2016/3/12(土) 午後 6:08

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    > laydown111さん
    ご訪問・コメントありがとうございます!
    そして、リコメが遅くなってしまい申し訳ありません。

    この写真は軍艦島資料館に展示されていたパネルになりますが、そこに叔父様が写っていたんですね。
    私は単純に当時の貴重な写真だと思いパネルを撮影したのですが、それがこうやってご親族の方の目にとまる事となって良かったです。

    ruins-rider

    2016/3/21(月) 午前 9:45

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