|
今回ご紹介するのは埼玉県桶川市に残る旧陸軍桶川飛行学校跡。
敷地内には、当時の兵舎や守衛所、車庫、弾薬庫などが残され大変貴重な場所となっています。
桶川飛行学校は、昭和12年に熊谷飛行学校の分教場として開校。
昭和20年2月の閉校までに推定1500〜1600名の航空兵を教育していますが、
昭和18年9月に卒業した少年飛行兵第12期生は45名中18名、
昭和19年3月卒業の特別操縦見習士官第1期生は80名中20名近くが戦死。
昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年4月5日、陸軍初の練習機による 特攻となる振武第79特別攻撃隊12名が知覧基地に向け出発しています。
敷地内に残る建物は、終戦後は大陸からの引揚者などの住居として使われていました。
間仕切りを設置し、床を張り畳を敷いて、60戸から70戸、最大で300人近くが暮らしていました。
驚くことに平成19年3月まで、ここで暮らしていた方がいたそうです。
最後の住人が転出したため、市は国との約束で、ここを更地にして平成22年3月末までに
国に返還することになっていましたが、保存要望の署名に応えて、桶川市が敷地を購入しました。
現在では、ボランティアの方々の努力によって建物が維持されて、
土日祝日などは一般公開されています。ただ、敷地内に残っている建物が今後も
保存されていくというのが決定しているわけではないとの事で、建物を保存させる方向で
ボランティアの方々が今でも各方面で活動中です。
昭和20年4月5日、ここ桶川飛行学校から知覧基地へ向けて特攻隊が出発していきます。
知覧基地とは、特攻機の出撃地のことで、ここから多くの特攻隊員が出撃し、戦死しています。
桶川から知覧基地までは整備員も同乗していったのですが、その時の整備員の方が
現在はここで語り部として活動されています。
その時の様子など細かくお話をしてくださりましたが、今でも目に涙を浮かべており、
何十年経とうがあの日のことは忘れられないと仰っておられました。
兵舎の内部には、当時の写真や手作りの資料などが展示されています。
こちらは、かつて使われていた共同トイレ。
トイレの裏側は残念ながらここまで崩壊してきてしまっています。
かつては、トイレ裏に講堂や操縦訓練場などもあったようなのですが、
火災で焼失してしまったのか現在は残っていません。
この建物は、戦後に増築された建物で、最後まで人が住んでいました。
つづく
|
SPOT:埼玉






あつdesuさん
WPありがとうございます!
当時のことを知る人間もどんどん少なくなっていくわけですし、
こういう建物は絶対に残し後世に伝えていく必要はありますよね。
ここでは整備士として働いていた方から話も聞けますし、大変貴重な場所だと思います。
是非とも色々な方にここを知ってもらいたいと思いました。
2012/4/23(月) 午後 8:57
流浪の民さん
WPありがとうございます!
私は祖父母からも戦争の時の話を聞いたことありませんし、もしかしたら直接話を聞いたのは中学の修学旅行で広島に行ったとき以来かもしれません。
ここは皆さんにも直接行ってもらいたい場所だと思いました。
2012/4/23(月) 午後 9:02
どろじあいさん
整備士の方からもお話は聞けますし、他のボランティアの方も子供の頃にこの近くで育ったかたもいますので当時のことを聞くことができます。色々とお話をしてくださるので、時間にゆとりがあるときに是非とも訪れてみてください。
2012/4/23(月) 午後 9:05
広町鈍足銀輪隊さん
はじめまして。
ご訪問・コメント・お気に入り登録までありがとうございます!
私のブログは廃墟がメインになっている一風変わったブログになっていますので、
戦跡の記事はあまりありませんが、宜しくお願いいたします。
広島からですと直にここへ行くことは出来ないかもしれませんが、
こういう場所が残っているということを知ってもらえて良かったと思います。
2012/4/23(月) 午後 9:07
ちぴまろさん
サイトを見ると1月〜3月と書かれていますが、あれは第一、第三日曜日のことかもしれません。
私は4月1日の日曜日に行ってきましたので、いまの時期でも普通に見学出来ると思いますよ。
しっかりと時間をかけてお話をしてくださるので、時間にゆとりがあるときに是非とも行ってきて下さい。
2012/4/23(月) 午後 9:15
Meさん
そうですね。そちらには確か掩体壕が2ヶ所くらいありましたよね。
まさかここで当時働いていた方からお話を聞けるとは思ってもいませんでした。
最初は単純に古い建物を見たいという気持ちで行ってきたのですが、
直にお話を聞いて戦争のことも考え、皆さんにもここを知ってもらい、
可能であれば実際に行ってほしいと思いました。
2012/4/23(月) 午後 9:25
kaetonさん
当時の方から実際にお話を聞くと、より一層後世に伝えていかなければいけないことだと思いますし、忘れてはいけないことだと実感します。
機会があれば是非とも一度行ってみてください。
2012/4/23(月) 午後 9:29
部分的に廃墟化していますが、これは、基本的には遺跡ですね。
良い感じで、保存できたと言う事も、とても、良かったと思います。
寂れて、廃墟に成って仕舞わない様に祈ります。
2012/4/23(月) 午後 11:37
みいにゃんさん
ここの敷地は国から市が買い取ったのは良いのですが、
まだ完全に保存していくということで決定したわけではないようです。
今はその為にボランティアの方々をはじめとして保存に向けて活動されています。
解体などされることがないように本当に祈りたいところですね。
2012/4/24(火) 午後 6:11
桶川にこんなとこがあるだなんて知りませんでした!
建物にも興味ありますが当時の戦争の話も大変興味深いですね!これは是非行ってみたいと思います!
話は変わりますが明日は尾崎豊の命日ですね。
[ ズズ ]
2012/4/24(火) 午後 11:56
ズズさん
そんなに遠くはありませんし是非とも行って下さい!
そして、直にお話を聞いてきて下さいね。
昨日から尾崎を聞きながら通勤していますよ(^o^)
2012/4/25(水) 午前 10:19
内緒さん
そろそろ暖かくなってきたので、来月あたりにでも工場へ行きますか(^O^)
そして、道中では尾崎を聞きながら♪
2012/4/27(金) 午前 3:17
ライダーさんすごいです!廃墟ブログで歴史の勉強もできてしまうなんて(笑)
桶川市は私が住んでる所からもそう遠くないですが、このような敷地があったなんて知りませんでした。
って、しまった!上記のコメを見てて尾崎さんの命日‥。記憶が飛んでいました。
ライダーさんはお参りに行かれましたか?
[ ふーさん ]
2012/4/27(金) 午前 8:08
ふーさん
今では完全に廃墟ブログになっていますが、歴史も好きなんですよ〜
私はお参りに行けませんでしたが、上でコメントをいただいたズズさんは
行ってこられたようです。
来月あたりに、廃墟もしくは工場撮影に行こうと考えているのですが、
尾崎を聞きながらふーさんも一緒に行きませんか?
2012/4/27(金) 午後 9:25
かなり綺麗な状態で残っているんですね。ボランティアの方々の努力を感じます。
戦争の悲惨さを伝える語り部の方がいらっしゃるんですね。後世に伝える活動。是非続けて欲しいものですね。Wポチ☆
2012/4/28(土) 午後 1:52
そうですね!都合があえば是非同行してみたいですね。
ライダーさんも本当尾崎がお好きなようで!
きっと忘れないもお願いしますね(笑)あれ凄く好きなんです^^
[ ふーさん ]
2012/4/30(月) 午後 11:27
下町おやじさん
WPありがとうございます!
ボランティアの方もかなりご高齢ですし、直にお話を聞ける間に色々な方に足を運んでいただきたい場所だと思います。決して昔の話だからといって忘れていいことではありませんし、後世に伝えていかなければいけません。
2012/5/2(水) 午後 7:06
ふーさん
尾崎は本当に好きですね。
カラオケでは場の雰囲気など考えずに尾崎ばっかり歌ったりします^^;
アルバムの誕生に入っている曲も良いの多いですよね♪
私はCOOKIEも結構好きですよ。
2012/5/2(水) 午後 7:14
そうでしたか。
確かに、一部保存して、趣旨を生かす形の平和公園なども、強ち否定できないとは思いますが…
仮に、福祉や、住民の為の施設・事業で有っても、根こそぎ破壊と言うのは、避けたいですね。
2012/5/6(日) 午前 5:09
みぃにゃんさん
確かに根こそぎ破壊してマンションなり他の建物を建ててしまうのは止めてほしいですね。
出来るなら今のままで修繕だけをして残していき、当時の話を後世に伝えていくべきだと思います。
2012/5/6(日) 午後 4:37