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情けないことにギックリ腰になってしまい、仕事を休んでしまっています…
10年振り位にやりましたが、痛くて動けず本当に辛いですね_| ̄|○ 今年4月末に北海道へ行った時の写真で、住友赤平炭鉱をご紹介します。 写真に写る立坑櫓は、昭和38年に総費用約20億円かけて建設され、平成6年の閉山時まで使用されていました。 完成当時は東洋一の立坑と言われるほどの施設で、赤平を代表する建造物。 上の写真右側の建物屋上部分には、住友赤平炭鉱というネオン看板が設置されていて、ネオンの灯る立坑だったのです。 この立坑櫓は地下650mの場所まで鉱員を送っていたのですが、1度に72人も高速で輸送していたのです。 この建物下650mで働いていたというのを考えるだけでも過酷さが伝わってくるようです。 ちなみに、建物内はほぼ当時のまま残されているようで、医療室、入浴場、鉱車操作場などがあります。 見学会のようなものがあれば是非とも中を見てみたいですね。 施設外にある街灯のデザインも立坑櫓をイメージしたものになっています。 1950年代には鉱業都市としてその最盛期を迎えるが、その後のエネルギー革命により炭鉱の合理化が進み、1994年の住友赤平炭鉱の閉山により約100年に及ぶ炭鉱の歴史に幕が下ろされました。 こちらは立坑櫓から程近い場所に残っている北炭赤間炭鉱の施設の一部。 採掘された石炭を一時保管する原炭ポケットと呼ばれるものになります。 こちらはまた場所が変わり、住友赤平小学校。今年3月に閉校になったばかりです。 住友赤平炭鉱が昭和13年に操業開始。 その3年後に開校された学校で、炭鉱マンの子供たちが数多く通っていました。 最盛期には、児童数2908人のマンモス校。 旧財閥の名前が入った学校が最近まで現役だったというのも珍しいのではないでしょうか。 空き教室を利用して、炭鉱資料館があるんですが、残念ながら休館になってしまっていました。 このように赤平市には当時の炭鉱施設が多く残っていますが、赤平市に限らず北海道には炭鉱遺産が各地にあるので、日本の近代化を支えた歴史に是非とも実際に触れていただきたいですね。 |
廃墟系:北海道
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コメント(9)
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今更ながらTwitterを始めてみました。
いつまで続くか分かりませんが、Twitterではだらだらと
廃墟写真をアップしていこうかと思っています。
よろしければ暇なときにでも見てやってください。
今回は羽幌炭鉱に残るワインディングタワーの内部をご紹介します。
建物内部に入るとロビーのような場所があり、そこには大きな
掲示板が掲げられています。その反対側には砿務課がそのまま残されています。
壁に沿って木製の机が並び、
長年の風雪などの影響にも負けず原型を保っています。
タイムカード入れや坑夫の名前が書かれた木棚なども残っています。
タイムカード入れに入っている紙は、当時のタイムカードではないでしょうか。
浴場入口に掲げられていた入浴心得。
一般的な心得以外に、「入浴前に必ず炭塵を洗い流してください」
という炭鉱の風呂場らしいフレーズもあります。
カミソリ・クリーム・ポマード・クシ等は備品として
備え付けられていたようです。
築別炭鉱のアパートでは家賃・電気代・水道代・燃料代が
会社負担でしたし、福利厚生はしっかりとしていたようですね。
多くの坑夫が仕事終わりに入るお風呂場にしては小さく
浴槽も一つだけでした。
一度地下へもぐってしまえば、終業まで地上へ戻って来られなかったでしょうし、
危険な場所での作業・蒸し暑い場所での作業を終えてのお風呂は
本当に至福の一時だったことでしょう。
こちらがここのメインともいえる立坑の鉄骨。
人員扉や2段ケージは撤去されていますが、この雰囲気が最高です。
ゲージは2段になっていて30名づつの計60名を
一度に地下512mの場所までへ送っていたようです。
立坑ゲージの巻上機や操作室などがある上階へ行くためのエレベーター。
上階は階段でも行けるようになっています。
廃坑から既に40年以上も経っているので、この階段も錆びて
非常に危険な状態となっています。この階段を目の前にしたら
恐怖で上階へ行くことは出来ませんでした。
この時は単独行動だったので、万が一の事態が起きてしまえば
携帯の電波も繋がりませんし、完全に終わりとなってしまいます・・・
北海道探索でのメインともいえる場所はあらかたご紹介したので
今回で北海道の記事は一度終了として、あとは気が向いたときにでも
ご紹介していきます。 |
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羽幌炭鉱は、以前ご紹介した築別抗・羽幌本坑・上羽幌抗の3鉱区から
なっていて、今回はその中の羽幌本坑をご紹介します。
築別坑から程近い場所にある羽幌本坑には、
ホッパー・選炭場・立坑櫓などが残されています。
かつては、平屋の炭鉱住宅もあったようなのですが、
見当たらなかったので雪で倒壊してしまったのでしょうか。
選炭場と思われる建物は壁に大きな穴が開いていますが、
どんな状況なのでしょうか。
木々が枯れているので色々な建物をこうやって眺めることが出来ますが、
ここも夏場だと緑に覆われて凄いことになっていそうです。
ヒグマの出没地ですので危険な場所です。
羽幌炭鉱は、
昭和37年、石炭年産100万t達成
昭和39年、羽幌町の人口3万人突破
昭和40年、羽幌本坑に運搬立抗完成
昭和43年、年間出炭量が114万tになる
昭和44年、大断層が見つかり築別東坑は閉鎖
昭和45年、羽幌炭鉱閉山
昭和30年代後半のエネルギー革命以降は、他の炭鉱は斜陽化していくが、
羽幌炭鉱は合理化・機械化を進めて、この昭和40年に完成した
立派な立坑櫓もその象徴だったのではないでしょうか。
完成から僅か5年でこの立坑櫓も使われなくなってしまいました。 立坑櫓には社章が掲げられています。
次回はこの櫓の内部をご紹介したいと思います。
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今回はまた北海道の記事に戻り、廃校をご紹介したいと思います。
この校舎はもともと高校が使っていた場所になるので、
玄関には小学校の他に高校の校章も掲げられたままになっています。
このA小学校は平成2年に閉校となっているので、
既に廃校後24年も経過したことになります。
私が訪問したのは4月だというのに、雪深い場所にあるだけに
いまだにこれだけの雪が残っています。
校舎の中も雪の影響でかなり傷んできてしまっています。
教室には生徒の作った作品など色々と残されています。
こちらは音楽室らしく瀧廉太郎やアコーディオン、
合唱コンクールか何かのトロフィーや盾もあります。
倉庫には北海道らしくスキー板も。
この絵に描かれているのは、先日ご紹介した
T小学校の体育館ではないでしょうか。
やはり当時としては斬新的な体育館だったんでしょうね。
教室の黒板には、かつてここで先生をされていた方や
生徒として通ったと思われる方のメッセージが書き込まれています。
職員室には閉校間際の予定表が残り、
卒業式・閉校式・惜別会と書かれています。
切ないものがありますね・・・
次回はまた北海道の炭鉱をご紹介したと思います。 |
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今回は築別炭鉱に残るT小学校をご紹介します。
昭和15年開校、閉山翌年の昭和46年閉校。
現在残る校舎は昭和42年に建て替えられたものになります。
昭和30年代中頃には1000名以上の児童が通っていたようです。
こちらはT小学校の目玉ともいえる円形体育館。
円形校舎も今となっては珍しいかもしれませんが、
円形体育館もかなり珍しいのではないでしょうか。
廃校後の昭和57年から平成9年までは、
「緑の村」というキャンプ場県資料館として転用されていました。
このゲーム機もその時の名残かもしれません。 校舎の中には、このように熊などの剥製も展示されています。
それにしても、こんな形相の熊とばったり出会ってしまったら
ビビってしまい動くことが出来なさそうな気がします・・・
校舎の中はあまり学校の雰囲気が残っていなかったので
これ以外は殆ど写真を撮っていませんでした。
こちらは円形体育館の内部。
昭和42年という時代にRC3階建ての校舎と円形体育館を造ってしまうのは
やはり炭鉱が栄えていたからこそ出来たことでしょう。
しかし、校舎も完成から4年後には閉校になってしまったり
前回の記事でご紹介したアパートも完成の翌年に閉山になってしまったり
閉山は誰もが当初は予想出来なかった急な出来事だったのでしょう。
美しい円形の鉄骨がある天井。
今回で築別炭鉱の記事は終了となります。
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